注目の新刊 『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』 ダ・ヴィンチ2013年12月号
3.11後、大きく動揺していた「私」はようやく恢復し、「晩年様式集 イン・レイト・スタイル」という文章を書き始めた。東日本大震災以後の緊迫した状況を背景に、2年近くにわたって雑誌『群像』に連載された最新作。老境の円熟を拒否し、大惨事に挑む傑作。
最終更新 : 2018-06-08
1935年愛媛県生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。58年『飼育』で第39回芥川賞を受賞。以後、戦後民主主義者として現代日本文学の最前線で活躍し、数々の文学賞を受賞する。94年には、日本人では2人目となるノーベル文学賞を受賞。2006年に大江健三郎賞設立。
最終更新 : 2018-06-08
3.11後、大きく動揺していた「私」はようやく恢復し、「晩年様式集 イン・レイト・スタイル」という文章を書き始めた。東日本大震災以後の緊迫した状況を背景に、2年近くにわたって雑誌『群像』に連載された最新作。老境の円熟を拒否し、大惨事に挑む傑作。
取材・文=榎本正樹 写真=川口宗道
おおえ・けんざぶろう●1935年愛媛県生まれ。東京大学文学部仏文学科卒。58年『飼育』で第39回芥川賞を受賞。以後、戦後民主主義者として現代日本文学の最前線で活躍し、数々の文学賞を受賞する。94年には、日本人では2人目となるノーベル文学賞を受賞。2006年に大江健三郎賞を設立。 『水死』 大江健三郎 講談社 各2100円 母の死から10年、妹のアサは「兄さんに『赤革のトランク』を渡すときが来た」と告げた。父親の死に関する資料が詰まったそれは、私が父の『水死小説』を書くのに絶対的に必要なものだった。執筆の準備を進めるなかで出会った劇団「穴居人」の女優・ウナイコ。彼女とのやりとりを通じて、古義人自身も大きな変革を迫られることに――。
自分の父親がどういう人間だったのか知るために、小説家になったというべきかもしれません
父親を本格的に描いた初めての小説 大江健三郎さんの『水死』は、水死した父親の死の情景を何度も夢に見る小説家・長江古義人(ちょうこうこぎと)が、「水死小説」を書くことで父親像を復元し直そ…
取材・文/榎本正樹 撮影/川口宗道
大江健三郎(おおえ・けんざぶろう) 1935年愛媛県生まれ。東京大学文学部仏文科卒。 在学中に執筆した『奇妙な仕事』で東大新聞の五月祭賞を受賞して文壇デビュー。 58年に『飼育』で芥川賞を、64年に『個人的体験』で新潮社文学賞を、67年に『万延元年のフットボール』で谷崎潤一郎賞を受賞。以降も数々の文学賞を受賞し、戦後文学の継承者として名実ともに現代日本文学の最前線で活躍。94年に日本人としては2人目のノーベル文学賞を受賞する。 『さようなら、私の本よ!』 大江健三郎 講談社 2100円 安保デモのパフォーマンスに参加した古義人は頭部に重傷を負い、初めての入院をしていた。見舞いに訪れた古義人の旧友・建築家の椿繁は、静養が必要な古義人の隣人として自分も北軽井沢で暮らすという。退院後に始まったこの共同生活には繁のもとに若者が数人合流する。やがて古義人は彼らが東京でのテロを計画していることを知り、軟禁状態におかれる。創作意欲を失っていた古義人に対し、繁はこの計画をモデルに小説を書けとすすめるのだが……。老人…
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