HOMEMADE家族・KURO処女作『マン・イン・ザ・ミラー 「僕」はマイケル・ジャクソンに殺された』/第31話

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公開日:2019/5/2

 ヒップホップグループ「HOME MADE 家族」のメンバー、KUROさんが「サミュエル・サトシ」の名で小説家デビュー! ダ・ヴィンチニュースでは、その処女作となる『マン・イン・ザ・ミラー 「僕」はマイケル・ジャクソンに殺された』を40回にわたり全文公開します!

 本作は、マイケル・ジャクソンになりきってパフォーマンスをするエンターテイナー(インパーソネーター)を題材に、KUROさんが取材を重ねて書き上げた渾身のフィクション。この小説のモデルになった人物は、マイケル・ジャクソン本人に「Excellent!」と言わしめた程のクオリティを誇っていた。だが、突き詰めれば突き詰めるほど次第に評価は“自分”にはなく、“マイケル”であるという動かしがたい事実が立ちはだかり、似せれば似せるほど、あくまでも「模倣品」とされ、その狭間で彼は苦しむことになる。マイケルに夢中になることで得た沢山の仲間と心を通わせ合いながらも、すれ違いや悲しい別れなど、主人公を取り巻く環境は激しく変化していく。自己とは? 芸術とは? 友情とは何なのか? そして2009年6月25日、絶対的な存在であったマイケルの死を迎え、インパーソネーターが最後に導き出した答えとは……

第31回

「あの、一斗さん、ちょっと振りの確認なんですけど…」

 バックダンサーの一人がおずおずと話しかけてきた。

「ああ、ごめん。ユーコかジュディスに聞いて、ちょっと忙しいから」
「あ、はい。すみません…」

 合同リハーサルの会場とは別の部屋に籠り、一人黙々と鏡の前の自分と対峙する。目の前の男がマイケルになるまで、延々と同じ動作を繰り返す。指の先から顔のシワ一つまで、一ミリ単位で追い込む。まるで視聴覚室の日々に戻ったようだ。違うのは、あのころはどれだけやっても楽しかったが、今はなぜだか苦しい。

 SHIBUYA-AXに向けて日々の食事も変えた。練習のあとにご褒美として食べていたケンタッキーは一切やめて野菜中心にした。身長は無理だが、せめて体重だけでもマイケルに寄せることにしたのだ。もともと痩身な体質ではないので、体重が落ちると体力も落ちるが、それは構わない。マイケルは完璧主義者だった。僕も一切の妥協は許さず、徹底的に尾藤一斗を消し去る。

 ドアを誰かが叩いている。開けるとコングくんだった。

「おい、大丈夫か、一人でこんなとこ籠って」
「何?」

 大量の汗をタオルで拭いながら、僕は邪魔が入ったことに苛立っていた。

「何、イライラしてんだよ。こっちだって意味なく呼んだんじゃねーよ」
「たいした用じゃないなら、もういいかな?」
「は?」

 コングくんは呆れた様子で、僕を見る。

「まあ、いいや。あのさ、今の予算だといくつか衣装で妥協しないといけないのがある」
「何で?」
「何でって、当たり前だろ。ただでさえ予算オーバーなのに、これ以上はもう金かけられねーよ」
「何で? 借金してもいいから実現させてよ」

 SHIBUYA-AXのチケットが完売しているからといって、すべてペイできないのは僕も知っていた。会場が大きいということはそれだけ経費もかかるということだ。小さなライブハウスでやろうが、東京ドームでやろうが内情はどこも一緒でそれなりの演出を取り入れれば、トントンか赤字になることがほとんどだ。だからこそみんなグッズを売ったり、同じ会場で二公演やったりするのだ。

 しかし、僕らはプロと違う。こんな機会が何度も訪れるわけじゃない。だとしたらこの尊い一回を無駄にしたくはない。

「イーくん、無茶言うなよ。もうこれ以上は無理だ。本家と一緒にしたいのは分かるけど、マイケルと俺たちでは財布の事情が違う。それにマイケルだってO2アリーナで50本予定していたからこそできた演出だぞ。俺たちはたったの一回だ」

「だったら、なおさらだよ。一回だからこそ妥協したくないよ。オパちゃんはマイクスタンドのために試作品40本も作ってたよ」

 僕はもう一歩も引きたくはなかった。

「ちょっと待て、イーくん。それぞれが善意でやってくれるのは構わない。でもそれを当たり前のように言うなよ。こっちはそれに対して正規のギャラを払えてねーんだぞ。今日だってどれだけのスタッフが気持ちでやってくれていると思ってんだよ!」

「みんなには感謝してるよ。お金は借金してあとから払えばいいさ。そんなことよりも人生で一回しかないこの作品に僕は全力を注ぎたいんだ!」

 気が立って少し語気が荒くなった。コングくんは、そんな僕をしばらく見つめてから諦めるようにこう言った。

「わかったよ。だけど、感謝してるなら…、たまにはスタッフやバックダンサーたちを労ってやれよ」

 そう言うと部屋を出て行った。

 再びドアに鍵をかけ、鏡に向かう。そこには髪が乱れてげっそりとやつれた僕がいた。マイケルの片鱗もないその姿に、怒りと焦りだけが募る。

 殺す。僕は、お前を殺す。

* * * * * * *

 千葉県浦安市にある舞浜のリハーサルスタジオは、高さ18m、敷地面積1037㎡もある超大型の倉庫だ。アリーナ級のミュージシャンが本番さながらに使用する場所である。スタッフの控え室やロビーだけでも、それぞれ約21坪もある。

 僕たちMJ-Soulと全スタッフは最終ゲネのために、この地に降り立った。

 ゲネとはゲネプロのことであり、通し稽古のことだ。本番と同じようにステージを組み、衣装を着て、最初から最後まで止めずに通すのだ。それを行うことでダンサーの立ち位置やカメラワーク、照明の当て方や着替えの時間、スタッフの配置などの全体像が見えてくる。

 しかし、僕はこの日をゲネだとは思わなかった。

 だからこの期に及んでまだリハーサル気分でやっている人間が許せなかった。何度もメンバーやバックダンサーに檄を飛ばし、必要とあれば罵倒した。舞台監督も引くほどだから、明らかに険悪な雰囲気になっているのは自分でも分かったが、知ったことではなかった。マイケルの『THIS IS IT』だ。意識の低い人間はステージに上がるべきじゃない。

「ね、一斗くん…、最近ちょっと厳しすぎるんじゃない?」

 一人離れた場所で持参したサラダを食べていると、ユーコが話しかけてきた。

「何が?」
「あれじゃ、みんな可哀想だよ。特殊なダンスなんだし、それでも一生懸命ここまでついてきてくれているんだから」
「なんで? プロなんだろ。だったらやれよって話だけど」
「だけどさ、みんなと一緒に食事にも行かないし、こんなんじゃチームワークが悪くなるだけだよ」
「食事に行ってステージがよくなるなら行くけど、どうせお互いの傷を舐め合うだけだろ。そんなの変な慣れ合いが生まれて本番に隙を作るだけだ。そんな暇があるなら僕は練習する。言っとくけど、ユーコも最近、全然ダメだよ」
「え?」
「指導するのもいいけど、長年の蓄積でやっていて動きがところどころ惰性になってる。もう一回マイケルのライブ映像をしっかりと見返した方がいい」

 するとユーコは顔を真っ赤にしてブルブル震えると、近くにあった椅子を勢いよく仕舞って、みんなの方へと戻っていった。

 僕がマイケルの『THIS IS IT』を実現させるために死に物狂いでマイケルになるなら、バックダンサーたちも世界一のオーディションを勝ち抜いた覚悟で臨むべきだ。当然スタッフも一流の気持ちで臨まなければいけないし、プロはプロでも、ただのプロでは話にならない。僕らが挑む相手はマイケル・ジャクソンなのだ。

 そもそも表現者として、それぞれがその道のプロとして、なぜみんな始めからその覚悟を持って取りかからないんだ。恥ずかしくないのだろうか。

 コングくんは予算のことを言うけど、じゃ、お金があればやるのか、ないからやらないのか。いや、そういう人たちは普段からその程度なのだ。

 お金があってもなくてもやる人はやる。始めから限られたなかでやるしかないと言っているようじゃ決して高みにはいけない。それは単なる自分への言い訳だ。最高を目指さないステージに、感動はない。

 あのデンジャラス・じゅんが、ぐうの音もでないほど僕は完璧にマイケル・ジャクソンになってやる。歌えなくて結構だ。その代わり、会場にいる誰もが本物だと錯覚するぐらいの超常現象を巻き起こしてやる。向こう何年も世界の誰もが『THIS IS IT』を再現することができないぐらいに、徹底的に。

「イーくん、オパちゃんが来たぞ」

 コングくんが僕のことを呼んだので、ロビーまで顔を出しに行くと軽トラに乗ったオパちゃんがいた。

「オパちゃん!」

 僕に気づくと、そのまま荷台に回って丁寧に梱包された長い棒を降ろした。

「マイクスタンドだ」

 オパちゃんはそう言うと、もう一つ別の箱も降ろした。

「まさか、これ…」
「改良型アンチ・グラビィティ。7人分ある」
「ええ!?」
「一つ一つを軽量化させてどうにか10キロまで絞った。使い方に少しコツがいるが、これならどこでも運べる」
「すげーー! オパちゃん、どうやって作ったの?」

 コングくんが、目を丸くして驚いている。

「ジュラルミンで作ってある。その代わり、倒れるときに板から少しでもズレたら後ろが持ち上がって危険だ。きちんと真っ直ぐに倒れる分には問題ない。それと、これ」

 見ると、グラヴィティシューズだった。

「靴のかかとをV字型からU字型に変えた。これなら引っかけやすく、外れにくいだろう」

 プロの美術スタッフたちもオパちゃんの作品をジロジロ眺めて手に取ったりして感嘆の声を上げている。

 僕は改めてオパちゃんの仕事ぶりに感心していた。ギリギリの納品だったが、そこにはまさに質が高くて美しい仕事があった。これこそ、アーティストだ。

「すごいよ、オパちゃん、ありがとう!」僕は得意になってコングくんを見ると、「よし! じゃ、これでもう一度セットを組んで最後のゲネをやろう!」とみんなに発破をかけた。

 当日に向けてこれでさらに気合いが入った。僕だってギリギリまでやってみせる。人生で二度あるかどうか分からないたった一回の公演だ。それも約2時間半のステージ。おそらくほんの一瞬の出来事だろう。

 本番はもうすぐそこだ。絶対に後悔だけはしたくない。

第32回に続く

サミュエルVOICE
本家のマイケル・ジャクソンも失敗したことがある難易度の高いパフォーマンス、アンチ・グラヴィティ。その原因は靴を引っ掛けるかかとの部分にあった。彼らがそれをV字形からU字形に変えたことで、その難しさが劇的に改善され、この部分に関しては、社長やオパさんも「本家を超えた!」と自負していた。これはかなり革命的と言ってもいいだろう。