鳥山明が描き続けた「改心」が受け入れられる世界。『DRAGON BALL』など“本当の悪”がほとんど登場しないことの魅力

マンガ

公開日:2024/5/17

DRAGON BALL
(C)バード・スタジオ/集英社

 2024年3月1日、漫画家の鳥山明先生がお亡くなりになった。訃報が伝えられた8日には、日本のみならず世界中から追悼の言葉やイラストなどが寄せられ、その世界的な人気の高さに改めて驚かされた。

 SNSなどで流れてくる鳥山先生への言葉を読んでいて、共通するあることに気がついた。それは「同時代性」だ。鳥山先生の代表作である『Dr.スランプ』は1980~84年、『DRAGON BALL』は84~95年に連載された作品だ。この時代に作品が掲載された「週刊少年ジャンプ」を読んでいた小学生は、今アラフィフからアラサー世代だろう。しかしそれよりも上の世代も下の世代も鳥山作品を知っていて、自分の世代が楽しんだ作品だと感じている。漫画作品だけでなく、長年放送され続けているアニメや、デザインを手掛けたゲーム「ドラゴンクエストシリーズ」などの影響も大きいだろうが、やはり鳥山明という漫画家が生み出した作品の圧倒的な面白さが人口に膾炙している理由だろう。

 2023年に映画化された『SAND LAND』公開のタイミングで出た単行本『SAND LAND 完全版』に収録されているインタビューで、悪魔を主人公にした理由を聞かれ、鳥山先生はこう答えている。

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ボクの場合、どうせマンガを描くなら、現実的じゃ意味がないと思う方です。現実離れしたストーリーにする場合、当然主人公も通常の人間と一緒ではおもしろくありません。悪魔という、それこそ、なんでもありの存在はまさにうってつけです。

 この考え方は鳥山作品に共通することだ。そして地球の出来事らしいけれども、いつのどこだかわからない独特の世界観を持つデザインについてはこのように話している。

大抵、ある程度は頭の中にできていて、それに近づけば納得して完成とします。ただ、想像通りに描けたのに、なにか違うということもよくあります。そういう場合は、雰囲気に合うまでデザインを描き直しますが、連載の場合、時間が無くてほどほどで妥協ってことも。

 また鳥山先生は、自身を見出した初代担当編集者の鳥嶋和彦氏による漫画の描き方指南本『Dr.マシリト 最強漫画術』に掲載された対談(本書が鳥嶋氏との最後の仕事になったそうだ)で、漫画家になったことについてこう発言をしている。

鳥山 僕は結果、良かったです。本当はデザインやイラストの仕事に就きたいって常に思ってたんですけど、途中から「これは自分の好きな映画を、自分だけで作っていけるようなものなのかも」って思いだしてから変わりましたね。
鳥嶋 でも趣味じゃなくて、お互い仕事だっていう意識があるから。さっさと終わらせようっていうね。それでも『ジャンプ』で二作品続けて当てた人って、滅多にいないから。
鳥山 運がよかっただけかも。それに鳥嶋さんからアドバイスを受けたりして、「まあ、仕事だからな」と割り切るのがちょうどハマったのかもしれない。だから『Dr.スランプ』も『ドラゴンボール』も、好みかと言ったらぜんぜん自分の好みじゃないし(笑)。
鳥嶋 それ言うと、ファンがショックを受けるかもしれない(笑)。
鳥山 だって本当に自分の好きなように描いたら、絶対受けないのがわかってますから(笑)。

 鳥山作品が愛されるのは、実際は大変なご苦労があったことを殊更に言わない、軽やかな姿勢も大きいのだと思う(風邪による高熱でペン入れした記憶がない回があったり、「週刊連載は下ろしたてのパンツのようにきつい」といった発言もなさっている)。実際、鳥山先生は週刊連載で一度も原稿を落としたことがなく、アシスタントは長年ひとりだけだった。そんな体制から生み出される作品には“本当の悪”がほとんど登場せず、登場人物たちは努力を惜しまず、悪いことをすると罰が与えられ、改心が受け入れられる世界が描かれていた。それも鳥山作品が長年愛され、読み続けられている理由だろう。

 そして鳥山先生の言葉として心に刻みたいのが「“大きな仕事”か“小さな仕事”かにも関心がない。仕事は、楽しいほうを選びます」(『週刊少年ジャンプ展 VOL.2 公式図録』より)という発言だ。忙しくなると何かとギスギスしてしまいがちだが、鳥山作品を純粋に楽しんでいた頃を思い出し、良いことがあれば「うっほほーい!」と楽しみ、苦しいときは「オラに元気をわけてくれ!」と叫んで元気玉を集め、何が起きてもCHA-LA HEAD-CHA-LA、へのへのカッパな気分で切り抜けていこう。

 鳥山先生、ありがとうございました。

文=成田全(ナリタタモツ)

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