HOMEMADE家族・KURO処女作『マン・イン・ザ・ミラー 「僕」はマイケル・ジャクソンに殺された』/第1話

エンタメ

公開日:2019/4/1

 ヒップホップグループ「HOME MADE 家族」のメンバー、KUROさんが「サミュエル・サトシ」の名で小説家デビュー! ダ・ヴィンチニュースでは、その処女作となる『マン・イン・ザ・ミラー 「僕」はマイケル・ジャクソンに殺された』を40回にわたり全文公開します!

 本作は、マイケル・ジャクソンになりきってパフォーマンスをするエンターテイナー(インパーソネーター)を題材に、KUROさんが取材を重ねて書き上げた渾身のフィクション。この小説のモデルになった人物は、マイケル・ジャクソン本人に「Excellent!」と言わしめた程のクオリティを誇っていた。だが、突き詰めれば突き詰めるほど次第に評価は“自分”にはなく、“マイケル”であるという動かしがたい事実が立ちはだかり、似せれば似せるほど、あくまでも「模倣品」とされ、その狭間で彼は苦しむことになる。マイケルに夢中になることで得た沢山の仲間と心を通わせ合いながらも、すれ違いや悲しい別れなど、主人公を取り巻く環境は激しく変化していく。自己とは? 芸術とは? 友情とは何なのか? そして2009年6月25日、絶対的な存在であったマイケルの死を迎え、インパーソネーターが最後に導き出した答えとは……

第1回

 「インパーソネーターって悲しいんですよ」

 彼が消え入りそうな声で言うので、僕は慌てて初めて見たときにどれだけ彼のパフォーマンスに衝撃を受けたかを熱弁した。

「悲しい? どういうことですか? あれほど精巧なマイケル・ジャクソンを見たことないですよ! きっと世界一似てますよ! 最初、本物かと思うぐらいでした」

 池袋東口を出たところで十何年ぶりに僕らは再会した。尾崎豊が好んで食べたと言われる老舗のケーキ屋『タカセ』はあいにく混んでいて、仕方がないので近くの適当な分煙されていない喫茶店に入った。

 二人とも煙草は吸わないが、今日はなんとなく長くなりそうな予感がしたのでコーヒーが何杯もおかわりできるこの場所で我慢した。

「インパーソネーターって、自分を殺す作業なんです。追求すればするほど自分の評価にはならないんです。唯一の正解はたった一つ。マイケルであって、僕らはそれを忠実に再現する影に過ぎないんです。だからインパーソネーターって、悲しいんですよ」

 彼はそう言うと、口をぎゅっと結んだ。

てっきり楽しい話が聞けると思っていた僕は、まるで想像もしていなかった展開に戸惑いを覚えた。

『インパーソネーター』という言葉がある。

 聞き慣れない言葉かもしれない。それもそのはずだ。検索すればどんな情報も簡単に手に入るこのネット社会においても、ヒットする件数はまだ少なく、それを的確に説明している記事もあまり見かけない。

 試しにimpersonatorと調べてみると、【他の人になりすます人、ある特定の有名人の物まねをする芸能人、役者】とある。

 日本では90年代の人気番組『オールスターものまね王座決定戦』から端を発する“ものまね芸人”の一大ブームで、歌真似や形態模写を実際の人物よりも大げさに誇張した、お笑い要素の強いものとして“ものまね”が定着しつつある。だがしかし、『インパーソネーター』はそれとは少々趣を異にする。

 こだわるポイントによってスタイルは分かれるが、基本的に共通しているのは、笑いの要素は極力排除され、本人に限りなく近づけることが一つの正解であることだ。また単に真似るだけでなく、対象を深く追求し、その思想や哲学、さらに性格までも理解しようと務めることでファンに本物だと思わせるほどの錯覚と一体化を目指す。

「海外だとすでに『インパーソネーター』は一つの職業として成り立っているんです。たとえばラスベガスで何日間も興行が行われたりして、マイケルの他に、エルヴィス・プレスリーやマリリン・モンローとか、今はもう会うことのできないスーパースターを見に世界中から多くのファンが駆けつけるんです」

「素晴らしいじゃないですか!」

 素直にそう思った。ほんの束の間でもファンの喪失感を埋めることができるなんて、これほど夢のある仕事はない。

「そうですかね。でも、日本でインパーソネーターを仕事にしていくのは難しい」

 彼は依然として僕と目を合わせてくれない。いつもどこか伏し目がちだ。

「難しい?」
「ま、色々と問題があって…とにかく、突き詰めていくと幸せじゃないんですよ、インパーソネーターって」

 それだけ言うと淋しそうに窓へ視線を向けた。

 僕らの間に長い沈黙が訪れた。

 筆者である僕は、物心つく前からマイケルの熱烈なファンである。物心つく前だからファンである自覚すらなかったのだが、親の仕事の関係で幼少期を77年〜89年までアメリカのシカゴで過ごした僕は、黄金期のマイケルブームの真只中にいた。

 ギネス世界記録において“史上最も売れたアルバム”として認定されている『スリラー』を82年に発表したマイケルの勢いは衰えを知らず、87年の『バッド』でその人気を不動のものにしていた。右も左もマイケル一色。新聞、雑誌、テレビはもちろん、街のスーパーに行けば必ず何かしらマイケルのキャンペーンが行われ、学校では男女問わず常にマイケルの話題で持ち切りだった。

 誰もがムーンウォークを踊ろうと必死になり、教室の廊下を端から端まで滑っては一回転して股間に手を当てて「Pow!」と奇声を発して真似ていた。あの時代のアメリカは、完全にマイケル・ジャクソンのアメリカだったと言ってもいい。まさに社会現象だ。

 そんな僕が埼玉にマイケル・ジャクソンのインパーソネーターがいると知ったのは、ひょんなきっかけだった。出張先で訪れた札幌のイベント会場でたまたま彼のステージを目にしたのだ。そのときの衝撃は今でも忘れることができない。

 彼はものまね芸人のように特定の強いクセを誇張するわけでもなく、限りなく忠実に“マイケル・ジャクソン”を再現していた。それは僕がアメリカで見た黄金期のマイケルと寸分の狂いもなかった。

 あの世界で唯一無二と言われた動きを、僕は札幌で、それも手が届く距離で見たのだ。いや、正確に言えばそう錯覚させられた。気がつくと僕は、あまりの感動と興奮でいつの間にか彼に話しかけていた。少し畏怖しながら、キラキラと。あたかもマイケル・ジャクソン本人に話しかけるかのように…。

 インパーソネーターについて書いてみたいと思ったのは、それから十年以上も経ってからだ。その間、本国にいるマイケルはいわれのない訴訟に何度も心を痛めつけられ、ゴシップ記事の餌食となっていた。

 作品よりも奇行の方が多く取り沙汰されるようになり、徐々にプレッシャーやストレスに押しつぶされ、マイケルは50歳の若さで亡くなってしまう。死因は鎮静剤や麻酔薬の複合作用による心肺停止とされているが、決定的な引き金は、何よりも外的要因にあったと僕を含む多くのファンがおそらく感じただろう。

 それから7年後、同年代でライバルだったプリンスが亡くなった。時代は変動し、レコードやカセットはおろか、今ではCDすら市場から消えつつあり、動画サイトや定額制音楽配信サービスの充実で音源を買わずとも手軽に音楽を聴けるようになった。

 そして、とうとうマイケルを知らない世代が生まれてきた。

 どれほどのスーパースターでも、たとえアルバムがギネス世界記録に認定されようとも、悲しいかな、いつかは風化されてしまう。

 ふと札幌で会ったあのインパーソネーターはどうしているのかと思った。絶対的な存在であるマイケルという正解を失ったあと、彼は一体どのようにして活動しているのかと疑問に思ったのだ。

 マイケルの音楽やパフォーマンスの素晴らしさを生身の体で伝える伝道師として、今も活躍していて欲しい。そんな彼をペンの力で支えることができれば、大好きなマイケルに自分も少しは貢献できるかもしれない、そう思った。

 だが、この小さな疑問が、インパーソネーターという特殊なパフォーマーの数奇な運命を辿るきっかけとなる。

* * * * * * *  

「そういえば、だいぶ痩せましたよね?」

 僕は沈黙に堪えられなくなり、とりとめもない話題を口にした。彼の顔が前に見たときよりもゲッソリとしていて、全体的に身体の線が細くなっているように感じられたからだ。

「ちょっと前に身体を壊したんです」

 少しうつむき加減に言うと、運ばれてきたコーヒーに手を伸ばした。
思いもよらぬ答えに絶句したが、深刻な病気じゃなければいいなと思い、恐る恐るまた訊ねた。

「大丈夫ですか? なんかマズいやつですか?」
「いや、そういうのじゃなくて、胃腸を悪くして、食事制限とか出たから一気に体重が落ちたんです」

深刻じゃない方だと知って僕はホッとした。そして前よりもマイケルに容姿が近づきましたねと軽口を叩いて笑いを誘った。しかし彼は笑わなかった。

間が少し悪くなったので、話の接ぎ穂に「勧められた『ミスター・ロンリー』観ました」と言った。会う前にやり取りしたメールで彼からインパーソネーターを題材にした映画を勧められていたからだ。

 その作品は2008年に日本でも公開されたイギリス、フランス、アメリカの合作で、マイケル・ジャクソン、チャップリンやマリリン・モンローなどのインパーソネーターたちがスコットランドの古城で共同生活を送るという奇妙な設定の映画だった。ストーリーは全編通して悲哀に満ちており、ヨーロッパ映画特有のどんよりとした雰囲気が漂っていた。

「哀しい作品だったでしょう?」

 その言葉は、僕の感想を一言で言い当てた鋭利さと自虐的なトゲが含まれていた。

「あ、いや、あんな生き方もあるのかなーって…でも札幌で初めて見たとき、本当にすごいと思いましたよ!」僕は取り繕うように言った。

「違うんですよ…僕がすごいんじゃないんです。マイケルがすごいんです」

 初めて彼が、僕の目を見てハッキリと言った。

 その目は水晶玉のように澄んでいて、ちょっと潤んでいるようでもあり、こちらの心の内をすべて見透かしているようでもあった。

 確かにその言い分はとても正しいようで、しかし同時に、どこか素直に受け止められない、抗いたい気持ちが芽生えるものでもあった。

「それはそうかもしれませんが…、でも、あれを再現しているのは紛れもなくあなたで、それは努力と才能の結果であり、十分評価に値すると思いますけどね」

 僕も彼の目を見返した。

「でもそこについているのは僕のファンじゃない」
「え…、どういうことですか?」

「僕、言われたんです。『君のファンじゃないよ。マイケルのファンだよ』って」

第2回に続く

サミュエルVOICE
タカセ池袋本店は東京都板橋区にも店舗がある、1920年創業の老舗洋菓子店。
尾崎豊はここでよくシュークリームを食べたという。インパーソネーターを題材にした映画は『ミスター・ロンリー』の他に、ルヴィス・プレスリーに身を捧げた男の『エルヴィス、我が心の歌』がある(DVD化未定)