占いがきっかけで脚本家に! 占いと上手につきあって、運気の波にうまく乗ろう/占いで強運をつかむ③

暮らし

公開日:2020/7/8

「ハケンの品格」など大ヒットドラマを数多く手がける人気脚本家・中園ミホさん。人生は全部占いで決めてきたという著者が語る「占いを人生に生かす秘訣」をご紹介します。しあわせになりたいあなたの背中をそっと押してくれるはず。

『占いで強運をつかむ』(中園ミホ/マガジンハウス)

空亡の時期にも前向き

 こういう成功者の人にも、もちろん12年に2年間は運気が下がる「空亡期」が巡ってきます。

 空亡期に入ると、理不尽なことに巻き込まれたり、今までとは違ったことが起きていると感じたりするようなことがあり、恐れている人も少なくありません。

「この時期から空亡期に入りますよ」

 空亡期の過ごし方はとても大事なので、わたしは必ず調べてお伝えしていたのですが、「そういうことなら心構えもできるし、対処もできる」と彼らはどこまでもポジティブなのです。

 中には、わたしが知らせなくても、運気にとても敏感で、直感的にそれをわかって動いていらっしゃるような方もいました。

 過去を振り返ってもらうと、占いの結果が自分の人生シナリオと合っているか、まるで答え合わせをするかのように、占いを楽しんでおられる方もいました。

「占いがよく当たる」のも強運な人たちならではの特徴だと思います。

脚本家への転身は占いがきっかけ

 実は、わたしが占い師をやめて脚本家に転身すると決心したのも、占いがきっかけでした。

 ものを書く仕事へのあこがれは漠然と持っていたのですが、ここで覚悟を決めないと、このまま運気が落ちていく。落ちてしまったら、次に運が好転するまでに3年はかかる。だったら今しかない!

 そして、わたしは「脚本」という新しい世界に飛び込んだのです。

 それは運気でいうと、空亡期に落っこちる直前の〈老熟〉の年、わたしは28 歳でした。

 運の周期では、空亡期の直前の〈回帰〉〈天恵〉〈老熟〉の3年間は、これまで努力してきたことの結果が出たり、気持ちも充実したりと、たいへん実りのある年と言われています。

 しかし、わたしはとても虚しかったのです。わたしには何もいいことがなかった。占いから見ると、今までの人生で最高潮の時期にいるはずなのに、なんだかとても虚しく哀しかった。

 そして、自分自身のこれまでを振り返りました。この10年間、一体わたしは何をしてきたのだろうと。

 大学を卒業し、親戚の紹介でちいさな広告代理店に入社したもののOL生活は1年3か月で終止符。お酒を飲みあるき、遊び呆けていました。

 26歳のときには、ひとめ惚れして付きまとった男性にこっぴどくふられ、「同じ職業に就けば、またあの人と会える(今でいうストーカーですね……)」と国会図書館に通いました。その人は映画の脚本家でした。脚本の勉強のため、その人の書いた脚本を大学ノートにひたすら書き写しました。いま思えば、あのときに写経のように書き写したことがわたしの唯一の脚本修行ですが、当時のコピー代は1枚30円。脚本は枚数がかさみますから、貧乏なわたしにコピーする余裕がなかったのです。

 占い師を続けながらも、自分には向いていないとも感じていました。

 今村先生は自分の後を継いでほしいとおっしゃってくれていましたが、占いを職業にすることは人の運命を左右してしまうわけですから、自らに対する厳しさが求められます。一流の方はみな滝に打たれたり、修行をしたりと世俗にまみれることを禁じ、自らを律して職務にあたっておられます。今村先生も研究熱心な学者さんか、徳の高いお坊さんのような暮らしぶりでした。

 しかし、わたしはお酒や美味しいものが大好きで、恋愛ももっと楽しみたかった。占いの勉強は真面目につづけていましたが、わたしにその覚悟はありませんでした。

 結局わたしは、何者にもなっていませんでした。

 自身がどこに向かっているかもわからず、これから「空亡期」に入るのにわたしは一体どうしたらいいのだろうと焦り、怖くなりました。はじめて危機感を感じたのです。

 自分自身を見つめ直すと、幼い頃からわたしが褒められた数少ない体験はすべて、ものを書くことに関連していました。

 小学生のときに書いた詩がテレビ番組で取り上げられたり、ラジオで特集されたりしたこともありました。大学時代に褒められたのも、はじめて書いた脚本でした。

 そして、いつも胸の片隅にあった、いつかものを書く仕事につけたらという気持ちに気づいたのです。

 知り合いだった脚本家の桃井章さんが声をかけてくださったのはその頃でした。

 わたしは「これは運気に試されている」と思いました。

「今すごく忙しくて、締め切りがいくつも重なってしまったから、代わりに刑事ドラマの脚本を書いてみないか」

 そして、今こうして神様から「宿題」が与えられたのだから、これは空亡期に落っこちる前の最後の力をしぼって取り組まなきゃいけないと思ったのです。1987年11月のことでした。

 それから、わたしはこのチャンスを逃してはと、人生ではじめて努力をしました。何度も書き直し、必死に食らいつきました。そして、それが脚本家としてのデビュー作につながったのです。

 占いを知らなかったら、わたしは脚本家になっていなかったと思います。

占いであなただけの幸運をつかみましょう

 繰り返しになりますが、絶対的に悪い運勢という人はいません。

 運というのは誰のところにもやって来ます。短い時間かもしれませんが、あなたのところにも必ず来ます。

 運を使いすぎると減るという人がいますが、それはウソ。その好運を逃さず、その波に思いっきり乗ればいいのです。それができるか、できないか。運がいいか悪いかは、ここが分かれ目なのです。

 先に書いたとおり、成功者の男性たちは、運気の波に乗ることが上手でした。チャンスが来たら、それに向けて自身を高めて集中させ、必ずガッとつかみとる。ピンチが来ても、それは自分の課題ととらえ、じっくり取り組んで次のチャンスまで力をたくわえる。そうして運を自分のものにしていくのです。

 ぐーたらなわたしも占いを知っていたからこそ、運気の波をつかむことができました。

 あなたがしあわせになること、成功することに遠慮はいりません。

 占いとうまくつきあって毎日をもっと面白く、ハッピーにしましょう。

 さあ、あなただけの幸運をつかみに行くのはいまです。

<第4回に続く>