凡人でも人は救えるか? 生活保護のリアルを描く、救出系お仕事物語

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更新日:2018/8/27

『健康で文化的な最低限度の生活』(柏木ハルコ/小学館)

 人を助ける職業はたくさんある。医師、警察官、海上保安官などのプロフェッショナルな主人公が、危機に瀕した人をドラマチックに救う物語も山ほどある。この『健康で文化的な最低限度の生活』(柏木ハルコ/小学館)も、生活に困窮した人を助けようと主人公が奮闘する物語だ。ただ、このコミックが数多の救助系ドラマの中で異色なのは、「普通の人」が「普通の能力」で人を救うからだ。そしてそれは、この物語が生活保護というヘビーなテーマを扱いながらも、幅広く支持される大きな理由のひとつでもある。

 主人公・義経えみるは、社会人1年目、東京都東区・生活課に着任したばかりの新人ケースワーカーだ。生活保護の受給に関する業務を担う部署で、上司や先輩、同僚たちとともに、日々生活困窮者と向き合う。彼女たちがサポートをするのは、就労できない、シングルマザー、精神疾患、アルコール依存症などの理由で、「健康で文化的な最低限度の生活」のボーダーラインをさまよう人。ただ単にお金がないだけでなく、壮絶な過去や込み入った家庭の事情を抱えて複雑に困窮している、普通に暮らす上ではできれば関わりたくない人たちオールスターズだ。

 えみるは、幼いころから空気や相手の顔色が読めないタイプの女子。自分の欠点にすら気づかず苦労せずに育ってきたため、悪意なく人を呆れさせてしまう愛すべきイライラキャラだ。そんな彼女にとって、経済的に追い詰められた人たちの相手は難易度が異常に高くてストレスフル。苦戦し、失敗しながらも、持ち前の素直さで受給者に寄り添って困難を超えていく。

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 経験を積んで成長していくとはいえ、えみるはごく普通の、むしろ仕事ができるかといえばできないタイプの社会人1年生だ。何の資格も特殊技能も持たないえみるが、「相手に寄り添う」というシンプルな手段を最大の武器に、経済的にも生命的にもがけっぷちの人々を救おうとする。しかも、予算や時間や効率という、お役所的な制限の許す範囲内で。

 さらに、この物語で描かれる生活保護の問題は、ただお金を援助するだけで人が助かるというシンプルは話ではない。どんなに誠実に相手に寄り添っても救えないこともある。「家族の絆が一番」という美しい理想が裏切られることもある。シビアな現実と、生活保護を巡る淡々とした役所の仕事が描かれている点も共感しやすい。

 まっとうに仕事をして生きている人なら誰もが、「人を助けたい」というお節介心を少なからず持っていると思う。誰かの役に立つことが仕事のモチベーションになっている人も多いだろう。でも、みんなが映画のようにカッコよく人を救えるわけではない。だからこそ、等身大かそれ以下のちょっとおバカなえみるが、役所という小さな世界で、人間サイズの能力でどん底の人を助けたり、助けられなかったりするこの物語が広く共感を得るのだ。

 生活課を訪ねる人たちは、人間らしく生きられるか否かの瀬戸際に立っている。プラスもマイナスもない状況で危うく「生」を保っている彼らの言動や表情こそが、人間の正体を映している。生活保護を求めながらも、人間の尊厳が邪魔をしてケースワーカーに隠しごとをしたり、意地を張ったりとうまく立ち振る舞えない彼らがもどかしく、どこか愛おしくもある。思わず「もう、バカ!」と口走りたくなるのは、私だけじゃないはずだ。

 そしていつの間にか同じ感情が、えみるたちケースワーカーに対しても沸いている。一生懸命やっているつもりでも、一番大事なことに気付かず重大な事態を招くえみる。頑張る方向を間違えて、相手をさらに追い込んでしまう同僚。彼らにもまたどこかほっとけない魅力があり、それが読者のお節介心をくすぐってしまうのだ。

©カンテレ

 現在放送中のドラマ版では、ひとつひとつのケースがより丁寧に描かれて、物語が立体的な魅力を帯びている。受給者たちの背景や彼らに向かうケースワーカーの心情もさらに深掘りされていて、役者ひとりひとりの息遣いが、その迷いや喜びの感情を細やかに伝えてくれる。吉岡里帆が演じるえみるもまた、熱心だけど抜けていてほっとけない。制度や予算に厳しい現実派の係長・京極も、田中圭が演じれば、その持ち前のかわいげゆえに、いい感じに危なっかしい。

 このドラマのオープニングナンバーが、主演の吉岡里帆と同年齢のシンガー・安田レイが歌う“Sunny”だ。大胆なストリングスアレンジと共に、安田レイの伸びやかな歌声がラストまで駆け抜ける爽やかなサマーソング。晴天の河原を、自転車で受給者のもとへと走るえみるの姿と気持ちよく重なる。暗闇の先にある光を描く物語のオープニングで、大きな困難に立ち向かうえみるたちの背中を風のように優しく押す1曲だ。

 そんな疾走感の一方で、“Sunny”で歌われる歌詞は切実だ。毎日の中で感じる焦燥感や不安、無力感。それでも、《重くなった君の胸の奥の方がほんの少しだけ 軽くなっていたらいい》と、非力ながらも誰かのために生きたいと強く願う。

 自らの弱さや苦悩さえ赤裸々に綴るこの曲に、前をまっすぐ見据えるポジティブな力と強い意志がみなぎるのは、安田レイの華やかながらも芯のある歌唱ならでは。スーパーヒーローでも天才外科医でも敏腕弁護士でもない、誰かの人生を劇的に変えることはできないけど、《太陽が笑う日に 一緒に笑っていれたらいい》という穏やかな欲求を持つ、すべての平凡な仕事人と共に鳴り続ける名曲だ。

文=川辺美希