「1つの事を極め抜け」善逸を育てるため“じいちゃん”がかけた言葉/『鬼滅の刃』の折れない心をつくる言葉 ③

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更新日:2020/12/23

「鬼滅の刃」がヒットした理由は、自分の弱さと向き合い、葛藤し、それでも立ち上がろうとするキャラクターたちの“折れない心”にあるのではないでしょうか。そんなキャラクターたちが放った“言葉の力”に注目した1冊から、『鬼滅の刃』で生まれた名言をご紹介します。

「鬼滅の刃」の折れない心をつくる言葉
『「鬼滅の刃」の折れない心をつくる言葉』(藤寺郁光/あさ出版)

「鬼滅の刃」の折れない心をつくる言葉

 鬼の下弦の伍・累との戦いで、善逸は累の兄である蜘蛛につかまり、蜘蛛の毒に犯され命の危険を感じながら、危機を脱するために集中します。そのとき回想したのは、じいちゃん・慈悟郎からの大切な教えでした。6つある雷の型のうち1つしかできずに挫ける過去の善逸。これは、元鬼殺隊の柱で「育て」として指導、鍛錬する慈悟郎が、善逸を育てるためにかけた言葉です。

 

 あなたはなんでもそつなくこなす「器用なタイプ」でしょうか。それとも、あれこれやるのが苦手な「不器用なタイプ」でしょうか。

 器用な人は、自分のことにだけに集中するのではなく、ほかの人のことにも配慮したり、複数のタスクを同時進行でやり遂げたりする能力を持っています。たくさんのことをこなすことができるので、経験が豊富で、周囲から信頼を置かれている人も多いものです。

 しかし、「器用貧乏」という言葉があるように、さまざまなことをこなせるぶん、1つひとつが深まらず、特徴の薄い存在になってしまうというデメリットもあります。

 誰でも自分の能力、たとえば記憶力や計算力、身体的能力を使って極められることは、1つか2つに限られているのではないでしょうか。

 日本には、機械ではまねできないような人間離れをした技術を持った職人や匠、人間国宝とされるような人がたくさんいます。そうした人はどんなことにも精通し、なんでもできる人たちかといえば、そういうわけではありません。1つのことを何十年と、ただひたすらに、自身の技術力向上のために飽くなきまで、毎日毎日磨き上げてきた人ばかりです。

 1年、3年、5年やっても見えてこなかったもの、感覚がつかめなかったものが、10年、20年と繰り返しやっていくとつかめてくる。そして、さらにそれを続けると、にわかには信じられないくらいの領域まで磨かれていく……。だからこそ、職人、匠と呼ばれ、尊敬されるのだと思います。

 

 あなたにも、年月は問わず、1つのものを磨き上げた経験があると思います。たとえば、小さい頃の習い事や中高生のときの部活など、数年間取り組み続けたことも、そうした経験の1つです。もしくは、ずっと続けてきた、いまの仕事がそうかもしれません。たとえそれが、すでにやめてしまったものであってもかまいません。また始めたければ、いつでも再開すればよいのです。

 仮に、そのようなものがこれまで何もなくても、やりたいことがあるのなら、躊躇せず取り組んでみましょう。いまさら遅いということはありません。どのようなものであっても、始めるのに遅いということはないのです。

 20代、30代であれば、50年、60年も極めることができるし、60代、70代であっても、10年、20年極めることができます。

「自分には得意なことが何もない」というようなことはありません。自分では当たり前のように行っていること、簡単にできてしまうことは、やがて才能や優れた技術という価値のあるものに変わるのです。無意識であっても、続けられたことこそがあなたの強みなのです。

<第4回に続く>

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