遺産1000万円以下、 仲良し兄妹がなぜ…/『プロが教える 相続でモメないための本』②

暮らし

公開日:2020/1/21

相続争いは他人事と思っていませんか。「遺産が少ない」「家族はみんな仲がいい」「信頼している税理士がいる」1つでも当てはまる方、あなたは相続争いの当事者になりやすいタイプです。
3000件の相続を手がけたプロが教える、相続をスムーズに進めるためのノウハウを数多く掲載! 事前に学んで、相続争いを回避しましょう。

『プロが教える 相続でモメないための本』(江幡吉昭/アスコム)

【遺産が1000万円以下】仲がよかったはずの兄妹がモメた!? なぜ母は3人の娘に何も残せなかったのか?

相続で家族がもめるなんて大金持ちだけの話だと思っていませんか。実際には、むしろ遺産が少ないからこそ「争族」が起きてしまうのです。ここで紹介する家族は、株や現金を合わせて約500万円しか遺産がありませんでした。それでも「争族」になった理由とは?

登場人物(年齢は相続発生時、被相続人とは亡くなった人)
被相続人 母:昌代さん(88歳、埼玉県在住)
相続人  長男:良一さん(62歳、投資家)
     長女:裕子さん(61歳、専業主婦)
     次女:由紀子さん(59歳、専業主婦)
     三女:由美さん(55歳、専業主婦)
遺産
現金500万円(※母は長男と同居のため、自宅は無し)

もめごとなく収まった父親の遺産相続

「ごめんね。父さん、遺言を残していなかったの」

 母の昌代は、父の死後、長男と3人の姉妹がそろった席で遺産分割について重い口を開いた。

 自宅敷地内の二世帯住宅に暮らす長男の良一は、母親をねぎらいながら3人の姉妹に話しかけた。

「お母さんが謝ることじゃないんだから気にしないでよ」

「そうよ。お父さんが亡くなって一番つらいのはお母さんなんだから、そんな顔をしないで」

 長女の裕子も母を慰める。

 つかの間、場は重い空気につつまれた。

 末っ子で小さい頃から自由に育てられた三女の由美は、みんなの顔色をうかがいつつ、誰かが話を切り出すのを待っている。

 沈黙を破ったのは、4人の中で最もマイペースであまり空気を読まない次女の由紀子だった。

「要するに、どうやって遺産を分けるのかって話でしょ。遺言がないのに、みんなが文句ないように分けるには、どうすればいいのか決めればいいんでしょ」

「それはそうだけど、こういうのは初めてだからどうしていいかわからないの、ねぇ良一」

 母が長男に目配せする。

「実は家族会議する前に母さんと話し合ったので、その内容を説明したいんだけどいいかな」

 良一はそう言うとメモ帳を開き、全員に向かって説明を始めた。

 彼が説明した遺産分割の主旨は、残された父の遺産とその評価額を提示したうえで、自宅は長男が受け継ぎ、現金は3姉妹が1人当たり約1000万円ずつ分け、その他の不動産や株等の財産は母親が相続する――というものだった。

 話を聞き終えて、由紀子は口を開いた。

「いいんじゃない。私たちはこの家に住む気ないし、お兄ちゃんが継いでお母さんと住めばいいと思う」

 彼女としては1000万円をもらえるなら悪くない。

「私も自分の家があるから、家とか土地はお母さんとお兄ちゃんでいいと思う」

 三女の由美も、全員の顔色をうかがいながら小声で言った。

「私も同じ。子どもにお金かかるし、現金でもらえるほうが助かる。でも、兄さんのところはお金なくてもいいの?」

 裕子は遺産分割の方法に賛同しつつ、良一に気を遣った。

「うちは二世帯住宅を建てたときに生前贈与で援助してもらったから、それでチャラかな」

 予想以上に全員がスムーズに納得してくれて、良一はご機嫌だった。

 こうして父親の遺産分割協議は、まったくもめることなく完了した――。

父のときはうまくいったのになぜ今回はこんなことに……

 私の事務所を訪れた良一さんは、ここまで一気に話し終わると、ようやくひと息つきました。

「父さんのときはこんなにスムーズだったのに、今回はどうしてこんなことに……」

 宙を見つめる良一さんの目がそう語っているように、私には思えた。

 彼のお父さまは公務員一種のキャリア官僚としてそれなりに出世し、定年退職後も民間企業で役員を務め、相応の資産を築かれました。もちろん、その立派なキャリアに見合う資産もお持ちでした。大手都銀や有名メーカーの株式を保有し、埼玉県内でワンルーム10室を備えたアパートを経営するなど、比較的堅実な投資も行い、子どもたちのために財産を守ってきたのです。

「ご家族の仲が良かったこと。3人の姉妹がみなさん嫁いでいて、それぞれご自宅を持っていたこと。そして何より、お父さまの遺産がそれなりに大きな額だったこと――。これらの条件がそろっていたからこそ、当時はスムーズな分割協議ができたのでしょうね」

 私は、良一さんに語りかけた。

 しかし他方で、この家族が一次相続(両親のうちお父さまが最初に亡くなり、配偶者とお子さまが相続人になること)でもめなかった最大の理由は、約1000万円という「ハンコ代」の存在だったことを、私はこの時点で理解していました。

 ここで、過去にこのご家族が経験した一次相続の要点をまとめておきます。

 不動産をはじめとするお父さまの遺産は、お母さまと長男の良一さんがほぼすべて取得しました。ほかの3姉妹には、代償分割としてそれぞれ約1000万円ずつ「ハンコ代」が支払われました。代償分割とは、相続人の1人、または数人が財産を取得する代わりに、他の相続人に金銭を支払う遺産分割方法のことです。金銭を受け取る代わりに「遺産分割協議書」にハンコを押すことから、このお金は通称「ハンコ代」と呼ばれています。

 一般的には、「ハンコ代は相続財産全体の評価額や相続人の人数に左右される」と考えるのが普通でしょう。しかし、実態は必ずしも理屈どおりにいきません。それこそご家族の事情に応じて、ケース・バイ・ケースなのです。

 極端な話、「その場で数万円もらう代わりにハンコをついて終わり」ということもあれば、億を超える金額になることもあるでしょう。

 良一さんのご家族のケースでは、自宅やアパート、株などをすべてお母さまと良一さんが取得しました。3姉妹はその代償として、約1000万円という金額に納得し、ハンコを押したのです。

「――あれから12年。母が亡くなった際の相続は、父のときと同じようにはいきませんでした……」

 良一さんは、今回の二次相続の様子を話し始めました。

<第3回に続く>