目標は大胆に! 失敗しても次に生かせばいい。自分で環境を変え、挑戦することの大切さ/努力の習慣化

ビジネス

公開日:2021/10/4

努力の習慣化

著:
出版社:
KADOKAWA
発売日:

 「Vプレミアリーグ最優秀新人賞」など、数々の記録をもつバレーボール選手・柳田将洋さんが、努力の習慣化する秘訣を公開。自然と努力を行えるようになったキッカケや思考法は何か? 目標設定、コミュニケーション、メンタルなど、あらゆる角度から「努力の習慣化」の方法論を説きました。

苦しいだけの努力は、もう終わり。誰でも「継続は力なり」を実感できる1冊です。

※本作品は柳田将洋著の書籍『努力の習慣化』から一部抜粋・編集しました。

努力の習慣化
『努力の習慣化』(柳田将洋/KADOKAWA)

目標は「大胆」に設定する

「環境」を変えることに意味がある

「海外に行くこと」と「プロになること」、この2つが僕にとっての大胆な目標でした。

 目標を定めたのは、2020年オリンピックの開催地が東京に決まった頃で、オリンピックに向けては一気に大股で進んでいきたかったのです。当時から取材などで公言していましたが、海外の選手と日常から戦い続けるステージを自分のノーマルにすることが必要だと感じていました。

 そして、選手として自分の価値を上げること、つまり、価値の限界にチャレンジしたい。この2点が理由で、プロと海外という大きな目標を立てました。

 具体的に目標達成をする方法を考えていく中で、「ポーランドのリーグでプレーしたい」と思いました。それまでに海外でプレーした日本人バレーボール選手もいましたが、2016年当時はノーマルではありませんでした。僕は言葉も話せませんでしたし、もちろん迷いはありましたが、日本代表として試合に出続けて、東京オリンピックのコートに立つためにはこのままではいけないと思ったのです。

 僕にとって、現状維持は下降と同じ意味。誰もが目に見えないくらい日々成長し前進している中で、自分がいつもと同じことをしていては置いていかれます。だからこそ、大胆に動かないといけないと思いました。

 プロと海外の2つを一気に実現させることは、2016年リオオリンピックの前から考えていました。東京でのオリンピック開催が決まったことや、リオオリンピックに出られなかったこともありましたし、日本代表としてコートに立ち続けたいという気持ちもきっかけとしてありました。

 父親にはほぼ事後報告になってしまったのですが(笑)、父は僕が慶應義塾大学を卒業して、サントリーに入社した人生を放棄することに疑問符がついたようです。僕にしてみれば、大学生から社会人になるタイミングで、「バレーボールをやめる」という選択肢もありました。それでも流れに乗るように社会人でプレーすることを選択しました。

 振り返ると、無意識のうちにコントロールされて生きてきたのかもしれません。大学を卒業して、会社員になるものだ、という見えないレールに……。今考えるとすごくイヤなことだと思えます。当時としては、自分の選択でガラッと何かを変えるということ自体がとても大きな出来事でした。

 もちろん日本でプレーを続けるのもよかったのですが、自分で挑戦すること、舞台をガラッと変えて一人で飛び込むことに意味があるんじゃないか、と。それを確信したというか、やらなくちゃと思いました。そんな様々な思いとタイミングで、2017年に海外移籍をしたのです。

うまくいかなくても「失敗」ではない

 一大決心をして海外でプロになったことを話すと、「日本にいると物足りないの?」とよく聞かれますが、決してそうではありません。

 たとえば、国内リーグには世界的に見ても屈指の外国人選手がいるので、リーグのレベル自体は世界でも高いほうです。

 ただし、リーグの評価が高いだけであって、僕への評価が高いわけではありません。海外に行く前にサントリーに所属していた時は、優勝することはできなかったものの、チームが5連勝したりと調子がいい時もあったのですが、僕自身はどう評価されているのだろうと思っていました。

 ドイツでコートに立つには、僕自身が自分にフォーカスしてレベルアップするしかありません。海外で戦いたかったし、成長したかったのです。

 海外ではチームのバランスを取るよりも、自分が決めてなんぼだという土壌があります。自分が点を決めて、アピールをする。それこそがチームへの貢献になります。僕自身海外に行ったことでそういった面が出せるようになりました。

 日本代表では海外と似たような感覚があります。もちろん日本人同士のチームなのですが、所属チームがあって、プレーが評価されて選抜されているというプロセスがあるので、「個人で戦っている」という気持ちにスイッチが切り替わるのです。

 日本代表に行くと勝手にスイッチが切り替わるので、日本と海外、くらいの違いがあるように思います。

 もしかしたら海外でのプレーを「失敗だった」と言う人もいるかもしれませんが、ものは考えようで、何をもって失敗とするかという話です。うまくいかないことがあったら次に生かせばいいだけ。

 そう考えられた時点で失敗ではありません。そして、自分で自分を動かすことができると思います。

細分化し、気持ちを固めて、実行する

「納得のいく選択」をする

 大胆な目標設定の次は、リアルにひとつずつ打つ手を考えていかなくてはいけません。

 何事もキレイに思った通りには進まないものです。自分で決めるにしても悩みますし、先々のことを考えもしますし、どんなに小さな決断だったとしてもそこが分かれ道になるわけですから、決断するということは簡単ではありません。

 会社員を辞めてプロになりたいということは、2016年にサントリーへ伝えました。会社は4月からが新年度ですが、バレーボールのシーズンは6月頃から翌年の4月くらいまでのだいたい10ヶ月です。そのため、シーズンと並行して、会社への提案もしていかなければなりません。

 目標達成において重要なのは、細分化です。「海外でプロになる」という目標なら、その前に、会社を辞めてプロになることを会社から認めてもらわないといけません。

 まずはこれが僕の目標になりました。「プロになりたい、海外に行きたい」と伝えた時に会社から言われたのは、「海外出張扱いにすることも可能だし、休職してサントリーに籍を置いて行くこともできる」ということ。出張手当は魅力的ですが、そうすると社員のままで海外に行くことになってしまいます。どちらもありがたい話なのですが、自分の中での「挑戦」という意味がなくなってしまいます。

 あくまで「プロ」にこだわっていることを理解し、認めてもらえるまでに3ヶ月かかりました。そこからまた半年くらいかかって、結局海外行きにイエスをもらえたのが2017年2月くらいなので、実質8ヶ月くらい時間を要しました。

 そこから大急ぎでチームを探して、知人伝いでビュールが見つかりました。2シーズン目でポーランドに行きたいと決めていたので、まずはなんとしてでもコートに立てるチームを求めていたのです。コートに立てさえすれば、結果を出すのは自分次第ですから、出場機会がある程度見込めるチームとしてビュールを選択しました。

 結局、日本の2016〜17シーズンの終了後にサントリーの退社、プロ契約、海外挑戦を同時に発表しました。時間はかかったかもしれませんが、自分の中で納得のいく決断であり、タイミングでした。

 ビュールには、エージェントを使わず、知人とのつながりを駆使しての移籍となりました。その次のポーランドに行く時は、エージェントに移籍のお願いをしました。

気持ちを固めて行動に移す

 当時は、海外に行くと言っただけで「すごい!」と言われました。バレーボールにくわしくない人だけでなく、バレーボールをやっている友達からも、です。ビュールが強いのか弱いのか誰も知らないので、「ドイツ1部リーグに行く」というだけで「すごい!」となっていました。今、日本人からビュールに移籍したいと僕が聞かされたら、「どうして?」と理由を聞いてみたいですが(笑)。

 無知が故に、海外に行きたいと思っても手遅れだというケースはあると思います。漠然と海外に行きたいと思っていても手遅れになります。行きたい人は、なるべく早く気持ちを固めて具体的な行動に移すべきです。「言葉が話せない」というのはあまり関係ありません。まずはバレーボールをすればいいのですから。

 日本で最初からプロというバレーボール選手は、10人いるかいないかではないでしょうか。大半の選手は会社員です。社員はある種会社の持ち物のようなものですし、上の立場の人からしたら勝手に動かれては困ります。

 そもそも僕の場合、バレーボール選手を引退した後のことも視野に入れて会社員になりました。当時は安定を重視していたのです。しかし、大学4年生で日本代表に選ばれて、日本代表という立場を知り、海外と戦うことを知って変わりました。自分で選択したはずの安定を断ち切りたくなりました。

 幸い僕は退社後もサントリーとはいい関係を築いていて、海外から戻ってもいち選手として契約をしていただいています。それもきちんと手順を踏んで話をして、8ヶ月かけて理解してもらったおかげかもしれません。分けて、決断して、実行する。会社員からプロになる時、僕はこの3つを意識しました。

あわせて読みたい

この記事で紹介した書籍ほか

努力の習慣化

著:
出版社:
KADOKAWA
発売日: