焼肉の流儀/絶望ライン工 独身獄中記⑩

暮らし

公開日:2024/1/10

絶望ライン工 独身獄中記

世の中はやれヴィーガンだ、LGBTだ、南北統一だ、インボイスだ、ODアムネジアだと新しい価値観の押し付け合いに終始する相変わらずの様子である。
日々人の心は移ろい、奔流に立ち向かい時に流され、それでも懸命に生きていく。
夜のビルに燈る灯りを見る度、皆それぞれ自分の暮らしが、人生があるんだなと不思議な感覚になる。
東京は巨大な草原のようだ。
蒼い草原で風に揺れる小さなひと葉、それが我々庶民である。

庶民だとか、平民、民衆とかの言葉は実に安定感があって好きだ。
なんていうかすごくニュートラルな感じがします。
私は自分を圧倒的庶民だと思っているし、この暮らしをとても愛おしいと感じている。
我々庶民のちょっとした贅沢。
日帰り小旅行や回転寿司、ホテルの朝食バイキング、そしてやっぱり焼肉です。

焼肉はいい。大勢で食べても、独りで食べても旨い。
店に行くのもいいが台所焼肉を特に好む。
給料日に肉のハナマサでハラミを買い、台所でビールを飲みながらフライパンで焼く。
ジュージュー音を立てながら程よく焦げついたそやつを、甘辛い焼肉のタレとともに炊いた飯に乗っけて食う。すごく旨い。幸せだ。
この幸せは、他の料理では味わえない唯一無二であると感じる。

ただ、店で誰かと焼肉を楽しむ場合は以下に留意しなければならない。
焼肉には後述する2つのプレイスタイルが存在し、それらは決して相容れないもの。
フィールドの空気を読み、今夜の焼肉がどちらのスタイルかを瞬時に判断できてこそ、一流の焼肉プレイヤーであると私は考えます。

■スタンドプレイ焼肉
親しい間柄の友人、配偶者、パパ活おじさんなど、利害が一致するフィールドで発生するプレイスタイル。
自分が食べる分は自分で注文し自分で焼く。
間違っても「焼けたよ」などと言って肉を網から人の皿に移してはいけない。
肉の焼き加減やペースを自分でコントロールすることができるため、人道的で倫理観ある焼肉を楽しむことができる。
ユッケと韓国海苔でひたすら飲みたい人、序盤から上ロースでどんぶり飯をかっこみたい人、ホルモンとミノしか食べたくないマン、豚足マン、ポッサムキムチ厨、網交換厨など違った価値観の人種に平等に人権がある一方で、会計がハネ上がりがちになる脆弱性も有する。

■チームプレイ焼肉
主に職場やクラブ活動など、上下関係のあるフィールドで発生するプレイスタイル。
チームプレイとは名ばかりで、その実態は身分の低い卑しい者がひたすら肉を焼き続け、身分の高い者がそれを食べるといった現代の奴隷制度である。
友人同士でもプレイ人数が増えれば増えるほどこのスタイルに収束していく。
カルビロースタン、野菜、魚介とバランスよく注文されどんどん焼かれていくため支配レートが高く、自由度を犠牲にする代りに回転効率を稼ぐことができる。
女性がサラダやスープを取り分けざるを得ない空気感を作り、場の緊張感を高める「サラダ・プレッシャー」といった戦術や、取り分けてもらったにも拘わらず盛り付け方に文句を言い「女子力ないな~笑」などとイジって笑いを取ろうとする「セクシャル・ハラスメント」が有名である。
女性が一方的に不利とも思われるチームプレイ焼肉だが、近年ではそれらを逆手に取った新しい戦術も生まれた。
会社の忘年会を焼肉店のコースで予約し、乾杯と同時に女性社員総出で一気に全部焼いて取り分け、飲み会を最短で強制終了させる「カウンター・インフェルノ」は、まさに革新的なシステムと言える。

スタンドプレイ焼肉とチームプレイ焼肉、両者一長一短であるが、これら焼肉に限らず世界情勢を現わしているとも言える。
個人の責任により会計時の差が生まれるスタンドプレイ焼肉は資本主義のようだし、肉が平等に分配される代わりに自由が制限されるチームプレイ焼肉は、さながら社会主義思想そのものだ。

尚、本稿は決してとある地域の緊張状態を揶揄するものではない。
決して。

<第11回に続く>

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絶望ライン工(ぜつぼうらいんこう)
41歳独身男性。工場勤務をしながら日々の有様を配信する。柴犬と暮らす。
絶望ライン工ch :https://www.youtube.com/@zetsubouline