化け猫によるブレークスルー。新基軸“猫&グルメ”漫画『クロと僕の幸せまんま』

マンガ

公開日:2016/10/14

『日本国語大辞典』や『広辞苑』を引くと「化け猫」は載っていますが「化け犬」はありません。「猫は化けるが、犬は化けない」問題をGoogle先生経由で調べると、同じ疑問を感じた方が散見され、それなりの理由が見つかりはします。しかし、どうもしっくりとこない。もっと単純で合理的な理由があるはず、と考えを巡らせると「なぜ猫は化けなければならなかったか」という疑問に行き着きます。

 化け猫を見るのは人間だけ(のはず)ですから、人間側に「猫に化けてもらう必要」があったわけです。『クロと僕の幸せまんま』(おやまごう/新潮社)を読みながら、そしてわが家の猫をなでながら、こんな考えが浮かびました。「猫は、人にとって恐ろしくないから」ではないかと。

(C)おやまごう/新潮社 くらげバンチ

(C)おやまごう/新潮社 くらげバンチ

 化け犬という言葉がないのは、裏返せば、犬には化けてもらう必要がないわけです。それは、化けなくても十分恐ろしいからに外なりません。山に野犬が闊歩していた時代、飢えた大きな野犬に襲われ、命を落とす人は珍しくなかったと思われます。犬は元来、狼が家畜化されたもので「オオカミ(狼)」の呼び名は漢字で書けば「大神」。「神」の語が本来意味するところは「人間を超越した力を持っているもの」で、畏怖の対象だったことがうかがえます。

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 一方、猫のサイズはどうでしょう。大きなものでも、犬と比べればたかがしれています。するどい牙と爪で、人を襲うことはあったでしょうが、人間の大人とのガチバトルでは、猫に勝ち目はありません。そこにこそ、GODZILLA(【ɡɑ̀dzɪ́lə】)が変態するごとく、人を襲ったり人に化けたりする「化け猫」になる必要があったわけです。化け猫の歴史的第1形態もしくは第2形態の「猫股」は明月記にも記述があり、鎌倉期にはその何らかの理由があったものと推察されます。

(C)おやまごう/新潮社 くらげバンチ

 鎌倉期の猫股、そして江戸期の怪談に登場する化け猫が、化けて出たのは人間側の必要によるものと思われますが、『クロと僕の幸せまんま』に登場する化け猫「クロ」が人の姿に化けるのにも同様の理由があります。それは、主人公の僕こと丹後公平と一緒にご飯を食べること。助けた猫が化け猫として人になれば、猫のままでは食べられないはずのネギも醤油もカツオの漬けも、すべて解決。リアル猫とのコラボや、猫を猫として描くペット漫画ではなし得なかった「猫×グルメ」という禁断の組み合わせを可能にしたのであります。

(C)おやまごう/新潮社 くらげバンチ

(C)おやまごう/新潮社 くらげバンチ

 本書は1巻目とのことですので、ぜひこの「猫×グルメ」路線を突き進んでいただくとともに、化け猫でしかなし得ない、新たな猫漫画ジャンルの開拓に一方的に期待しております。

文=猫ジャーナル