ビートルズから脱退した時、ポールは何を思っていたのか――ポール本人が初めて認めたバイオグラフィー

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公開日:2017/4/5

『ポール・マッカートニー ザ・ライフ』(KADOKAWA)

 1962年10月5日、ザ・ビートルズのメンバーとして『ラヴ・ミー・ドゥ』でレコードデビューしてから半世紀以上、70歳を超えた今も精力的に活動し、ギネス世界記録に「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」と認定されるポールのこれまでの人生を、多くの関係者へのインタビューや膨大な資料から編纂したのが、2月に翻訳出版された『ポール・マッカートニー ザ・ライフ』(KADOKAWA)だ(電子版も同日配信)。

 2016年にイギリスで出版された際、これまで語られていないエピソードもあったことから大きな話題を集めた本書。二段組みで文字数は約83万字、ディスコグラフィーや詳細なインデックスまで含めると730ページを超える大著だ。本書をまとめた小説家・伝記作家・ジャーナリスト・劇作家であるフィリップ・ノーマンは、以前『シャウト!ザ・ビートルズ』(ザ・ビートルズ・クラブ:訳/主婦の友社)という本を出版した際、「ポールに公平とは言えない扱いをした」過去があるという。しかし今回ポールから「喜んで暗黙の了解をあげよう」とお墨付きをもらったことで、ノーマン曰く「多少なりと償うもの」として丁寧に仕上げられている。ポールの人生を追った本はこれまでにたくさんあったが、『ポール・マッカートニー ザ・ライフ』は、“ポール本人が初めて認めたバイオグラフィー”なのだ。

 ジェームズ・ポール・マッカートニーは1942年6月18日、イギリス西部の港町リバプールで生まれた。14歳で母を亡くしたポールはその死に動揺するまいと決意、自分の周りを殻で覆うことを覚えたという。そして母の死から1ヶ月も経たない間に、13歳の誕生日に父からプレゼントされたトランペットをギターに交換し、音楽にのめり込んでいく。ポールの弟マイケルは「ギターは手放せないものになっていた……兄の一生を乗っ取ってしまったね」「絶好のタイミングで現れたから、兄の逃避先になったんだ」と語っている。

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 やがてポールは近所に住んでいたジョン・レノン、ジョージ・ハリスンと出会い、最後にリンゴ・スターが加入してザ・ビートルズとしてデビュー。本書の中盤までは子ども時代の思い出から、ザ・ビートルズが生み出した名曲にまつわる秘話、初めてのマリファナはボブ・ディランが勧めたという話や、有名な「ポール死亡説」といったエピソードまでぎっしり詰め込まれている。しかしジョン、ジョージ、リンゴと溝ができて孤立し、愛していたザ・ビートルズから脱退するポール。「自分の目で見ても、もう用済みの人間だった……ものすごい虚無感が自分の魂を駆け抜けていったんだよ」と当時を振り返っている。

 本書はここから後半に入り、脱退後のソロ、そして妻のリンダらと結成したバンド「ウィングス」で活動していくポールを追っていく。1980年に来日した際、荷物に大麻があったことで東京拘置所の留置場で勾留され、ポールがそこで歌ったり、サインをしたといった顛末の詳細も載っている(連行される写真にはNHK勤務時代の池上彰氏の姿も写り込んでいる)。この一件が引き金となってウィングスは自然消滅、そして同年12月、ジョン・レノンが殺される悲劇が起きる。さらに1998年には長年連れ添ったリンダが他界、その後のヘザー・ミルズとの結婚と泥沼の離婚劇、2011年のナンシー・シェヴェルとの結婚と、現在までのポールの人生が赤裸々に記録されている。

 そして「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」であるポールは、こんなエピソードを披露している。

「僕はいまだに作曲を深く愛しているが、最初に『できるのか?』って思う瞬間が必ずあるんだ。作曲を始めるときには何もない。ピアノの前に座る自分か、ギターを持つ自分がいるだけで、その後、運が良ければ、『おぉ、曲が書けた!』っていう最高の気持ちを味わう。そのときの気持ち……それが何物にも代えがたいんだ」

 ポールは何度も悲しみの淵へ突き落とされながら、そのたびに這い上がり、新しい曲を書き、今も歌い続けている。本書はそんなポールの温かな人柄に触れられる、ファン必携の一冊となることだろう。

文=成田全(ナリタタモツ)