幻の「ツチノコ」を追い求めた日々の記録! 『逃げろツチノコ』――タイトルに秘めた著者の想いとは?

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公開日:2016/10/25

『逃げろツチノコ』(山本素石/山と渓谷社)

 読者諸氏はツチノコをご存じだろうか。もちろん、実際に見た人はまずいないと思うが、昭和40年代から50年代にかけてたびたびメディアを騒がせた幻のヘビだ。ヘビでありながら体は短くて太く扁平しており、そこに毒ヘビらしい三角形の頭とネズミのような尻尾を持つ。その一見ユーモラスなスタイルに反して性質はとても獰猛だという。小生は小学生時代にその存在を知り、その不思議な姿にとても興奮したものだ。しかし現在、とうの昔にブームも過ぎ、小生自身もあの頃の興奮をすっかり忘れていた。そんな折に突如として目に飛び込んできた「ツチノコ」の4文字。それが本書『逃げろツチノコ』(山本素石/山と渓谷社)である。

 本書は昭和48年に刊行された同名書の復刻である。著者の山本素石氏(1919年-1988年)は当時、天理教滋京分教会長を務めるかたわら、渓流釣りに関するエッセイを数多く執筆し「釣りは文学化しうる」と、自身が釣り師として証明した人物だ。その素石氏が昭和38年の晩夏にツチノコを目撃し、以降10年余りにわたって仲間たちとツチノコ探索に明け暮れた実録記なのである。

 まず、ツチノコの出会いというのがいきなり面白い。なにせ、素石氏が便意のために山道を分け行った先で飛びかかられたというのだ。下半身の緊急事態に重ねて命の緊急事態にまで襲われるとは実に災難だ。ツチノコの特徴にジャンプ力があり、2メートルは飛び跳ねるといわれている。紙一重で身を反らし咬まれずに済んだのだが、なおもツチノコはこちらをにらみ続けており、1分ほど対峙を続けたという。氏自身は決してヘビが苦手ではない。それまでマムシに出会っても逃げるどころか捕まえていた猛者だ。当初はその姿の珍しさから見入っていたが、やがてツチノコの眼光に恐怖を感じ逃げ出してしまう。

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 街へ戻った素石氏がそのことを周囲に話すと、誰も気にも留めなかったという。せいぜい、マムシが獲物を飲み込んだ直後だったんだろうといわれたそうだ。今でもツチノコの正体はこの「獲物を飲み込んだ直後のヘビ」ではないかといわれることが多い。だが、氏はヘビ自体を見慣れており、絶対に違うと断言している。いわく「満腹した時のふくれ方とはまるで違う」。なにより満腹時には「動作が鈍くなってまともに走ることさえおぼつかない」そうだ。確かに、大きな獲物を飲み込み動けずにいる姿はテレビなどで何度か見ている。実は小生、このくだりを読んで以来「もしかしてホントにいるんじゃ?」との思いが打ち消せずにいる。数々の目撃情報よりも、氏の分析に説得力を感じたからだ。

 そして、当時エッセイを連載していた雑誌『釣の友』にその遭遇談を寄稿すると同好の士を呼び、やがてそこからだんだんと話題が広まり、10年余りをかけて社会現象へと発展する。マスコミにも連日取り上げられ、素石氏自身もその対応に追われていった。ついには、かの西武百貨店がスポンサーとして懸賞金まで出すほどになったのだ。そんな中で本書も刊行されたのだが、それとは裏腹に氏は探索から身を引いてしまう。

 本書のタイトルがなぜ『逃げろツチノコ』なのか。実は素石氏はそのブームに対し嫌気がさし、追われるツチノコに哀れみを感じるようになっていた。それは決して著者自身の自己満足ではなく「あそびを忘れた血眼な探索の中に、どうして夢があるだろうか」と述べている。ツチノコ探索は大の大人が本気で取り組んだ「遊び」だったのだろう。また、当時の林野への乱開発にも氏は心を痛めていた。だからこそ、ツチノコにはこのまま永久に捕まらず、夢の存在のまま大自然とともに、のんびり過ごしてほしいとの願いを込めたタイトルなのだ。

 現に21世紀の世になってもツチノコの捕獲例は皆無である。やはり幻の生物なのだろうか。しかし、幻なら幻でそれを楽しもうとする人々は少なくない。調べると新潟県糸魚川市では、11年前から賞金1億円を懸けてツチノコを探しているのだ。町おこしの一環である。もはや現実論としてその捕獲は期待できないのだが、ブームも関係なしに本気で遊ぼうというなら、素石氏の想いに適うのではないだろうか。秋の行楽シーズン、紅葉狩りのついでにチョイと茂みの中を覗いてみたくなる。1億……いや、夢を求めて……。

文=犬山しんのすけ