ヤクザが失った“侠気”――元山口組系組長が語るぶっちゃけ話とは

社会

更新日:2021/1/18

山口組ぶっちゃけ話
『山口組ぶっちゃけ話』(竹垣悟/清談社Publico)

 日本最大級の暴力団として、多くの人がその名を耳にしたことがある「山口組」。とくに近年では、山口組から「神戸山口組」が割って出たことに端を発した分裂抗争が激化し、大きな注目を集めている。現在も組員が射殺されたり、神戸山口組から「任侠山口組(後に絆會)」が再分裂するも解散したりと、状況は目まぐるしく変化しているようだ。

『山口組ぶっちゃけ話』(竹垣悟/清談社Publico)には、世間の耳目を集めている山口組の軌跡が綴られている。

 著者は、かつて山口組系組長を担い、現在はNPO法人「五仁會」の代表を務め、暴力団員の更生を支援している竹垣悟氏。

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 竹垣氏は、少年時代に観た東映の任侠映画の世界に憧れてやくざの世界に飛び込み、“侠(オトコ)”を磨き続けたという。しかし彼は「いつの間にか、やくざは『暴力団』という犯罪集団に変わり、侠が侠として生きられない世界になってしまった」と現状を嘆く。

「その昔、やくざは侠客と呼ばれ、街の治安を守る人気者だった。
 困っている人を見れば黙っていられず、そのためには財を投げ出し、時には命までもなげうって庶民を守ったのである。(中略)
 やくざは侠客になるべきである。
 私が現役時代には侠客と呼ばれるやくざがまだ多く存在していた。」

 はたして“侠客”とは、どのような人物を指すのか。そのひとりが、竹垣氏が「本物の侠」と表する故・四代目山口組竹中正久親分だ。竹中氏の侠気が窺えるエピソードのひとつが、福岡事件。

 1962年、三代目山口組内石井組舎弟の平尾国人が、博多で何者かに射殺されて死体となって発見された。それを受けて、山口組は傘下の組織に「九州動員令」を発令。その前年に山口組の直参(※)になっていた竹中組からも、選抜された10人が福岡に向かったという。
(※)…組織のトップから直接「盃」を受けた組員のこと

 山口組の大量動員を嗅ぎつけた福岡県警は、山口組組員が滞在する旅館を急襲。拳銃の所持を確認し、その場で組員たちを次々と検挙していくなか、正久親分だけは“逮捕状の提示”を要求して客室に籠城。強制逮捕されるまで、抵抗を続けて「一角の意地(それ相応の意地)」を見せたという。

「だが、竹中組が真価を発揮したのはむしろそのあとだった。警察の取り調べに正久親分のみならず組員全員が否認を通したのである。
 竹中組の組員は日ごろから「ウタうな」と口を酸っぱくして親分に教えられている。その教えを忠実に守ったのだ。
 組員たちの否認は勾留期限ギリギリの二十二日間におよび、困り果てた検察官は「誰でもええから竹中組から責任者をひとり出してくれ。さもなければ全員起訴する」と妥協するしかなかった。
 これを正久親分は呑み、ただひとり福岡拘置所に残ることで組の被害を最小限に食い止めたのである。」

「ウタう」とは警察に自白すること。バラバラに勾留されていても組員たちは鉄の掟を守り、それを見届けた正久はひとり拘置所に残った。竹中伝説としても有名なこのエピソードは、正久親分の人望の厚さを物語っている。

 そのほか、2019年11月に発生した三代目古川組元総裁・古川恵一銃殺事件の真相や、1984年8月から1989年3月に起きた「山一抗争」の裏側など、時代の転換期を象徴する出来事に深く切り込んでいる。とくに抗争中の描写は、任侠映画さながらの迫力で綴られている。

 同書には、竹中正久親分との交流をはじめ、闇社会の帝王・許永中と交わした書簡など、竹垣氏でなければ語れない“ぶっちゃけ話”が多数掲載されている。侠たちの生き様を通して、任侠とは何か、やくざとは何か、その答えを探るヒントがわかるかもしれない。

文=フクロウ太郎

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