【サッカー日本代表監督を振り返る】歴代監督人事にどんな意味があったのか?

スポーツ・科学

2018/12/8

『日本サッカー代表監督総論』(戸塚 啓/双葉社)

 サッカーファンなら「ジーコジャパン」「ザックジャパン」といった表現にはなじみがあるだろう。日本代表チームをメディアが報道するとき、「監督名+ジャパン」で呼ぶことが通例となっているからだ。もちろん、こうした呼称はほかのスポーツの報道にもある。しかし、サッカーについては特に傾向が強くないだろうか。

 監督がチーム名に冠されるのは、「日本のサッカー」が定まってこなかった証でもある。世界の強豪代表チームを見れば、監督が誰だろうとベースとなるサッカー観に大差はないことがわかるだろう。2018年のロシアW杯を経て、ようやく日本代表は核とするべきチームの形を見出せるようになった。『日本サッカー代表監督総論』(戸塚 啓/双葉社)は、歴代の代表監督の分析を通して、「日本のサッカー」を模索する過程を振り返る一冊である。

 さて、「日本のサッカーが定まってこなかった」と書いたが、協会は何も手をこまねいていたわけではない。1992年、オランダ人のハンス・オフトが代表監督に就任してから、すべての監督人事には意味があったといえる。オフトはアジア予選の土壇場でアメリカW杯の切符を逃したが、日本人に世界では基礎とされている組織的なプレーを伝授した。本書では、その後の監督人事が「前任者に欠けていた要素」を補うことを重視していたと語られていく。

 たとえば、オフトの後に日本代表を率いたパウロ・ロベルト・ファルカンには「修羅場の経験」が求められた。ブラジル代表としてW杯を経験したファルカンなら、アウェイでも物怖じしないだけのメンタリティを授けられると期待されたのだ。秩序を重んじ、代表選手を生徒のように扱ったフィリップ・トルシエの後任はジーコだった。ジーコは選手の主体性に任せ、自由で攻撃的なサッカーを構築しようとした。

 わかりやすいのはアルベルト・ザッケローニの後任となったハビエル・アギーレ、ヴァヒド・ハリルホジッチの流れだろう。ザッケローニの代表チームは歴代でも1、2を争うほど魅力的な攻撃サッカーを披露した。しかし、ポゼッション(ボール支配)にこだわるあまり、別の戦術プランを用意できず、ブラジルW杯では結果を残せなかった。そこで、攻守の切り替えを重んじるアギーレに白羽の矢が立ったのである。アギーレがトラブルによって解任されても、協会は「日本人にない要素」を指導できる監督にオファーした。ハリルホジッチの戦術的な2本柱は「デゥエル(競り合い)」と「タテへの速さ」だった。いずれも、これまでの日本代表が慢性的に抱えてきた弱点である。

 しかし、代表監督が協会の思惑通りにチームを強化できるとは限らない。本書は現実と理想のギャップにも言及している。たとえば、ジーコのチームではもっとも主体性を発揮した中田英寿がチームメイトから「特別扱い」とみなされ、孤立してしまった。ハリルホジッチは縦パスに固執するあまり、時間帯によってはボールをキープしたい選手たちとの感覚に溝ができてしまった。著者は、内戦地帯で育ってきたハリルホジッチからすれば、日本人選手が「ナイーブ」に映った可能性も述べている。

 実のところ、ハリルホジッチ監督のすべてが悪かったとは言い切れない。事実、ロシアW杯初戦、コロンビア戦の先制点は彼が口をすっぱくして言い続けてきた「タテの速さ」が実った形だったからだ。では、ハリルホジッチと後任の西野朗監督にはどんな差があったのか。

 本書の終盤は、「日本人監督」が代表にもたらすメリットについての考察となっている。そして、日本人である西野監督のもとで、「日本のサッカー」が明確になったことも読み飛ばせない。西野監督の後、森保一監督が東京五輪代表チームと兼任し、チーム作りを進めている。日本人監督が代表にもたらす化学反応は、本書を踏まえるとより見えやすくなるだろう。

文=石塚就一