「こんな気持ちは生まれてはじめて」夫のいる女教師と女性バー店員のおとなじゃない、ほろ苦百合物語

マンガ

公開日:2019/11/17

『おとなになっても』(志村貴子/講談社)

 社会人になると途端にときめく出会いから縁遠くなってしまう、と知ったのは、当然だが社会人になってからだった。歳を重ねるごとに、将来を見据えた、堅実な関係性を考えてしまっている自分に気づく。もう学生のときのような、なりふり構わなかった頃の自分には戻れないのだろう、と思うと少し虚しくもなる。

 …なんて思っていたが、先日発売された志村貴子著『おとなになっても』(講談社)を読んだら、少し考えが変わってしまった。もし自分がいま誰かと恋に落ちてしまうことが起きたなら、きっと若かったときと同じように、愚かな言動を繰り返してしまうのかもしれない、と。

 物語の主人公は、小学校の教師をしている綾乃と、彼女が行きつけにしているバーで働く朱里のふたり。仕事が忙しくなかなかバーに行けていなかった彼女は、ある日久しぶりにひとりで立ち寄る。1カ月前からバーで働き始め、その日は休みのため客として来ていた朱里は、カウンターの隣に座った綾乃に気さくに話しかけ、初対面ながらもすぐに打ち解けてしまう。

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 そして、女性が好きだという朱里に、綾乃はまるで気にしないそぶりでキスをする。次会う約束をして別れたふたりは、これ以上ないほどに順調な恋愛模様を描きそうであったが、しかし数日後に綾乃がバーに「夫」を連れてきたことで一気に物語は予想外の方向へと展開していくのであった。

 既婚者である綾乃は、今まで女性を好きになった経験はなかったが、朱里に出会ったその日から、タガが外れたように「恋」をし始めてしまう。

 穏やかで特に悪い部分もない夫との平穏な生活。そこに訪れた、突然の歪み。綾乃は、それをひとりで抱えきれず、夫に軽率に言いそうになったり、夫がいることを知って傷ついた朱里に対して縁を切ることもなく、むしろまだ想いを寄せていることを伝えたり、「いい大人」とは思えないような言動ばかりを繰り返していく。恋は盲目というが、さすがに残酷だ。

 一方で、朱里はいたって冷静だ。30代半ばともなれば、さまざまな恋愛経験も積んでいる。好きになった相手が既婚者であったり、自分を捨てて異性と結婚したり、そういうことは朱里にとっては決して珍しいことではなくなっていた。そして、裏切られたようなショックはありつつも、朱里自身の想いも冷めてはいなかった。既婚者であると知ってもまだ、綾乃との関係を続けたいと思っている。

 綾乃は、初めて女性を好きになったことを「あなただからそう思った」「こんな気持ちは生まれてはじめて」といった表現で伝えるが、朱里にとってはそれは今まで散々他の女性からも言われてきた言葉だった。もし若ければ、それはとっておきの告白になったかもしれないが、朱里にとっては「テンプレートでもあるのかしら」「聞き飽きました」となるあたりが、この作品のちょっとビターなところである。

 しかし、いわゆるどろっとした「不倫」ものという感じはなく、作品自体はあくまでピュアで初々しい空気感だ。それは、彼女たちがどちらも、まるで高校生の初恋のときのようなときめきや、感情の起伏や、幼さの見える言動や表情を見せるからだ。大人になっても子どものときと変わらないような態度で、恋をしたり怒ったり泣いたりしてしまう。まったくスマートじゃないが、でも、これこそが恋だよな、とも思う。恋には人を幼くする作用でもあるのだろうか。

 三十代半ば、もうすぐ四十路も見える頃、これほどまでに頭をいっぱいにしてくれるような相手と出会うことは、はたから見たら幸せだ。どう転んでも、誰かが悲しい思いをしてしまうことは明らかである物語だが、一読者としては、どうかこの恋の芽生えが綺麗な形で花開いてほしい、とつい願ってしまう。

文=園田菜々