父親がアルツハイマー型認知症になったら? 娘の視点で家族関係をユーモラスに描く感動の物語

小説・エッセイ

2019/6/2

『さようなら、ビタミン』(レイチェル・コン:著、金子ゆき子:訳/集英社)

 アルツハイマー型認知症。脳の神経細胞が徐々に減って脳が萎縮していくこの病気は、主な症状としては物忘れが激しくなることで知られている。中には、夜しっかりと睡眠をとっても疲れが取れなかったり、物によくぶつかったりするようになる人もいるという。もし、自分の父親がアルツハイマー型認知症と診断されたら一体どうすれば良いのだろう。

『さようなら、ビタミン』(レイチェル・コン:著、金子ゆき子:訳/集英社)の主人公ルースは、父親の病気を機に実家に戻り、両親とともに生活を送るようになる30歳の女性。母から「せめて1年、一緒に暮らしてもらえないか」と頼まれ、これまで働いていた職場を辞めて両親の許へと戻ってきたのだ。ルースの父親は大学教授だったが、病気を発症後は講義の日付を間違えたり、同じ内容の講義を繰り返したりして実質大学を追い出されることとなった。

 ある日、父の助手だったというシオからルース宛に電話がかかってきて、父親に再び講義を受け持ってもらいたいと話す。正規の授業扱いとはならないが、ぜひ父の講義を受けたいという学生がいるというのだ。かつて父とライバル関係にあった教授からは、もし父親を大学構内で見かけたら警察に通報せざるをえないといわれている中、ルースとシオは父に再び教鞭を執らせようと奮闘する。

 ルースがシオに協力するうちに、彼女の父親に対する気持ちは徐々に変化していくことになる。学生たちに必要とされる父親は、ルースが知っている父親とは異なっていたからだ。病を発症する前、父親はある女性と不倫関係に陥り家庭内が荒れた時期があった。その当時ルースはすでに家を出ていたが、家にいた弟のライナスは成人した今でも父親を許せないでいる。ある日、ルースが部屋を片付けていたときに偶然見つけた両親の署名がされた離婚届からも、家族の関係が壊れつつあったことが見て取れるだろう。

 本書の特筆すべき点は、そんな家族問題とアルツハイマー型認知症という一見重いテーマを扱っているにも拘わらず、物語全体に暗い印象をまったく受けないことだ。むしろ、一種の清々しさまで感じることができる。母親は父親の病気を機に一切の料理をやめ、とにかくビタミン剤に頼るようになるのだが、そのくだりもユーモアに富んでいて、ついクスッと笑いがこぼれる。

 物語によく出てくるのが、ルースの元婚約者・ジョエルとの思い出だ。彼に好きな人ができたことから2人は別れたが、ルースはまだジョエルのことを完全には吹っ切ることができないでいた。しかし、一緒に暮らした街を離れて実家に戻ったことで気持ちに変化が訪れ、彼と過ごした時間をどこか客観的に受け止められるようになる。人生には良いことも悪いこともさまざまな出来事が起こるが、現実を受け止めながら自分らしく生きているルースや父親の姿に勇気をもらえるだろう。

 本書では、ルースの子ども時代の思い出を父親が記録していたノートが登場する。幼い娘の何気ない言動を記録したノートだが、その中には娘の無邪気な視点や、それに感動する父親の愛情が深く記されているのだ。成人してからほとんど父親との交流がなかったルースにとって、ノートの中の親子はとても新鮮に映ったことだろう。

 父親の病が、家族同士の関係や別れた恋人への思いなど、ルースの人生を大きく変化させる転換点になったことはいうまでもない。日記形式でまとめられた散文的な美しい文章も魅力的な本書を、ぜひ手に取っていただきたい。

文=トキタリコ