心が弱っている時に会いたい、3割程度の「闇」がある人/『NOを言える人になる』⑦

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公開日:2020/4/5

あなたから自由を奪うすべてにNOを言い、自分の人生を取り戻すときだ――。会社の同僚、上司、家族といった人間関係や社会に、どうNOを言うべきか。どうすれば、あなただけのルールで生きられるようになるか。生きづらさを抱えた多くの人々の生存戦略を、わかりやすくご紹介します!

『NOを言える人になる 他人のルールに縛られず、自分のルールで生きる方法』(鈴木裕介/アスコム)

心が弱っているときは、自分をジャッジする人から離れる

 人間関係については、ほかにも守るべき鉄則がある。

 それは「心が弱っているときは、自分をジャッジする人から離れた方がいい」ということだ。

 僕の周りには、絶望を抱えながら、一生懸命に人生を立て直そうとしている、大切な人たちがいる。

 彼らは事態を前に進めるため、いろいろな行動を積み重ねたり、いろいろな人と会ったりしている。

 しかし、人と会うためには気力が必要だ。

 特に、人生再構築クラスの事態から立て直しを図らねばならないとき、その人のHPは過去最低レベルに低くなっていると考えた方がいい。

 通常の8倍くらい傷つきやすく、敏感になっているのだ。

 そのような状態にある人にとって、気力は貴重な資源であり、いたずらに消費するわけにはいかない。

 そこで、「誰と会うか」が非常に重要となる。

 会った後で「本当に会ってよかった」「会ったおかげで元気が出たし、前向きな気持ちになれた」と心から思える人もいれば、「会わなければ良かった」「気力を消費し疲れてしまった」「焦りや絶望を感じてしまった」と思ってしまう人もいるからだ。

 そして残念ながら、世の中には、後者に該当する人の方が多い。

 では、心が弱っているときに会っておいた方がいいのは、一体どんな人なのか。

 簡単に言うと、「元気がないときに会っても、『また会いたい』と思えるような人」「自分を守らなくてもいい(防衛コストを一切払わなくてもいい)ほどに安心な人」だと、僕は思う。

 もう少し具体的に特徴を書くと、以下の通りになる。

・あなたを「ジャッジ」しない。
・強い言葉を使わない。
・強い感情をあらわにしない。
・あなたに「要求」をしない。
・100%ポジティブな人よりも、3割程度の「闇」がある。

 こういう人に使う時間やエネルギーの割合を可能な限り高めることで、人生や気持ちの立て直しは、かなり早まるだろう。

 逆に、あなたをジャッジする人や強い言葉を使う人、強い感情をあらわにする人、あなたに要求をする人、ポジティブすぎる人に会うと、気力をいたずらに消費することになりかねない。

 まず、人は自らが評価の対象として誰かの目にさらされているとき、生理反応として防衛的になる。

 入学や入社、昇進試験の面接、あるいは合コンやお見合いなどのとき、自分の気持ちや態度がどのような状態だったかを考えてみよう。

 ほとんどの人は、無意識のうちに「ネガティブなジャッジを下されないようにしよう」「ポジティブなジャッジが下されるようにふるまおう」と身構え、神経をとぎすませる。

 それは、「安心」や「リラックス」とは対極にある状態だ。

 同じように、自分の気持ちや意見を言ったとき、「それは違う」「それはおかしい」もしくは「それが正解だ」などと言ったり、「あなたは~な人だよね」と決めつけたりしがちな相手に対して、人は安心して自分の思いを伝えることができないし、ジャッジによって傷つかないために膨大な気力を消費しなければならず、回復にまわすべきエネルギーが足りなくなる。

 また、強い言葉を使う人、強い感情をあらわにする人を相手にすると、やはり人は安心して話ができなくなるし、心が弱りきっているときに「元気出せよ!」「頑張って!」などと言われたり、「~してほしい」と一方的なアドバイスをされたりしても、とても素直に受け入れることはできないだろう。

 さらに、ポジティブすぎる人も、弱った心には、かえって毒になることがある。

「3割程度の『闇』がある人」というのは、昔、患者さんが僕に教えてくれた表現で、具体的にいうと、いろいろな苦労や悲しみを経験していて、人間の弱さや醜さに対して寛容な人のことだ。

 100%性善説のポジティブな「光」の人は、自分が一番しんどいときには、眩しすぎてつらくなってしまうことがある。

 ポジティブすぎる人にはなかなか、「心が弱る」という状態を理解してもらえなかったりするし、「自分はなぜ、こんな風に明るくいられないんだろう」と、コンプレックスが刺激されてしまいかねないからだ。

 元気がないときに他人と接すると、本当にいろんなことが見えてくる。

 あからさまにマウントしてくるような人は論外として、相手は善意から励ましてくれたり、いろんなアドバイスをくれたり、いろんなことを取り計らってくれたりしているのに、「ありがたいけれど、何かが違う」と感じることもある。

 その感覚は、大事にした方がいい。

「私は大丈夫」「元気だよ!」と示さなければいけないような気持ちになってしまったとしたら、相手は少なくとも「最優先で」会うべき人ではない。

 上手く言えないけど、誰かの絶望にきちんと寄り添える人は、「いま苦しんでいる『あなた』と、それを聴いている『私』は、違う苦しみを抱えているけど、本質的には同じだ」ということを、心から理解できている人だと思う。

 だから彼らは、他人をジャッジしないし、自分の意見を押しつけたりもしないし、相手が本当に欲しているものが何であるかをわかっている。

 心が弱っているときに最優先で会うべきなのは、そういう人だ。

 仮に今、あなたが自分自身や人生に絶望しており、HPが1ケタになってしまっているとしよう。

 そんなとき、あなたにとって何よりも必要なのは、表面的な慰めや励ましではなく、自分が生きてきた道筋や今感じていることを、ありのまま肯定してもらうことではないだろうか。

 たとえば、あなたが「死にたい」「自分は空っぽで価値がない」「消えてしまいたい」と思い、それを口にしたとする。

 おそらく「そんなこと言うなよ」「十分に価値があるよ」といった言葉は、あなたの心には届かないだろう。

 あなたのそうした気持ちや、それでも今まで頑張って生きてきたという事実を、相手が「良い」「悪い」といった判断を下さず、丸ごと受け入れてくれたとき、あなたは初めて安心し、「本当はどうしてほしいか」「どうなりたいか」「これからどうするべきか」を考えることができるようになるはずだ。

 その人が見てきた世界の中でのことは、結局はその人にしかわからない。

 それを見ていない他人が、自分の理解できる範囲の話に無理矢理矮小化したり、ジャッジしたりすることは、相手の人生や尊厳を侵すことであり、積み重ねてきた安心や信頼を一瞬で崩壊させてしまいかねない。

「相手の人生や今感じていることを、ありのまま肯定する」「他の人の人生をリスペクトする」というのは非常に難しく、それができる人はどうしても限られる。

 そのため、心が弱っている人は、「会える人」がどんどん減っていく。

「あなたにこそ、自分の苦しみや絶望を理解してほしい」と思った相手から、そうした態度を得られなかったり、失われたりしたら、その失望や苦痛は大変なものだ。

 そして、「頑張って人に会ってはみたものの、結果的にしんどくなったり失望したりする」を繰り返しているうちに、少しずつ他人と疎遠になっていき、「誰もいなくなってしまった」ように感じてしまう。

 でも、たとえ「絶対的に安心できる相手」が見つからなかったとしても、「相対的に安心できる相手」を探すことは大事だと、僕は思う。

 心が弱っている自分のことを、完璧に理解してくれなくてもいい。

 ただ、一生懸命に自分の人生や自分が今考えていることを受け止めようとしてくれている。

 そうした人たちとの時間を積み重ねていくことは、きっと、心や人生を再構築するための基盤になってくれるはずだ。

他人のルールに縛られず、自分のルールで生きる。

続きは本書でお楽しみください。

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