「アルツハイマー病」治療薬の開発史に見る、創薬への挑戦

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更新日:2021/5/7

アルツハイマー征服
『アルツハイマー征服』(下山 進/KADOKAWA)

 新型コロナウイルスのワクチンの早期接種を望む声がある一方、テレビやネット上には、開発期間の短さから安全性をことさらに疑問視する声もある。また、どうして日本の製薬会社はワクチンの開発に名乗りを上げないのかと残念がり、それを日本の社会制度の問題とする議論もあるようだ。そんな問題意識で読み始めた訳ではないけれど、この『アルツハイマー征服』(下山 進/KADOKAWA)には、薬の開発にまつわる多くの知られざる事情が詰まっていたので取り上げてみたい。

 50パーセントの確率で遺伝し、その遺伝子変異を受け継ぐと100パーセント発症してしまい、現在のところ治療法も確立していないという「家族性アルツハイマー病」。アルツハイマー病の解明は、この家族性アルツハイマー病の家系の人々の苦しみの上に築かれた、のだという。この病気は1960年代まで、ほとんど顧みられることがなかった。記憶力が落ちるのは「老化にともなう自然現象」と考えられていたし、日本でも当時の平均寿命が男性で65歳、女性でも70歳だったため、「発症する前に多くの人は他の要因で亡くなっていた」からである。

 しかしこの時期に電子顕微鏡が実用化されたことにより、亡くなった患者の脳細胞を観察できるようになって状況が一変する。光学顕微鏡の倍率の限界が400倍なのに対して、電子顕微鏡は100万倍もの倍率なのだが、実は100年近く前のドイツにおいて光学顕微鏡を使い患者の脳細胞をスケッチした医学者が、この病気をすでに精神医学会に発表していた。神経細胞の中に「ひとだまのような塊」と、神経細胞の外には「シミのような斑点がみられる」と報告した医学者の名前こそ、アロイス・アルツハイマー。発見から100年が経過してようやく、そのスケッチの意味するところが分かり研究が動き出したのだ。

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「創薬」にはお金がかかる

 いきなり下世話な話でなんだが、薬剤を発見したり設計したりする「創薬」には莫大な費用がかかる。1983年から研究を始めていた日本の製薬会社の一つエーザイは、アルツハイマー型認知症を「8ヶ月から一年半進行をくい止めるという働きの薬」である『アリセプト』の開発に成功すると、1994年にアメリカのファイザー社と契約して販路を確保し、FDA(アメリカ食品医薬品局)の承認を経て、翌年に発売(日本では1999年)にこぎつけたという。

 実に10年以上を要した訳だが、実はその前にも痴呆を改善させる薬の開発に取り組んでおり、その薬は8年間に8億円をつぎ込み、結果は失敗だったというから、悲願の達成だ。研究のグループ長であった杉本八郎氏は、上司から「はっちゃん、八億円かかったんだから、お金返してよ」と言われたそうで、アリセプトの開発はリターンマッチでもあったのだ。

お金のためにデータを……?

 研究者はなにも、功名心から研究に取り組んでいる訳ではない。理由は人によって様々だろうが、杉本氏は1973年に認知症を発症した母親を助けたいという願いから創薬に取り組んでいた。残念ながら母親は1988年に亡くなってしまったものの、研究をアルツハイマー病に切り替え、「この病気で苦しむ人々とその家族に薬を届けたい」と思い研究を続けたのだと本書では述べている。

 だが、研究にはお金がかかる。1991年、総合科学雑誌として権威のある「ネイチャー」に、「人間のアルツハイマー病で起こる変化がマウスでも起こっていることを確認した」とする海外の研究者の論文が掲載された。それが本当ならば、マウスを病理解剖することで研究にはずみがつく。しかし、論文に使われている写真は人間の脳だった。何故そんな偽装をしたのか研究者の消息は不明となり分からないが、著者の取材によると例えばアメリカの場合、研究費は1年ごとではなく数年単位で支給されるというから、研究費のため、という可能性はあるかもしれない。

開発や研究のお金は誰が負担するのか?

 2009年にはアリセプトの特許料だけで3,228億円もの売上があったエーザイだったが、続く新薬を開発することができないまま特許切れを迎え、事業や製品を売却せざるを得なくなってしまう。また、ファイザーも神経科学の新薬開発からは撤退してしまった。製薬会社が大儲けしているなんていうのはとんでもない誤解で、もとより資金力のある企業でなければ薬の開発など無理なことだという。そのため、本書によると開発途中で研究ごと他社に売却するのは珍しくないようだ。そしてFDAなどの承認機関も、さらに追試をするよう製薬会社に差し戻した場合、開発を断念してしまうのではないかと危惧するほどだという。薬は、発売後にも未知の副作用が発現しないかなど研究を続けるのが常であるから、どの時点で承認するかは悩ましい問題でもある。また、アルツハイマー病は「発症の前」が重要なのではないかと考えて研究している科学者もいる。しかし、仮に発症を防ぐ薬が開発されたとして、使用する費用は誰が負担するのか。感染症と違い、誰もがなる病気ではない。それでも本書では、発症後にかかる介護の費用を考えれば、検討するべき課題だと指摘している。だからこそ薬の開発には、多くの人々の理解が必要なのだ。

文=清水銀嶺

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