『鬼滅の刃』は建物も時代考証がすごかった!「遊郭編」の建物はすべて二階建て。最後の激戦地はどこ!?

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更新日:2021/12/14

(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable
12月5日(日)全国フジテレビ系列にて放送スタート!

 リクルートのオンライン学習サービス「スタディサプリ」の人気社会科講師伊藤賀一氏は、今回の取材のためにコミック全巻を読み返し、風柱のネクタイを締めて授業することもあるほど『鬼滅の刃』ファンだという。伊藤氏いわく『鬼滅の刃』のヒットは、『るろうに剣心』や『銀魂』がヒットした時と同様に、子どもたちの歴史学習の上でのメリットも多々あるそうだ。鬼殺隊の隊服や作中で描かれる建物の時代考証について、大正後期から昭和の時代に何があったのか、“日本史のプロ”の目線から、本作のヒットの秘密に迫ります。現在放送中のテレビアニメ「鬼滅の刃」遊郭編が何倍も面白くなるかもしれません!

『鬼滅の刃』“大正”って、どんな時代なんですか?【前編】

取材・構成・文=成田全(ナリタタモツ)

※TVアニメ『鬼滅の刃』遊郭編以降のエピソード、物語の結末についての内容がありますので、先の展開を知りたくない方はネタバレにご注意ください!

【考察】『鬼滅の刃』はなぜこれほど人気となったのか?

『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴/集英社)

『鬼滅の刃』がヒットした理由には、2つのキーワードがあります。

 まずは「大正時代」です。物語の舞台として「大正時代」を選んだのは本当に素晴らしいなと思います。大正は古いものと新しいものがある時代で、日本人は新旧と和洋折衷の端境にノスタルジーを覚える傾向があるんですね。

 主人公の竈門炭治郎は炭焼きという仕事をしていて、「長男だから」と言うなどする比較的古風な価値観を持った人間。逆に鬼舞辻無惨(きぶつじ むざん)は洋服姿で西洋の館に住んでいるなど、新しい部分がある。古いものと新しいもの、そして和と洋の両方を見せられる大正は、読者にとって圧倒的に面白い時代です。これが明治時代だとまだ江戸を引きずっているし、昭和になると欧米文化の影響を受けすぎてしまう。大正は絶妙な時代なんです。

 もうひとつのキーワードは「出てくる人たちが、みな生きづらさを抱えていること」です。

 前編の【総論】“大正”とはどんな時代なのか?で、大正全体が今の時代と似ているというお話をしましたが、自然災害や理不尽な出来事、犯罪などに遭い、精神的にも経済的にも追い込まれていく人がたくさんいる中で、上手くやっている人は上手くやっているわけです。大正であれば新聞や雑誌で、令和ではネットでそういった人たちが見える。

 鬼に襲われた不利な人たちを守るのが『鬼滅の刃』の物語です。しかも生きづらさを抱えた人たちを守る鬼殺隊のメンバーも、生きづらさを抱えている。さらに敵である鬼も、人間だったときには生きづらさを抱えた人たちであったわけです。この設定が凄い。

 作者の吾峠呼世晴(ごとうげ こよはる)さんは、鬼にも同情の意識を持っているように思います。それはどっちが偉いとか悪いとかではなく、事情があってこうなっている、というのを見せている。どっちかが間違っている、というのではないんですね。十二鬼月の上弦の壱である黒死牟は、剣術に優れた双子の弟に対して長男としてのコンプレックスを抱えていた。上弦の弐である童磨は妙な新興宗教の家に生まれてしまった。みな弱いところがある。純粋な悪は、鬼舞辻だけです。

 柱や鬼殺隊のメンバーも生きづらさを抱えています。煉獄杏寿郎は他人とうまくコミュニケーションがとれず、父との断絶もあります。炭治郎と禰豆子も、嘴平伊之助も、胡蝶姉妹も、不死川兄弟も家族を鬼に殺された犯罪被害者であり、仇討ちをしようとしている。生きづらさを抱えている人たちが、それを打破しようと精神と肉体を鍛え、鬼と戦っているんです。

 今の時代、急に生きづらい世の中になったわけではなく、もともとそうした人たちは存在していました。社会がイケイケな状態だと、見て見ぬ振りをするんです。しかし今は社会全体の調子が悪いから、しんどい人たちに目が向くようになったんですね。そこに出てきたのが『鬼滅の刃』なのです。

 また架空の話であるにもかかわらず、読者があれこれ考えられる。さらに子どもと大人、男性と女性で見方が違うから、それについてみんなが話したくなる、論じたくなるようなパワーがある作品なんですね。

 ではここからは各論の続きへ入っていきましょう。

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【各論】5 隊服があのスタイルになったのはいつから?

 江戸時代、日本は西洋諸国ではオランダ(阿蘭陀)としか交易していませんでしたので、洋服のことを「蘭服」と呼んでいたんです。学生が着る制服が「学ラン」と言われる所以ですね。

 ただ幕末になると、幕府方にはフランスがつきました。一方、薩摩と長州にはイギリスがついたため、薩長が源流となった海軍は海軍国イギリスの影響を受けることになります。ところが明治3(1870)年、フランスは普仏戦争でプロイセン(のちのドイツ帝国)に負けて影響力が弱まり、そこから日本はドイツを手本とするようになって、陸軍はドイツの影響を大きく受けることになったんです。

 ですので、鬼殺隊の隊服は明治に入ってから採用されたと言えるでしょう。ただ下は裁付袴を身に着け、足元は脚絆(戦いのときに裾が邪魔にならないようになっている)に草鞋履きという和洋折衷のスタイルなんです。炭治郎や我妻善逸、柱たちはそれに羽織を着ているので伝統的なスタイルですね。しかし皆がそうではなく、時透無一郎は全体にゆったりとした格好(相手に間合いや動作を悟られないためだそうです)だったり、栗花落カナヲはスカートにブーツ、不死川玄弥はズボンに靴というスタイルなので、大正時代らしい新旧入り混じった個性が出ている。

 大正時代は洋服を着ている人はとても少なく、男性は仕事に行くときは帽子に背広でしたが、家に帰ってくると着物に着替えていました。女性は着物、割烹着姿が普通で、髪型も束髪という日本髪の変形バージョンの人がほとんどでした。『鬼滅の刃』だと、珠世のような髪型に着物姿が大正時代らしいといえます。珠世さんは作業をするとき、割烹着を着てましたよね。

 

【各論】6 鬼殺隊除隊後の炭治郎たちを待ち受けている時代

『鬼滅の刃』で炭治郎たちが戦っている時代は第一次世界大戦中で、大戦景気によって格差が拡大したことは【総論】“大正”とはどんな時代なのか? ですでにお話ししました。しかし戦争が終わった1920年代に入ると戦後恐慌によって経済は崩壊。さらに関東大震災による震災恐慌、昭和に入ってからは金融恐慌、昭和恐慌と、日本経済が「光の世界から闇の世界へ」と落ちていく時代となり、そこから脱出しようと日本は満州事変、日中戦争、太平洋戦争へと突入し、昭和20(1945)年、敗戦します。

 経済はグチャグチャ、その後軍国主義が台頭して、全体主義になっていく……鬼舞辻を倒した後の炭治郎たちを待ち受けている未来は大変な時代です。当時は治安維持法などもありますから、黙って暮らさないといけない。生活もしんどいでしょう。軍需工場で働かされたり、徴兵されたりしたかもしれません。

 

【終わりに】伊藤賀一先生と『鬼滅の刃』

『鬼滅の刃』は学びがすごく多い漫画なので、私の仕事である社会科講師としてはとてもラッキーなんです。『るろうに剣心』や『銀魂』がヒットしたときもそうでしたが、子どものときに日本史に触れるような漫画やアニメ、映画を見ると、それに影響されて日本史を選択する人が増えるんです。

 社会科という教科は覚えることも大事ですけど、覚えたことを忘れないようにすることが一番大事。それには暗記よりも、記憶をすることです。いくら試験勉強をしても、試験当日に思い出せないと意味がない。そのためには“点”ではなく“線”で暗記したことを縦や横に結びつけ、さらにそれを“面”にして、知識として記憶することで忘れないようになるんです。

 例えばの話をしましょう。『鬼滅の刃』の十二鬼月の上弦の参に、全身入れ墨のキャラクターである猗窩座がいますね。実は犯罪を繰り返す者に入れ墨を入れ、ひと目で犯罪者だとわかせるようにしたのは八代将軍徳川吉宗なんです。江戸時代に生きていた猗窩座は病気の父のために罪を重ね、罪人となって入れ墨を入れられたというエピソードがありましたよね。

 吉宗の「享保の改革」というと「足高の制」「目安箱の設置」「上米の制」「公事方御定書」などがあって、入試に出るのはこれらの事柄です。これが点の記憶です。線は時系列で、前後関係を覚える。吉宗の前の将軍は誰か、吉宗の後にはどんなことがあったのか、ということを記憶すると線の記憶になります。これを繰り返していくと、覚えたことが合わさって、面の記憶になって忘れなくなるんです。

 しかし点を覚えるのは大変です。でもそこに「享保の改革では犯罪者に入れ墨を入れるようになった。だから猗窩座には入れ墨が入っていた」と覚えると、知識が結びつき、絶対に忘れないんです。「伊藤賀一の授業は雑談ばっかり」と大人にはよく言われますが、生徒からするとそんなことないんですよ(笑)。『鬼滅の刃』はヒットしているので、読んでいなくても生徒たちに情報は共有されているから、授業に役に立つんです。また「諸社禰宜神主法度」の「禰」の字を教えるのに、禰豆子(※禰豆子の「禰」は「ネ」+「爾」が正しい表記)の「ネ偏」を「示偏」に変えたらいいよ、と教えられるようになった。興味を持てば、さらに調べて、勉強したくなるものなんです。

 これは個人的な話ですが、僕が一番好きなキャラクターは風柱の不死川実弥(しなずがわさねみ)です。もう圧倒的に好きですね。実弥は炭治郎と禰豆子が鬼殺隊の本部へ来たときに、鬼の禰豆子を仲間にすることに強硬に反対しましたが、鬼殺隊は鬼を倒すための組織ですから、これは誰かが言わないといけない正論です。けれど、一番損な役回りなんですね。他の柱も反対はしていますが、実弥は禰豆子を刺し、自らの腕を切って血を流し、試すことまでしている。しかし鬼は頸を切らないと死にませんから、それを見て猛り狂っていた炭治郎の方が未熟なんですね。

 実弥は猛々しく、まるでギリシャ神話で冥府の入り口を守る番犬「ケルベロス」のような男ですが、おかしいことはおかしいとはっきり言える、しかも全幅の信頼を寄せている人(鬼殺隊ではお館様)が決めれば納得して言うことを聞く。こういう人はチームで仕事をする組織に必要な人材です。何が正しいかをよくわかっていて、自分の身内を守るためには戦うことを厭わない……でもこういう人って、現代社会では減ってきていますね。ちなみに僕はそういうタイプが理想だからと、あえて損な役回りをすることが多い(笑)。そして実弥と身長と体重(179センチ、75キロ)が一緒で、さらに東京府京橋區(今の中央区京橋)出身ということで、自分も一時京橋のマンションに住んでいたことがあったので、親近感があるんですよ。風柱のネクタイも柄が気に入って買って、授業でもときどき締めていますよ。

 それから『鬼滅の刃』は建物も時代考証がしっかりしています。例えば第一話「残酷」に出てきた炭治郎の家は茅葺き、麓の三郎爺さんの家は板葺き、街中の家は二階建てで瓦葺きと、住む人と場所によって家が描き分けられています。また吉原遊廓が舞台の遊郭編での建物はすべて二階建てです。これは遊女が二階で客を取るからなんですね。

 また鬼舞辻と鬼殺隊との最後の激戦地はおそらく東京・丸の内でしょう。あれだけ西洋の建物が集まっている場所は、大正時代の初め頃は丸の内(ちなみに丸の内は三菱財閥の縄張りです)しかないんです。大阪や名古屋には、まだあんな場所はありませんでした。こういう部分は日本史に詳しい人なら思わずニヤニヤしてしまうし、あれこれ考えながら読むのが本当に楽しい。日本史のプロの僕が見ても、おかしいところがないんです。また実在の人物が出てこないので、「◯◯はこんなことしていないんだけどなぁ」とモヤモヤすることなく楽しめるのもいいですね(笑)。

 そんな僕が『鬼滅の刃』にハマったのは、子どもが保育園で見たのか聞いたのか「鬼滅、鬼滅」と言っていて、それほどまで言うなら、と思ってアニメを見たらハマってしまい、すぐに漫画を全巻購入しました。僕は、もともと何回も漫画を読むタイプではないんだけど、『鬼滅の刃』は2回目、3回目に読んでも楽しめる。しかも読むと新たな発見があるというのではなく、もう単純に面白い! 読者をグッと握力で捉えて、引きずり回すタイプの漫画ですね。

 連載はすでに終了し、単行本も全巻出ていますが、アニメはまだまだ序盤ですし、これからさらに人気が出る作品だと思いますよ。海外での人気がもっと高まれば、外国語で読める日本人の魂を理解するための本である、新渡戸稲造『武士道』、内村鑑三『代表的日本人』、岡倉天心『東洋の覚醒』などの著書と並ぶかもしれない。「日本人を知りたいなら『鬼滅の刃』を読め」となる可能性も十分あると思いますね。

 ということで、以上で伊藤賀一×『鬼滅の刃』特別講義は終了です。ありがとうございました!

〈プロフィール〉
伊藤賀一(いとう・がいち) 講師、著述家。1972年京都府出身。リクルート「スタディサプリ」などで社会科講師を務める。専門は日本史で、世界史、地理、公民、倫理なども担当、さらにマンガやプロレス、お笑い、アイドルなど幅広い分野の知識を誇り、『笑う日本史』(KADOKAWA)などでその特質を披露している。近著に『残酷な世界でどう生きるか 「進撃の巨人」の言葉』(総合法令出版)、『学習版 日本の歴史人物かるた NEW』(幻冬舎)など。

 

【資料】大正時代の主な出来事・歴代内閣総理大臣

1912年(明治45年/大正元年)
清滅亡
タイタニック号沈没
ストックホルム五輪
7月30日、明治天皇崩御。明治から大正へ元号変わる
陸相が辞任、軍部大臣現役武官制によって西園寺公望内閣(第2次)総辞職
桂太郎(第3次)内閣成立

1913年(大正2年)
第一次護憲運動(大正政変)で桂内閣総辞職
山本權兵衞内閣(第1次)成立
帝国大学初の女子学生誕生
徳川慶喜死去

1914年(大正3年)
桜島大噴火、大隅半島と地続きに
ジーメンス事件によって山本内閣総辞職
大隈重信内閣(第2次)成立
第一次世界大戦勃発
三越呉服店がデパートに

1915年(大正4年)
中華民国に対華21か条を要求
第1回全国中等学校優勝野球大会(後の全国高等学校野球選手権大会)が開幕

1916年(大正5年)
寺内正毅内閣成立
ラスプーチン暗殺

1917年(大正6年)
ロシア革命
金本位制停止
石井・ランシング協定締結

1918年(大正7年)
米騒動が起きる
米価大暴騰で米相場大混乱
シベリア出兵
寺内内閣総辞職
原敬内閣成立(日本初の本格的政党内閣)
日本でスペイン風邪が流行

1919年(大正8年)
第一次世界大戦終結、パリ講和会議
関東軍設置

1920年(大正9年)
国際連盟成立、大日本帝国正式加入
株価大暴落、戦後恐慌に
平塚らいてう、市川房枝らが新婦人協会結成
日本初のメーデー開催

1921年(大正10年)
原敬、東京駅で暗殺され、内閣総辞職
高橋是清内閣成立
ワシントン会議で日米英仏の四カ国条約調印

1922年(大正11年)
高橋内閣が閣内不統一で総辞職
加藤友三郎内閣成立
イタリアでムッソリーニが首相就任
ソビエト連邦成立

1923年(大正12年)
加藤友三郎死去により内閣総辞職
関東大震災
山本權兵衞内閣(第2次)成立
虎ノ門事件で山本内閣総辞職

1924年(大正13年)
清浦奎吾内閣成立
清浦内閣総辞職、加藤高明内閣成立
阪神甲子園球場、明治神宮外苑競技場竣工

1925年(大正14年)
ムッソリーニ、独裁宣言
日本初のラジオ放送開始
治安維持法、普通選挙法制定
ナチス親衛隊設立

1926年(大正15年/昭和元年)
加藤高明死去により内閣総辞職
若槻禮次郎(第1次)内閣成立
十勝岳大噴火
12月25日、大正天皇崩御、大正から昭和へ元号変わる

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