「個人的なこと」も「政治的なこと」も。逡巡しながらつかみ取る、社会への「抵抗」の方法

社会

公開日:2021/8/30

生きるためのフェミニズム パンとバラと反資本主義

著:
出版社:
タバブックス
発売日:

「個人的なことは政治的なこと」という言葉がある。

 これは「私的な体験」が軽んじられがちだった時代に、「個人に起きた出来事」も社会構造によってあてがわれた「政治的なこと」なのではないかと訴え、問題化するきっかけにしようとした言葉だ。

 政策では拾いきれない個人の視点が、社会に反映されていくことはきっといいことだ。けれど、個人の痛みばかりが「暴走」しては、いい社会になるとは言い難い。あるいは「個人的なこと」から「政治的なこと」に行きっぱなしで、用語や理論ばかりが投げ交わされるのを見ていると、「現場」の痛みを置き去りにしているのではと感じることがある。

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あなたに贈る一冊

 ――「個人的なこと」と「政治的なこと」。
 そのどちらをもおざなりにしたくはない。

『生きるためのフェミニズム パンとバラと反資本主義』(堅田香緒里/タバブックス)は、社会学者である著者が格差や貧困、分断の問題をフェミニズムの視点から読み解き、身近で具体的な抵抗の方法を模索していく本だ。

生きるためのフェミニズム パンとバラと反資本主義
『生きるためのフェミニズム パンとバラと反資本主義』(堅田香緒里/タバブックス)

 第1章「パンとバラのフェミニズム」では20世紀初頭に起きたローレンス移民労働者ストライキや、〔貧困は自己責任の問題、個人の「能力」の問題へとすり替え〕て、「役に立つ」マイノリティは包摂し、そうでないマイノリティは排除するネオリベラリズムの欺瞞など、主に「政治的なこと」が書かれている。

 帯にも、先のローレンス移民労働者ストライキで叫ばれた「パン(金)も、バラ(尊厳)も、両方よこせ!」という勢いのあるスローガンが書かれているから、一見するとラディカルな本なようにも思える。そんなつもりで続く第2章以降を読むと、著者自身の「個人的なこと」の実直さに困惑させられる。

 高校生のときに路上の他者と出会ったことがきっかけとなって、大学卒業後に路上生活を始めるという人生最大の決断を下すに至ったこと。しかし、「挫折」したこと。夜間の弁当工場でベトナム人女性たちと「労働力商品」となって働いたこと。唐揚げのつまみ食いのプロだった彼女たちが、ライン作業中に口に押し入れてくれた唐揚げが至福の味だったこと。路上生活者だった「マッチョ」な男性と「いじられキャラ」のヤスオさん、そして自分との間にあった多層的な差別や暴力に気付いたこと。かつて労働者の街・寿町で出会ったタネさんという女性のこと、彼女が街の「浄化」と「再生」と同時期に消えてしまったこと。

 こうした「個人的なこと」、そして研究者として取り組む「政治的なこと」の両方が、著者の中に共存し、生きて葛藤しているのだ。そして、この葛藤こそが、本書最大の魅力だと私は思う。

 本書内の「声をきくことの無理」でも、かつて路上生活者とともに路上で生活した著者の、研究者としての逡巡が書かれている。

 路上生活者の生活改善の条件を探ろうとする「良心的な」目的であったとしても、「彼らの『声』をきく」ことの特権性や暴力、読み書きができる自分とできない当事者たちとの非対称性がある。そうしたことへの憤りから、著者は「路上生活者」の「声」をきくことを避けてきた。けれど、受け持っている授業の一環で、学生たちと路上生活者を訪ね、聞き取りをきっかけに気持ちが移り変わったことを、こう綴っている。

私は、かれらについて「書く」こと、そして自身の特権性と向き合うことから逃げてきた。自身が暴力を行使する主体になりたくない(すでに暴力を行使しているのに)という浅薄なエゴのために、路上の友人たちが、「われわれ」=「市民」とは異なる存在として、さらには「市民」を「危険に晒す」ような「脅威」として誤認され続けているという状況を放置してきたのかもしれない。〔中略〕なにより、かれらのチャーミングで愉快な側面を不可視化することに貢献してきたのかもしれない。ならば、もう書いてもいいんじゃないか。

 学生とともに行った聞き取りを経ても、「路上生活者」の「声」をきくインタビュー調査に自身の「研究」として取り組むことは未だにできないと語る。それでも、大学院生時代から数えて20年以上経った現在、貧困当事者組織の研究で、当事者の声を拾い集めようと思えるようになったのは、恐らく著者にとって大きな変化だ。

 この、一見すると「もどかしい」ほどの逡巡からは、「個人的なこと」と「政治的なこと」を登り降りしている軌跡が感じられる。「研究」という「免罪符」を使えば、痛みを経由せずに割り切ってしまうこともできただろう。しかし、そうはせず、模索しながら進む先人がいることにホッとする。

 本書は「パンも、バラも、両方よこせ!」と何度も叫ぶ。このメッセージは同時に、「個人的なこと」と「政治的なこと」のいずれかを重んじすぎたり、ある暴力の中にある多層的な暴力を見逃したりするなと言っている気がしてならない。

〔パンが欲しければバラを引き換えにせねばならない、パンを我慢すればバラが与えられる〕といった〔交換の論理〕は超えていける。どちらか一方を選ぶことをしなくていいのだ。

――パンも、バラも、よこせ!

文=佐々木ののか、バナー・イラスト=Ikeda Akuri

【筆者プロフィール】
ささき・ののか
文筆家。「家族と性愛」をテーマとした、取材・エッセイなどの執筆をメインに映像の構成・ディレクションなどジャンルを越境した活動をしている。6/25に初の著書『愛と家族を探して』(亜紀書房)を上梓した。
Twitter:@sasakinonoka

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