崩れ去る「中流」の夢…。貧困が広がる中で生活困窮者バッシングはなぜ起こる?

社会

2017/6/15

『貧困クライシス 国民総「最底辺」社会』(毎日新聞出版)

「貧困」と聞けば、多くの人が衣食住に支障をきたし、生命が脅かされている状態を想像するだろう。そして、普通に生活している以上、そこまで困窮した人は見つけにくい。結果、貧困家庭はまるでファンタジーのように扱われ、名乗り出る者はとりあえず「本当に苦しんでいるのか」と疑いの目を向けられることになる。

 こうした日本特有の価値観が救いを求めている人々を追い込んでいるとNPO法人ほっとプラス代表理事の藤田孝典氏は指摘する。最新著作『貧困クライシス 国民総「最底辺」社会』(毎日新聞出版)でも、存在しないのではなく見過ごされているだけの貧困について、警鐘を鳴らす。日本人の「中流」幻想を打ち砕く内容はさまざまな場所で波紋を呼ぶだろう。

 貧困には「絶対的貧困」と「相対的貧困」があり、前述した極端な例は絶対的貧困に含まれる。しかし、今の日本に増えているのは憲法で保障されているはずの「健康で文化的な最低限度の生活」が送れなくなってしまう相対的貧困だ。本書では、「若者」「中年」「女性」「老人」というカテゴリーごとに現在進行形で起こっている相対的貧困の事例を紹介していく。

 ブラックバイトに就いてしまったせいで単位を落としそうになっても休ませてもらえない女子大生、親の介護のために離職し退職金を使い果たしてしまった中年男性、長時間労働が原因でメンタルを病んだのに会社から一切の補償がなかった非正規雇用の女性…。いずれも作り話ではなく、実名こそ伏せているものの、ほっとプラスに助けを求めてきた人々が経験した実話である。

 貧困にあえぐ人々に対して、世間の風当たりはあまりにも強い。2016年9月、某フリーアナウンサーがブログで人工透析患者を「自業自得」と呼び、自堕落な生活で病気になった患者は治療費を自己負担するべきという主張を訴えた。ブログは物議をかもしたが、同時に内容を支持する声も少なくなかった。しかし、藤田氏は「貧困と生活習慣病は諸刃の剣」として、ブログやその支持者に反論する。消費に余裕がないからこそ、安価でカロリーを得られるジャンクフードを頻繁に食べるようになる。また、企業から「使い捨て」にされる労働者ほど自分の体を大切にしようとは思わない。結果、生活習慣病が進行する可能性は高まる。

 他にも、生活保護の申請に行けば担当者から「どうして貯金もないの?」「どうしてもっと早く来なかったの?」と質問攻めに遭う傾向に疑問を呈す。こうした行政側からの圧力がますます生活困窮者を支援の場から遠ざけていくからだ。

 現状へと至るきっかけになったのが2012年、売れっ子芸能人の親族が生活保護を受給していたとして起こったバッシングである。報道は過熱化し、ついに生活保護基準が改正されるまでの事態となった。そして、生活保護申請者があたかも怠け者のように疑われる風潮を招いたのである。

 しかし、どうして人々はここまで本来守るべきである生活困窮者のバッシングに必死なのだろうか。それは今もなお「中流」の夢が残っているからだと本書は述べる。藤田氏によれば、生活困窮者を監視し、障害者やホームレスを差別する人間の多くは、他者を攻撃することで「自分はまだ下流ではない」と確かめているのだという。日本ではかねてから知的職業人を意味する「中産階級」と「中流」が混同され、自分を「中流」と思いたがる人が増えていった。日本人の「中流」への執着はすさまじく、2008年のリーマンショックを経て、2013年に実施した生活の程度に関する調査でも9割の国民が自らを「中流」と考えていることが明らかになった。

 「中流」の夢を引きずる以上、生活困窮者は現実と向き合えずに助けを呼べない。生活困窮者をバッシングする側も「下流」が身に迫っている現実から逃れようとしている。しかし、幻想を捨てて現実を素直に受け入れる心を持つことが、全ての人が住みやすい社会を作るのではないだろうか。2016年には改正国民年金法が成立するなど、低所得者層の将来は厳しいものになりつつある。藤田氏とほっとプラスの、福祉の意味を問い直す戦いは今後も続いていく。

文=石塚就一