大江健三郎 Interview long Version 2010年1月号

インタビューロングバージョン

更新日:2013/8/19

自分の父親がどういう人間だったのか知るために、
小説家になったというべきかもしれません

父親を本格的に描いた
初めての小説

大江健三郎さんの『水死』は、水死した父親の死の情景を何度も夢に見る小説家・長江古義人(ちょうこうこぎと)が、「水死小説」を書くことで父親像を復元し直そうとする物語だ。大江さんには、精神科の病棟に入院した主人公が、25年前の敗戦時に行われた父親の蹶起(けっき)の一部始終を語る『みずから我が涙をぬぐいたまう日』(1972年)があるが、父親を直接に描いた作品は37年ぶりとなる。
「僕が9歳の時に父親は亡くなりました。これまで母親についてはいくつもの小説の中で書いてきました。ところが、父親については『みずから我が涙をぬぐいたまう日』以後、書かないできました。戦争が終わる前年に父が亡くなりました。それ以後、あの人はどんな人だったんだろう、どうして突然死んだんだろうと、ずっと考えてきました。自分の父親がどういう人間だったのか知るために、小説家になったというべきかもしれません。僕たちの世代は『父の不在』の時代に育ちました。父の代わりとしてあったのが昭和天皇です。天皇の赤子(せきし)であると教育された僕たちは、天皇を頂点とする縦のヒエラルキーに組みこまれていました。戦争が終わって、マッカーサー元帥と天皇が並んだ写真が新聞に掲載されました。その写真を見て、日本から父親はいなくなったと思いました。当時、自発的という言葉がよく使われました。父親なしで自発的に生きる社会、それが民主主義の始まりでもあったわけです。戦争の間は天皇という大きな父親がいて、戦後は父親がいない時代というふうに、僕は日本の社会をとらえています。
12年前に母親が亡くなりました。僕の母親は佐多稲子先生と同齢で、佐多先生を尊敬していました。母は僕が父親について書くことを嫌っていました。死んでしまった人のことを思い出すべきでない、という考えでしたから。母が亡くなった後、これからはお父さんについて書いても何もいわれないね、と妹にいわれたことを覚えています。母が亡くなってしばらく経って、『みずから我が涙をぬぐいたまう日』を久しぶりに再読しました。そして、父親がどういう人であったか思い出しながら書く小説を書こうと決意しました。そして同時に、自分の人生を振り返ってみようと思っていました」
大江さんは『水死』が書かれた動機として、父親の死をめぐる個人的な探究をあげるが、それは同時に天皇制=父の概念を浮かびあがらせ、さらに昭和の精神史を検討する作業にもつながっていく。
「海外の大学で日本語の小説を読む授業を担当した際に、夏目漱石の『こころ』をテキストにしました。『こころ』の中で先生が語る『時代の精神』という言葉に興味を持ちました。そのことをきっかけに、『時代の精神』を軸に自分の父親のことを考えてみようと思いました。漱石が書く『時代の精神』とは、明治維新から明治天皇が亡くなるまでの時期を指します。漱石は時代に直接コミットしない、友人の恋人をとってしまったことに絶望して自殺するような人間を描きます。先生は、明治天皇が亡くなったことを知ると、明治時代がこれで終わったと、自分の時代も終わったと思うんですね。そして『明治の精神』に殉じるために自殺する。社会や時代と関係せずに生きていても、ある時代が終わると、自分の時代が終わったと考えて自殺する人がいるわけです。そうした文脈を踏まえて、『昭和の精神』と自分自身を重ねあわせて考えてみようと思いました。『昭和の精神』は二つの時期に分けられます。一つは、昭和が始まってから1945年に戦争で負けるまでの20年間。もう一つは、戦後から昭和40年までの20年間。僕は昭和前半の20年間の半分を子供時代として過ごしました。僕の父親は昭和の最初の20年間を生きて50歳で亡くなりました。昭和の人間として30歳から50歳までを生きて、いろいろと考え、苦しみ、そして死んだ。昭和の前半の精神を代表する人間として父親を置き、民主主義の時代に父親なしで生きてきた自分を昭和の後半の精神を代表する人間として考えました」

ウナイコに象徴された
女性たちの闘い

古義人は、母親の遺した「赤革のトランク」に収められた資料を元に「水死小説」のプランを実現するために、郷里の村の中にある「森の家」に還る。古義人を迎えるのは、妹のアサ、塙吾良(はなわごろう)の弟子で劇団「穴居人(ザ・ケイヴ・マン)」を主宰する穴井マサオ、そして劇団の女性幹部で女優のウナイコたちであった。古義人作品の演劇化を企画する穴井やウナイコは、古義人に協力を要請する。古義人周辺には多くの人物が配置されるが、中でも特徴的なのが女性の登場人物だ。
「昭和の後半の歴史で重要なことの一つに、女性の解放があります。戦後、憲法に規定されている基本的人権に加え、女性の参政権が保障されました。この作品では、自分にとって女性がどれほど重要な存在であったかについて書きたいと思いました。母親には常に抑圧されたり守られたりして生きてきました。妹からも守ってもらった。僕は尊敬していた友人の伊丹十三の妹と結婚しました。家内からも常に保護されて生きてきたように思います。戦後を生きてきた自分と、自分の周りの女性の関係を書くために、僕はウナイコという新しい人物を造形しました。彼女は女性の権利を主張する人ですが、男性の支配や強制に苦しめられた経験を持っています。物語の前半部分では父親の死と『昭和の精神』について書き、後半ではウナイコという女性を通して日本の女性の抑圧の歴史を書く。アメリカやフランスや中国と比べると、日本の女性の権利は十分に確立されているとはいえません。才能があって独立心がある人が、どのように苦しめられたかを具体的に書きたいと思いました。ウナイコは17歳の時に官僚の伯父に強姦され、その結果妊娠し、中絶させられます。18年後にウナイコは、伯父たちに象徴される男社会や国家権力に対して、『死んだ犬を投げる』芝居で反撃をする。彼女の演劇活動を、暴行を与えた側がねじ伏せようとする。日本の社会では、女性に対する男性の暴力が大目に見られているのではないか。妊娠中絶についても、女性の生きる権利や人権の問題として解決されているとはいえません。彼女の闘いに、いまも男たちの暴力に苦しむ女性の声を反映させました。特に若い読者がウナイコの行動をどう考えるか、知りたいと思います」
今回の小説の中でもっとも重要な人物はウナイコだと大江さんはいう。彼女は劇団に所属する35歳の女優だが、なぜそのような設定になったのだろうか。
「日本の女性はさまざまな領域で世界的な活動をされています。外国人の友人に聞くと、中でも日本の女優さんがすごいという。日本の文化をいきいきとした女優像を通して世界に押しだしていく意味で、演劇をやっている人がいいと思ったんです。野田秀樹さんの芝居などを観ると、多様な表現力がある女優の魅力に惹きつけられます。そういう理由で、ウナイコを女優に設定しました」
女性登場人物の多くは、古義人に対して批評的、批判的だ。妻の千樫(ちかし)、長女の真木、妹のアサのような家族や、ウナイコやウナイコの秘書役のリッチャンなど外部の女性からの批判の矢面に立たされる。女性登場人物には、主人公・古義人の立ち位置をひっくり返す「批判者」としての役割が与えられている。
「古義人は70歳を過ぎた小説家で、自分のことを民主主義者と考えています。障害を持った息子との共同生活を生き甲斐にしてきたわけですが、息子が40代の中盤になってくると、その関係に徐々に不協和音が生じてきます。小説に書いたことと似たようなできごとが起こりました。息子の光が憂鬱症のような症状に陥ったんです。結果として僕と話さなくなり、僕も彼と話しにくくなった。家族の誰かれが、パパは光さんを抑圧しているというんです。光さんと一緒に音楽を聴いていて、彼のことを理解していると思っていて、小説に書いたりもするけれど、自分がいちばん好きな人間に光さんを育てようとしている、そういう抑圧はいけない、と。家内も僕の文学や人生について彼女なりの意見を持っています。僕の家庭の中にも、息子や妻への抑圧はあります。そうしたことを含め、女性側の批判を文学の上ではっきりと表現してみようと思い、女性たちが古義人を批判するシーンを書きました。そうしてみると、自分の新しい側面がよくわかるんですね。同時に、これまで女性についてあまりよく考えてこなかったことにも思い到りました。タイガー・ウッズのように何人もの恋人がいれば別ですが(笑)、僕の人生にとっての女性の代表は妹と家内の二人です。結婚前は妹が最大の理解者であり批判者で、結婚後はその役割が妻へと移りました。僕の小説に出てくる女性は皆、家内と妹を変形して書いたものにすぎない感じさえします(笑)」
『水死』は、『取り替え子(チェンジリング)』(2000年)、『憂い顔の童子』(02年)、『さようなら、私の本よ!』(05年)と続くいわゆる「おかしな二人組(スゥード・カップル)」三部作や、『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』(07年)の後日譚として読むこともできる。
「主人公の長江古義人と同じ時代を生きてきた友人の塙吾良の自殺の意味を考えたのが『おかしな二人組(スゥード・カップル)』三部作で、主眼は男性の生き方の問題にありました。昭和の後半の時代を男性の側から書いた作品群であったと思います。次に『臈たしアナベル・リイ~』を書きました。ドイツの作家クライストが書いた悲劇『ミヒャエルコールハースの運命ーー或る古記録より』の中の隣国の公子の不正に抗戦する女性をモデルに、日本の百姓一揆の中で女性の果たした役割を書こうと思った。戦争中に家族を失った少女がアメリカ人の青年に育てられ、彼の思うような人生を辿り、女優になる。育ての親のアメリカ人男性から受けた性的な暴行の記憶を一生かけて理解しようとするのがサクラさんという人です。サクラさんの生涯のスケッチが軸であり、古義人はあくまで脇役です。『水死』では、女性たちの批判を受けつつ、彼女らとともに生きていこうとする男として古義人を描きました。『取り替え子(チェンジリング)』に始まる三部作は一つの完成形で、その後、女性について書いた『臈たしアナベル・リイ~』があり、その作品で考えた女性像をさらに自分に引きつけて書いたのが『水死』といえます」
大江作品には「おかしな二人組(スゥード・カップル)」が登場するが、それはペアの男性に限られる。『臈たしアナベル・リイ~』以降、男性2人組に加え、女性2人組が重要な役割を果たすようになっていることは、大江さんの小説の変化を表しているといえるかもしれない。『臈たしアナベル・リイ~』において親密な友情で結ばれるサクラさんと柳夫人、そしてアサとサクラさん。『水死』では、ウナイコとリッチャン、ウナイコとアサの2組の女性2人組の存在が強調される。男性2人組に対抗すべく出現した女性2人組の存在は何を意味するのだろうか。
「それは非常にいい指摘だと思います。僕は1人の女性をきちんと書く力がないんですね(笑)。女性の内側に入りこみ、1人の女性に自分自身を語らせる力はないと思うな。2人の女性のうち片方が母親のような庇護者として、もう一方は若さで奮闘する行動者として、その2人組が補いあいながら役割を果たす。そのような役割分担を与えると、女性がうまく書けると考えています。1つの人格を二面的にとらえるのではなく、合わせ鏡に照らして何度も反映させるようなイメージです」

息子の「老い」が突きつけた
老年と死の問題

古義人にとってもっとも深い理解者であり批判者であるのが、妻の千樫だ。あるできごとを契機に生じた夫と息子アカリの軋轢を気にかける千樫であるが、彼女自身もシリアスな病で入院することになる。強力な眩暈を体験する古義人にも、老いの現実が忍び寄っている。千樫は古義人に対して、次のように問いかける。「私の老齢化、御自身の老齢化ということはもちろんあるけれど、あなたはアカリの老齢化を本気で考えてみたことはありますか?」と。『水死』の根底には、「老い」をめぐる問いかけがある。
「本当にその通りだと思うなあ。この小説の根本のモチーフは『老年』ということですね。障害を持つ息子と46年間一緒に暮らしてきて、いちばん劇的に自分がショックを受けたのが息子の老いです。昔、養護学校の先生に障害を持った子供は老化が進行しやすいといわれましたが、それは本当でした。息子の身体能力はかなり退化しています。発作のことを考えると10分以上、外に出ることはできません。どうしても家にこもりがちの生活になる。その結果いらいらしたり、不機嫌になったりもする。そうするとね、老いた人間同士が角突きあわせて生活している感じになるんです。この小説は老年の問題を書いていると思いますね。僕自身も、老年と、その向こうにある死について考えています。古義人の父親の弟子であった大黄(だいおう)さんが森の中に消えて自殺するイメージで『水死』は閉じられますが、古義人は大黄さんに重ねて自分の死について考えています。70歳を過ぎて、死に対して恐怖を感じることがなくなりました。死んでいく段階はやっかいなものだろうなあとは思いますけれど。若い頃は、自分が死んだその後も永遠に時間が続くことが怖かった。若い人に対して、若いうちに死ぬことを恐怖する必要はないといいたいです」
「赤革のトランク」に重要な情報が収められていないことを知った古義人は、「水死小説」を断念する。息子との間に生じた亀裂が解消されないまま、ウナイコや大黄さんの助けを借りて、古義人とアカリは「森の家」で共同生活をする。村の歴史と伝承に根ざした芝居『メイスケ母出陣と受難』を実現すべく奔走するウナイコと、止めようとする土地の保守勢力の対立をきっかけにして、事件は起こる。そしてもたらされるラストの、「森の中で水死する」大黄さんのイメージは鮮烈だ。水のイメージで死に到る主人公として、『洪水はわが魂に及び』(73年)の大木勇魚、『懐かしい年への手紙』(87年)のギー兄さんなどがあるが、一方で焼死する主人公として『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』(69年)の隠遁者ギー、『ピンチランナー調書』(76年)の森、『宙返り』(99年)の師匠(パトロン)などがいる。「水死小説」と「焼死小説」は大江さんの作品群の中において、鮮やかな対照をなす。
「いま指摘されてわかったことは、『焼死小説』で焼死する人物は書き手の敵側にいる存在であるのに対して、『水死小説』で水死する人間には心から同情を寄せているということです。僕は『懐かしい年への手紙』のギー兄さんが殺されるシーンが好きです。どのような形で死んだかは書かれていませんが、一種の自殺と考えています。森に入り立ったまま自分の意思で水死する、それは不可能だという意見もありますが、美しく雄々しい大黄さんの死も、僕にとって大切なイメージです」

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小説という形式で
やるべきことのすべては
『水死』で終わった

大江さんは、『水死』が自分にとっての最後の長編小説だと言い切る。「おかしな二人組(スゥード・カップル)」三部作と対になる、『臈たしアナベル・リイ~』『水死』さらなる新作を加えての女性を軸にした三部作を将来的に期待したいところだが。
「小説を書くことはなくなるのではないかという気持ちが日々、高まっています。『朝日新聞』で連載している『定義集』の十二月の分に、自分の晩年の生き方について空想を交えながら書きました。ゲラを読んだ家内が、こういう勝手な生活をして死んでいくつもりでおられるのか(笑)、といっていました。小説という形式で自分が一生を通してやるべきことのすべては、『水死』で終わったと考えています。僕の小説は『この人はいまこのように生きている』と書くのではなく、『あの人はこのように生きたということを聞いた』というふうに間接的なエクリチュールの集合体として成り立っています。歴史学に一次資料、二次資料という用語がありますが、僕は二次資料を三次資料にまとめ上げる形で、つまり引用の塊のような形で小説を書いてきた。そしてそのような書き方を徹底することで、小説のリアリティを追求してきた。フラナリー・オコナーのいう「人生の習慣」として、小説家としての書く習慣を自分に課してきました。一つの文章を何度も書き直すことで、それ自体がリアリティをもつ経験をしました。文章を書き直してリアリティがあると感じた瞬間に、その文章は完成していると考えます。それが僕がこの5年ほど、小説を書きながら感じとったことです。若い頃から小説を書いてきた人間が70歳を過ぎて、小説というものはこういうふうに書けばいいんだと自分で自分に語りかけたような小説。それが『水死』です」
『水死』では、『われらの時代』(59年)から『臈たしアナベル・リイ~』に到る、大江さんの代表作自体が引用される。そこには作者自身が、作家としての人生を振りかえる視点が組みこまれている。
「いままさに振りかえっています。この小説を書き終えた瞬間から、自分の人生を振りかえっているんです。朝1時間ほど散歩に出かけることがあるのですが、昔は岩波文庫か何かを一冊持って出たけれど、いまは何も持って出ない。散歩の間、何を考えているんですか、と家内に聞かれます。僕は散歩をしながら、人生のある瞬間のことを克明に思いだしているんです。たとえば僕が毛沢東と会った日とか。散歩中に出会った人が僕に話しかけても、頭の中は昔の時間にワープしていることもあってうまく答えられないので腹を立てられますけれど(笑)」

「武器」となる小説を持て

最後に、『ダ・ヴィンチ』読者に大江さんからメッセージをいただいた。
「若い人が小説を読む時に、『武器』を持つ必要があると思います。『武器』とは、自分にとってこれが最良の小説だと思っている小説のことです。この小説については自分は完全に知っていると考えられるまで、何度も読みかえす。新しい小説を読む際に心の中のその小説と比べることで、それがいい小説かどうかがわかる。若い時に自分にとって重要な小説を発見した人は、その後の人生が違ってくると思います。若い僕の『武器』は、長らくエーリッヒ・ケストナーの『ファビアン』でした。文体から人物からすべてが自分にとってこれこそ小説といえる小説を見つけること。たくさん読む必要はありません。その小説のことを常に考えながら、新しい小説を読むことを心がける。そしてさらに、心の小説に匹敵するような小説をその人自身が書くことができれば、その時は芥川賞などすぐとれると思いますよ(笑)」