「24時間テレビ」から「やまゆり園事件」まで…障害者自ら語る障害者論

社会

2018/3/24

『考える障害者(新潮新書)』(ホーキング青山/新潮社)

 あなたは“障害者”に対してどんなイメージを持っているだろうか。

 あまりオープンに語られない障害者について真っ向から論じている本がある。『考える障害者(新潮新書)』(ホーキング青山/新潮社)だ。著者はお笑い芸人のホーキング青山。先天性の病気により生まれたときから両手両足を使うことができない障害者だ。

 本書では、著者の実体験と障害者ならではの切り口で、障害者に対する考え方の矛盾や盲点を鋭く衝き、語っている。話題は「24時間テレビ 愛は地球を救う」や「乙武洋匡氏」、「パラリンピック」「やまゆり園事件」など幅広い。さらに、障害者を支える税金問題や障害者の労働参加といったタブーとされているようなテーマについても臆さず語る。

「24時間テレビ」について著者は、集められた寄付金による支援の功績を認めた上で番組に違和感があると語っている。番組では「障害者=聖人君子」という画一的なイメージのみしか描かれておらず、いろいろな障害者がいる面を伝えていないからだ。本書では番組に出演する障害者選びの基準とともに、影響力の大きい番組による障害者の偏ったイメージ付けへの懸念を訴えている。

 元職員だった男が入所者を襲った大量殺人事件「やまゆり園事件」はテレビでも数多く報道され、有識者たちが犯人の行動の背景や事件の原因などを探るさまざまな意見を述べていた。

 しかし、「保護者や職員への負担となっている障害者を生かしておく意味はあるのか?」「働くことができず、生産しない障害者を税金で生かしておくべきか?」という犯人の男からの挑戦的な疑問にきちんと反論できている意見はなかったと著者は言及する。

 そして、紹介されるのは「体は不自由な被害者だったけれど、いつも周囲を笑顔で癒していた」といった情緒的な話ばかり。笑顔を見せない偏屈な障害者に対してはどう思うのかといった話は出ない。そこには、美談志向とともに世間が持つリアルな障害者へのタブー感がある。障害者自身も周囲の人たちも自信がなく、皆、問題に意識的に背を向けているのだという。

 障害者との深い関わりがタブーとされる要因となっているのが 、“障害者のことがあまり知られていない”ことだ。知らないことが誤解を生む。しかし、自然に「知る」というプロセスも、お互いが歩み寄ろうとするプロセスもない。障害者が健常者と同じように社会参加をしたいと訴えれば健常者側は賛成し、「出来ることはやりますよ」と答える。しかし、健常者の本音ベースには「ハンデがあるから自分たち健常者と同じことはできないだろう?」という気持ちがあることは少なくないと著者は言及する。

 また、障害者に寄り添う健常者の存在が逆に障害者と社会を隔絶させてしまっていることもあるという。“特別な存在”の障害者を理解できるのは自分だけだという思いが悪い方に働き、障害者を守ろうと過剰に振る舞うことで結果として障害者を弱者にしてしまっている場合もあるというのだ。そして、専門知識のないボランティアの人たちによる行為に戸惑うことがあっても、そこに善意があるため、実際に役立っているかどうかを明確にすることは障害者にとってタブーなのである。

 大人として何となく、障害者を「平等」に「社会の一員」として扱おうとする。しかし、それは本気ではない。それは障害者にも伝わる。そうすると、障害者側の反感を買ってしまう。そして、そんなことを繰り返しているうちに、障害者なんて本当は特別なものでもなんでもないのに、気を遣う対象となり、一種のタブーになってしまっているのだろうというのである。

 ある時、著者は健常者から「障害者とどうつきあっていいか」という質問を受けた。しかし、たとえば「外国人とどうつきあっていいですか」なんてざっくりとした質問を外国人に聞く人はいないだろう。外国人といっても出身国や個人により、さまざまな性格がある。同様に障害者も、障害の種類も違えば、ひとりひとりで性格も違うのだ。だからこそ、お互いに“知る”ことが大切となる。本書では、実際に障害者が社会に出ることの難しい現状も述べた上で健常者だけではなく障害者からも胸襟を開いて寄り添うことの必要性を訴えている。

 本書で語られる障害者論は直球で刺激的に感じるところもあるかもしれない。しかし、多くの人が持つ固定的な観念を破り、広い視点で障害者の現状や本音を知る機会を与えてくれる貴重な1冊なのである。

文=Chika Samon