劇作家・平田オリザが語る、本当のコミュニケーション能力とは?

人間関係

更新日:2012/12/13

 12月といえば、忘年会やクリスマスパーティなど、何かと人の集まる場所に出ることが増える季節。気心の知れた仲間との忘年会ならばリラックスして楽しめるけど、見知らぬ人が集うパーティは苦手という人、結構多いのでは?

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 初対面の人と話すのは、結構メンドくさいことだろう。話す必然性がない。共通の話題もない。お互いのバックボーンも違う。こういう相手と話すには、思っていること、話したいことなどを、かなりしっかり言葉で説明しなければならない。気心の人ならニュアンスで伝わるのに…。そこにもどかしさやメンドくささを感じ、コミュニケーションを避けてひとり壁際で料理とお酒を楽しむ…。そんな経験、誰にも一度はあるはずだ。

 こういった問題に対する処方箋になり得るのが、劇作家・平田オリザの『わかりあえないことから─コミュニケーション能力とは何か』(講談社現代新書)だ。本書では、演劇や教育の現場に携わってきた著者が、日本人のコミュニケーションの方法を観察し、その問題点と改善策について論じていく。

 例えば、アメリカ人ならばどうか。先のようなパーティでは、彼らは気軽に他人に声をかけるという。しかし、声をかけるアメリカ人はコミュニケーション能力において優れていて、声をかけられない日本人は劣っているのかというと、どうやらそういう話でもないようだ。いわく、アメリカ人は「そうせざるをえない」から声をかけているという。

 人種も宗教も異なる人間が集まって暮らす多民族国家では、まず自分が相手に対して悪意を持っていないことを表明しないと、人間関係に無用な緊張感やストレスがたまってしまう。フランクに声をかける文化は、そういった背景から生まれたようだ。

 そして、日本も同じような社会になりつつある、と著者は語る。かつては「総中流社会」なんて言葉もあったように、似たような状況や価値観を共有していた日本人だが、ライフスタイルが多様化した今、もはやバラバラになっている。だとしたら、互いに「わかりあえないこと」を前提に、バラバラな人間たちがバラバラな価値観ままでいかにコミュニケーションしていくかを考えるべきだろうというのが本書の主張だ。

 わかりあえることを前提にコミュニケーションをしていると、ちょっとしたズレやすれ違いがストレスになる。一方、「わかりあえないこと」を前提にした相手ならば、ちょっと何かが通じただけでそれが喜びになる。この意識の変化がポイントだ。確かに外国人との会話では、道の説明程度のことを理解しあえただけでも、何だかうれしくなったりする。

 日本人を“外国人”として認識する…。ちょっと難しそうだけど、そんな意識でパーティに出てみれば、見知らぬ誰かとコミュニケーションを取るのがちょっと楽しみになるかもしれない。

文=清田隆之(BLOCKBUSTER)