HOMEMADE家族・KURO処女作『マン・イン・ザ・ミラー 「僕」はマイケル・ジャクソンに殺された』/第25話

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公開日:2019/4/26

 ヒップホップグループ「HOME MADE 家族」のメンバー、KUROさんが「サミュエル・サトシ」の名で小説家デビュー! ダ・ヴィンチニュースでは、その処女作となる『マン・イン・ザ・ミラー 「僕」はマイケル・ジャクソンに殺された』を40回にわたり全文公開します!

 本作は、マイケル・ジャクソンになりきってパフォーマンスをするエンターテイナー(インパーソネーター)を題材に、KUROさんが取材を重ねて書き上げた渾身のフィクション。この小説のモデルになった人物は、マイケル・ジャクソン本人に「Excellent!」と言わしめた程のクオリティを誇っていた。だが、突き詰めれば突き詰めるほど次第に評価は“自分”にはなく、“マイケル”であるという動かしがたい事実が立ちはだかり、似せれば似せるほど、あくまでも「模倣品」とされ、その狭間で彼は苦しむことになる。マイケルに夢中になることで得た沢山の仲間と心を通わせ合いながらも、すれ違いや悲しい別れなど、主人公を取り巻く環境は激しく変化していく。自己とは? 芸術とは? 友情とは何なのか? そして2009年6月25日、絶対的な存在であったマイケルの死を迎え、インパーソネーターが最後に導き出した答えとは……

第25回

「マイケルにexcellentって言われたなんてすごいですね!」

 もう4時間以上もこの喫茶店にいる。

 僕は尾藤さんがマイケルの前でパフォーマンスした話につい興奮してしまい、気がつくと何度もお冷をおかわりしていた。

「すごいなー。日本で唯一マイケルに褒められたインパーソネーターじゃないですか! ある意味、オフィシャルでいいんじゃないですか!?」
「いやー、きっと誰にでも言うんですよ。マイケル、優しいから」

 いつだって尾藤さんは謙虚だ。

「そんなことないですよ! 初日のパフォーマンスを覚えていたってことは、それだけ印象に残っていたからですよ! いいな〜。僕も会いたかったな。他になにかマイケルのエピソードってあります?」
「うーん。ほとんどSPに守られていたからあまりないですけど、一度マイケルが、ガムが欲しいって言ったのか、スタッフがガムのために奔走していたのはありましたね」
「え、ガムですか?」
「はい。リンゴ味のガム」

 思わず口から水が吹き出そうになった。それを見てまた尾藤さんが笑う。

「あ、あと、マイケルってトイレが近いのか、やたらとトイレに行っていたことも印象に残っています」
「へー!」
「それで思い出したんですけど、オパちゃんとフレディーがたまたまマイケルとトイレが一緒になったことがあって…」
「うわ! すごいですね、連れションじゃないですか!」
「あの冷静なオパちゃんがアワアワ言いながらトイレから出てきて。その出来事を二人は“キング・オブ・トイレ”って呼んでいるみたいですけど…」

 今度は二人で爆笑した。

 ここまで話してきてようやく尾藤さんとの距離が縮まった気がする。ただ、このあとの展開を考えると、少しだけ憂鬱な気持ちになる。それでも、これだけはどうしても訊かなければいけない。

 2009年6月25日(日本時間6月26日)、マイケル・ジャクソン逝去。

 インパーソネーターとして、指針となる人が亡くなるというのはどういうものなのだろうか。僕は慎重に話を切り出した。

「あの、それが最後の来日になるんですよね?」

 するとやはり尾藤さんの顔が一瞬にして曇った。

「そうですね…、僕もびっくりしました。きっとマイケルファンは、あの日、どこで何をしていたのか、みんな克明に覚えていると思います」

 僕もよく覚えている。

 あの日は前日にアパレル関係の知り合いからよりによってマイケルのグッズ案を頼まれていて、朝まで机に向かいながらスケッチブックにデザイン画を描いてマイケルのことばかり考えていたのだ。すると早朝のニュースで突然の訃報を知った。なんという偶然なのかと知人と電話で話しながら震えたものだ。

 昔からの友人は僕のマイケル好きをよく知っていたので、その日は懐かしい人たちからたくさんのメールと電話をもらった。おそらくマイケルファンなら誰もが似たようなエピソードを持っているだろう。

「尾藤さんは、そのときどこにいたんですか? そのあと、インパーソネーターとしては前代未聞のSHIBUYA-AX公演を成功させるんですよね?」

 MJ-Soulはその後マイケルが生前果たすことのできなかった夢、最後のツアーと言われて実現に至らなかった幻の『THIS IS IT 』公演を、分析力と想像力だけで再現させて成功させる。

 SHIBUYA-AXといえば、1500人規模の特大ステージだ。インパーソネーターにとってこれは世界的に見ても他に類を見ない恐るべき偉業である。

「もう自分も周囲もおかしくなっていたんだと思います。あのときは…」

 #DANGEROUS

 新木場STUDIO COASTでマイケルの前でパフォーマンスしたMJ-Soulは、明らかにそれまでよりも一段上のステージに登った。メディアのインタビューなどでもマイケルとのエピソードを求められ、マイケルが「excellent」と認めた日本で唯一のインパーソネーターとして知名度だけではなく認知度も上がった。

 地方営業が増えただけでなく、初のワンマンライブも開催した。しかし、自分たちの意識の高さとは裏腹に、お客さんとの温度差はなぜか開いていく一方だった。あくまでも盛り上がるのは一部の人だけで、マイケルファンの反応は全体的に冷ややかだった。

 やはり偽物は偽物で、どこに行っても色物としてしか見てもらえず、全国のマイケルのご意見番のような人たちからも厳しいチェックを受けた。ひょっとしたら日本ではインパーソネーターは根付かないのかもしれないと、そんな風に思い始めてモチベーションもだいぶ下がっていた。そんなときだった、あの訃報が届いたのは。

 2009年6月26日(日本時間)

 MJ-Soulのメンバーから早朝に連絡があった。僕はそのとき電車に乗っていて、どうせまたいつものゴシップだろうと真剣に取り合わなかった。昔からマイケルを取り巻く根も葉もない噂には辟易していたからだ。

 数多ある訴訟も蓋を開けて見たら結局ただの誤解で、マイケルはまったくの無実だった。子供を利用してお金持ちにたかろうとするあくどい親の策略にハマっただけだった。

 そういった近年のネガティブ報道がマイケルの印象をさらに悪くさせ、今まで彼がやってきた恵まれない子供たちへのチャリティーイベントはおろか、作品さえも正当に評価されず、世間に歪曲されて伝わっていることが僕には許せなかった。

「嘘だよ。またどうせどこかの誰かが流したデマでしょ。以前にもそんなことあったけど、きっと時間が経てばすぐに誤報だってわかるよ」

 そう言って電話を切って仕事場に向かったが、やはり気になったので、自分の目で確認しようと携帯のワンセグでニュースを観た。

 ところが、どのチャンネルもマイケルの訃報を取り上げている。嫌な予感がした。

 マイケルがロスで滞在しているホルムビー・ヒルズの豪邸の前にたくさんの救急車が停められ、救急隊が出入りしている。

「マイケル・ジャクソン逝去。午後12時21分、ロサンゼルス市内のマイケルの自宅から救急隊に出動要請。心肺停止状態で病院へ搬送され、蘇生措置が試みられたが同2時26分(日本時間26日午前6時26分)、死亡が確認された。50歳だった」

 ニュースキャスターが読み上げている言葉の意味がよく分からなかった。テロップの文字だけが上滑りして通り過ぎていく。しかし、なぜだかこれはデマじゃないような静かな迫力があった。

 その後、マイケルの兄であるジャーメイン・ジャクソンが病院内で行った記者会見が僕を決定的に打ちのめした。彼は報道陣の前で「これは…つらいですね」とため息をついて、神妙な面持ちでこう切り出した。

「私の弟、伝説のキング・オブ・ポップことマイケル・ジャクソンは、2009年6月25日木曜日午後2時26分に亡くなりました。彼は自宅で心肺停止状態であったとされていますが、死因は検死解剖の結果が判明するまで不明です。当時、彼と共にいた主治医は弟を蘇生させようと試みました。彼をロナルド・レーガンUCLA医療センターへ搬送した救急隊も、同様の措置を試みました。午後1時14分頃に病院へ到着した後も、救急隊や心臓専門医が1時間以上にわたって蘇生を試みました。それらの試みは失敗に終わりました。我々一家はメディアに対し、この辛い状況下にある我々のプライバシーを尊重してくれるよう要請します。神がいつもマイケルと共にありますように。愛しています」

「うそだろ…」

 だが不思議とこのときは涙が出なかった。とにかく、このどうにもならない気持ちを早く誰かと共有したくて、キノさんやMJ-Soulのメンバーに電話をかけまくった。僕の携帯もしばらく鳴り止まなかった。

 気づくと僕は西新宿の安田ビルに来ていた。

 するとそこにはオパちゃんやコングくんなどMJ-Soulのメンバーも集まっていた。

 静かだった。

 僕らは何も言わずに大音量でマイケルの音楽をかけ、何時間も踊った。『スリラー』、『ビリー・ジーン』、『スムーズ・クリミナル』、『今夜はビート・イット』、『デンジャラス』、『ジャム』、『ヒューマン・ネイチャー』、『ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール』とにかく思いつく限り、ひたすら踊った。

 心にポッカリと開いた隙間にみんな引きずり込まれて溺死しないように、手と足をバタつかせ、漆黒の海から辛うじて顔を覗かせて息をするために、僕らは踊らざるを得なかった。

「マイケル死んじゃったよ……マイケル死んじゃった」

 もうマイケルがいない。

 この地球のどこにも。

 汗と涙が頬を伝い、僕は顔をグチャグチャにして踊った。

第26回に続く

サミュエルVOICE
一斗がここで言う「以前にもそんなことあったけど」は、95年にHBOが主催でNYのビーコンシアターで行われる予定だった一夜限りの幻のライヴ『One Night Only』のこと。この日は、パントマイム界の巨匠、マルセル・マルソーとの競演やお馴染みの楽曲たちの“まったく新しい振り付け”などが予定されていて、ファンの間で注目度が高まった。だが、マイケルがリハーサル中に倒れてしまい、公演は幻となってしまう。一時は死亡説も流れ、世界中が大パニックになった。