「ステキな夫婦」が危ない理由とは? 夫婦関係における“3つのたしなみ”

暮らし

2020/2/17

『長生きしたいわけではないけれど。』(曽野綾子/ポプラ社)

 世の中には情報があふれている。テレビやインターネットからは匿名の意見も流れてきて、そういうものを見るたびに、自分の考えを見失ってしまいそうになる。たとえば、昨今話題の「芸能人の不倫」。しょせん他人の色恋沙汰だし、よそのおうちの夫婦のことだ。自分では「当人同士で勝手にやって」と思っていても、バッシングに触れるうちに、「『不倫はダメ』って言わなきゃまずいのかな」などと考えるようになる。もっともらしいご意見番の言葉にも影響されて、自分の足場はどんどん揺らぐ。

 そんな騒がしい時代を生き抜くヒントをくれるのが、『長生きしたいわけではないけれど。』(ポプラ社)。88歳である著者の曽野綾子さんは、作家として世界を見聞きし、公職を歴任しながらみずからの生き方を見出してきた、いわば「人生の達人」だ。本書では、老いや孤独、終活などについて、人生をおだやかにまっとうするための極意はもちろん、彼女と同業の夫・三浦朱門さんと過ごした日々を通して得た「夫婦関係におけるたしなみ」も紹介している。その一例を見てみよう。

■「夫婦がつくる家庭はどこも凡庸である」

「家庭というものは、ことごとく未完成である」と曽野さんは言う。大統領の家だって総理大臣の家だって、夫婦の作る家というものは凡庸だし、非凡であれば、非凡であるという点で苦しむだろう。曽野さんは、死ぬまで未完成な夫婦関係を捨てて、情熱的に生きることも検討してみたうえで、それは「私のような性格にはあまり似つかわしくない」と感じ、凡庸な生活を大切にしようと思ったそうだ。

しかし又、言い方を変えれば、凡庸な生活を続けるということも、それほど楽なことではないかもしれない。どんな平凡な夫婦でも、二十年、三十年、いやひょっとすると五十年を暮らすには、大人げや、哀れを知る心や、明るい諦めや、さまざまなものが必要であろう。

■「『ステキな夫婦』が危ない理由」

 世に「ステキ」と言われる夫婦は、どこか危機感をはらんでいる。美しいから、稼ぎがいいから愛するのであれば、年老いたり弱みを見せたりすることになったとき、夫婦は相手を捨てることになる。ところが、「滑稽な夫婦」は弱点がむき出しだ。

その弱点を愛してしまったら、他にどんな立派なきれいな女、二枚目の男が現れようとも、夫婦はめったなことでは心をうつされないのである。

■「家族でも立ち入った無作法は禁物」

 曽野さんは、聖書の勉強をしていて、愛の特徴のひとつとして「礼を失せず」と書かれているのを読んだとき、ひどく驚いたという。それまで彼女は、家庭というものについて「気楽さがいい」と考えてきたが、それは間違いだと思い知らされたというのだ。

私たちは、多分一生、誰にも甘えて無作法をしてはいけないのである。そんなこと疲れるでしょう、と言う人もいるが、むしろきりっと気分を張り詰めて、配偶者にも成長した子どもにも(中略)、立ち入りすぎた非礼をなさない、と決心する方がかえって楽なのかもしれない。

 そう考えると「酒を呑みすぎてべろべろに酔うのも、服装に無頓着なのも、愛がないことになる」という。その解釈を「新鮮」だという姿勢こそが、彼女が「人生の達人」と評される理由ではないか。

 さまざまなテーマについて、コンパクトにまとまった文章で検討していく構成は、じっくりと読むにも、手の空いた時間に少しずつ読むにも適している。情報や他人の意見が氾濫する現代を、自分らしく生き抜くための必携の書。心おだやかに人生を楽しむために、ぜひ手にとってほしい一冊だ。

文=三田ゆき