関係が意味を作る――社会学から生まれた概念「社会構成主義」って?

社会

2018/11/8

『現実はいつも対話から生まれる 社会構成主義入門』(ケネス・J・ガーゲン、メアリー・ガーゲン:著/ディスカヴァー・トゥエンティワン)

 人は物事の解釈を自身の立場や文化などを通してしか行えない。ゆえに起きたことが同じでも、何が真実かは人によって違う。だから互いのバックグラウンドを理解し、自分とは異なる視点を持つことが大切である、というようなことはよくいわれる。

「社会構成主義」という社会学から生まれた概念がある。社会構成主義では、前述のような考えを踏襲しているが、そのうえで「関係」が「意味」を作るとしている。

私たちが「現実だ」と思っていることはすべて「社会的に構成されたもの」です。もっとドラマチックに表現するとしたら、そこにいる人たちが「そうだ」と「合意」して初めて、それは「リアルになる」のです。

 民主主義社会では自己責任による個人の自由が尊重されるため、私たちは「関係」よりも「個人」を優先しがちだが、社会構成主義のいわんとすることは何なのだろうか。それを本書『現実はいつも対話から生まれる 社会構成主義入門』(ケネス・J・ガーゲン、メアリー・ガーゲン:著/ディスカヴァー・トゥエンティワン)から紐解いてみよう。

 社会構成主義は、「意味」の「源」を、「個人」から「関係」へと置き換えることを支持している。それは、関係という視点が「真実だから」なのではなく、この構成に足を踏み入れることによって、私たちは、新しく、そしておそらくは、より有望な「行動」を生み出せるかもしれないからだ。

 以下の提案について考えてみてほしい。

1.個人の発話自体は、何の意味も持たない
 男性がある女性とすれ違ったとき「やあ、アンナ」と声をかけたが、女性は無言で通り過ぎた。彼は確かに2つの単語を発したが、この状況では、彼が無意味な2つの音節を選んだ場合や何も言わなかった場合と大した違いはない。彼はたったひとりでは、何の意味も生み出すことはできないのだ。

2.意味の可能性は「補足的な行動」を通して実現される
 人の発話は、他者が応答して初めて意味を持つようになる。つまり、他者が「補足的な行動」を加える時だ。先の例で、もしアンナが「おはよう」と答えたならば、彼の言葉を「挨拶」に変えたことになる。コミュニケーションを取るということは、「相手」の側に「意味を与える」という特権があるのだ。

 以上の2つの提案を組み合わせると、「意味」は「個人」のどちら側にもなく、彼らの「関係の中」にだけ存在する、ということがわかるだろう。

「関係」の視点に立つと、個人的で私的な「頭の中」の事象だと思っていたこと――思考、感情、計画、欲求など――のすべてを、根本的に「関係」的なものとして「再・構成」することができる。

 もし私たちがこの「再・構成」に成功したら、自分自身のことを孤立しているとか、根本的に利己主義だとか、競争している他者から危険を感じたりしているなどとはもはや思わなくなるだろう。「自己 対 他者」が、「他者 を通した 自己」になるわけだ。

「関係」の中からこそ、私たちが「本物だ、理に適っている、価値がある」とするあらゆるものが生まれる。「関係」に重点を置く意義はとても大きい。そうすることで、人間関係から教育、政治、法律にいたるまで、制度の多くを見直すことを促すからだ。

 社会構成主義は個人主義を否定するものではない。しかし、個人主義から社会構成主義へ視点をシフトすることによって、解決できる問題はけっこうあるのではないか。本書には、組織、学校、治療、研究での社会構成主義の実践についての考察があるので参考になるだろう。

 社会はどんどん多様化している。しかし、基準となるような、だれもが納得する唯一無二の「超越した真実」などない。だからこそ、対立からコミュニケーションへ置き換えることのできる社会構成主義は、大きな可能性を秘めているように思う。

文=高橋輝実