共依存という名の恐ろしい「支配」とは――実は、韓国ドラマ『冬のソナタ』は純愛ではなく共依存だった?

暮らし

2020/3/28

『共依存 苦しいけれど、離れられない(朝日文庫)』(信田さよ子/朝日新聞出版)

「共依存」と聞いて、なにを思い浮かべるだろうか。夫から暴力を受けながらも離れられない妻、子どもに過干渉・過保護な母親。「自分は共依存だ」と自覚している人もいるかもしれない。1980年代初めにアメリカで生まれ、1980年代末に日本でも使われるようになったが、様々な精神病理を抱える現代人にとって、いまや身近な言葉のひとつと言える。

 元々は「アルコール依存症者の妻」に対して命名された言葉で、『共依存 苦しいけれど、離れられない(朝日文庫)』(信田さよ子/朝日新聞出版)には、それにとどまらない共依存の例、それらがなぜ生じるのかが、詳細に綴られている。

 その例のひとつがなんと、韓国ドラマ『冬のソナタ』である。チェ・ジウ演じるユジンと、ペ・ヨンジュン演じるチュンサン(ミニョン)の純愛は、多くの女性の心を鷲づかみにした。しかし著者はこの純愛を「共依存」であると指摘する。例えば有名な以下のシーン。

(雪原の中、ミニョンの後ろからユジンがついていく。降雪機が大きな音を立てて動いており、真っ白な雪が雨のように降っている。)

ユジン「どうしてここに?」
ミニョン「ユジンさんが来たかったのは、こんなところじゃありませんか?」
ユジン「?」
ミニョン「ユジンさん、今、泣きたいと思ってますね?」
ユジン「……」
ミニョン「…さあ行って。思いっ切り泣いてください。ユジンさんの泣き声は全然聞こえませんから、思いっ切り泣いてください。いいですね?」

 ミニョンはユジンに優しく質問を繰り返す。それはあたかもユジンの意志を尊重しているかのように思える。しかしよく読むと、ミニョンは質問しながら結論はミニョン自身が出しており、それでいて主語はたえずユジンになっている。つまり、「ミニョンがユジンの気持ちや考えに入り込み、代弁し、ユジンに成り代わって判断している」のだと、著者は分析する。ミニョンは、アルコール依存症の妻を献身的にケアする夫(共依存)と似ている。

 ユジンを巡り、ミニョンと争うのがパク・ヨンハ演じるサンヒョクである。サンヒョクはユジンに「チュンサンを忘れろとは言わない」と言う。これは、チュンサンを忘れなくてもいいという許可であり、命令である。サンヒョクはユジンの記憶に対する許可を与える存在であり、そこにはある種の「支配」がうかがえる。

 共依存というと、依存する側もされる側も「あなたなしでは生きていられない」といった“対等な”依存を想像しがちである。しかし著者は、「共依存は、弱者を救う、弱者を助けるという人間としての正しさを隠れ蓑にした支配である」という。多くは愛情と混同され、だからこそ共依存の対象はその関係から逃れられなくなるのだ。

 思うに、人間はだれしもなんらかの形で、他者を支配し、支配されている生き物ではないだろうか。その支配はもしかしたら、共依存と呼ぶべきものかもしれない。「ひょっとしたらわたし(俺)も……」と思った人は、ぜひ手に取ってほしい一冊だ。

文=尾崎ムギ子

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