『水曜どうでしょう』嬉野D、TVディレクターになったのは間違いだった!?

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/18

 放送開始から20年近く経った今もなお多くの藩士(ファン)に愛される『水曜どうでしょう』。この伝説的番組を支えてきたTVディレクター、嬉野雅道氏による初エッセイが上梓された。タイトルは『ひらあやまり』(KADOKAWA)、表紙を開くとバッチリきめたカラーグラビア。一見おちゃらけた内容かと思いきや、読み進めて飛び込んでくるのは、「幸福って、けして人を大きく育てはしない気がする」など人生の本質に迫る金言の数々。不可思議な魅力に溢れた本書はどのようにして生まれたのか?

『水曜どうでしょう』嬉野雅道D

――編集者から本書の企画の話があったそうですね。その時の印象はいかがでしたか?

「すでに『ひらあやまり』ってタイトルだけは決まっててね、なんだよ、いきなり派手にあやまってんな~って思ったらなんだか笑っちゃってね。タイトルに惹かれてやってみたくなった。だって、ひらあやまりって弁解の余地もない状況でするもんでしょ? とにかく勘弁してもらいたい一心っていうの?(笑)なんとかこの場を乗り切るにはもう平身低頭しかないっていう。それはすでに言葉なんか見つからないって状況でしょ? それがこれから書く本の出発点だっていうんだもん良いじゃない(笑)。おまけに巻頭には嬉野さんのグラビアを載せましてって……。おまえ本気で言ってんのかって(笑)。だけど、そんな奇妙なことをやりたいって正式に提案してくるってことは、この編集者はこれまでも社内で自分の思いつきを実現させてきたんだろうなって想像できるから、だったらこいつは頼りになるだろうと。そんならむしろ安心してこの企画にそそのかされてみようかなと思いました」

――巻頭グラビアはセクシーショット満載です!

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「そもそもなんでオレがバスローブを……って納得できないまま着せられてるからね、表情には戸惑いしかないの。そういう男がバスローブにくるまれてスネ出してソファに寝てるんだから写真の上がりを見ても無理がある(笑)。でもまあ、スタイリストさんも多少オレのこと小バカにしながらも楽しそうだったからね、まあいいかと。それにカメラマンもね、“おっさんと電柱が好きです”なんていうおかしな女性で、お陰様で気が楽だったんであんな恥ずかしいこともやれたんです。50過ぎてからはね、勧められたことは、とりあえずやってみるようにしてます」


――発売にあわせた「嬉野さんと珈琲の会」は、初めての単独トークショーだったそうですね。

「56年歳のサラリーマンが単独ライブですよ。オレ、世間にいないと思うよ、そんな経験するサラリーマン。あれも熱心に勧める知り合いのイベンターの口車に乗ってやってみたことです。したら1回目のステージは朝9時からですっていうのね。え? 1回目って、1回で終わりじゃないの? って聞くと4ステージ組んでますって(笑)。でも、やってみたら楽しかったんです。みんな本当に満足そうな笑顔で帰っていったからこっちも当然満足でしたよ。そうやって自ら渦中に身を置くってことも、生き物には実は必要なことじゃないのかなって思うようになったんです。だってお客さんが来ちゃってるからね(笑)。もう始まっちゃってるから、あの場で頼れるのは自分とお客さんだけでしょ? いざとなったらお客さんにだって頼るよ。だから途中からはお客さんにマイクを渡してね、藪から棒に“なんか質問して”って言って、言われたお客さんはイキナリでびっくりしてたじろぐんだけど、目の前のオヤジも必死なんだってことが伝わったのかしゃべりだす(笑)。結局、対話ショーみたいなことにしたらすっかり面白くなっちゃってね、あっという間に時間が過ぎて。人間必死になればどっかに活路を見出すのねって思うと、人生の残り時間も見えてきた気もするから、やってみたい気もするなって思えることは、そそのかす奴がいたらやることにしてるんです」

――本書でも触れていますが、数々の賞を受賞したドラマ『ミエルヒ』も、初めて企画をメインに担当されたんですよね。

「そうです。あれも『一緒に企画をやってみませんか』って誘われて始まったことなんだけど、その人がイキナリダウンしちゃってね、え? これってオレがひとりでやるの? どうやるの? みたいな感じでね。でも、やれそうな予感はしてました(笑)。そういう時はなんとか乗り切れる。つまり、やれそうなことは失敗して少々恥かいても、やらないよりやる方がいいってことです。意外にやれるんです。やれたな~ってことを一回実感するとそのあとに楽しいことが増えます。やれたな~っていう実感は次にズンとした満足感に変わるから一度では終わらなくなるのね。なにより自分出発の楽しみや関心ごとを世間にまで広げていくきっかけになるわけだから仕事が自分のことになっていくんだと思います。だから生きていくのがその分楽になる。自分のままで生きられるんだという安心感と、それとね、なんかにね、気づきだすのよね」


――『水曜どうでしょう』も大きな分岐点となった番組だと思います。本書にもメンバーとのエピソードが収録されていますが、嬉野さんにとってメンバーはどんな存在ですか?

「今も変わらない関係だと思います。大泉くんは今や映画で主役も張る人気俳優になって知らない人もいないくらいで、たまにバラエティ番組に出てるの見ると一人でトークを仕切っててね、その場の誰もが黙るくらいおもしろい。あぁ、この大泉洋が全身全霊を傾注してたのが『水曜どうでしょう』だったんならそりゃ世界的におもしろくもなるわな~ってあらためて思う。なんかね、あれから東京に出た大泉洋が芸能界でスキルアップして今や人気とかじゃないと思うの。あの大泉洋が今の大泉洋のまま最初から『水曜どうでしょう』にいたってことなんだと最近考えますね。それは大泉洋だけじゃない。ぼくを含めた他の3人にしたって同じです。あの時期、『水曜どうでしょう』にしかぼくらの可能性はなかったわけだから、4人が4人ともあの番組に全精力を傾注してたんですよね、そういう取り組み方の出来た番組だったんだなと思います。よく、『水曜どうでしょう』を知らない人に、どんな番組ってひと言で分かりやすく言えないってのがあってね、でも、それってそもそもあの番組を作ってたぼくらにも、作ってる間中、何か作ろうとしたところがいっさいなかったからかなって今は思えます。番組の出来不出来を事前に保証しなければならない枷もなかったし、行った先の現でハプニングが発生したらそれを全員で目聡く発見しておもしろがって転がしていく。そういうことを自分たちの価値観だけで自由にやれてしまったから、そしてそのことに熟練していったから、結局毎回、何が、どう面白いのか、もはや抽出もできないくらい複雑に絡み合った先でイキナリ満開の花が咲くみたいに可笑しみが生まれた。そのせいで何がどう面白いか説明もできないんだけど、その説明出来ないことと何回見ても面白いと思ってしまうことは、ひょっとすると同じ理由なのかもしれないですよね」


――本書が出会いの一冊になる人も多いと思いますが、嬉野さんが影響を受けた本はありますか?

「間違いなく影響を受けた本はライアル・ワトソンの『生命潮流』。ものすごく分厚い一般向けの科学本でした。でも80年代の初めには話題になってた本だったんですよ、流行ってたんです。巧妙な人体の仕組みや超常現象のようなことも書いていてね(笑)。有名なのは『百匹目の猿』という話。これ、日本の瀬戸内かどこかの島で暮らすニホンザルの話なんだけど、ある日、一匹の子猿がエサの芋を拾ったあとにね、海水で洗って食べるようになるんです。つまり、その子猿は塩味で食うと美味いということを発見したんですね。でも、そんな奇妙なことをほとんどの猿は冷ややかに見ていた。それが、そのうち別の子猿が同じように芋を海水で洗って食べ始めるんですね。また一匹、また一匹と芋を海水で洗う猿がどんどん増えていくんです。そして、その数が100匹目を数えたとき、全島のニホンザルが全員芋を海水で洗って食べるようになった。さらに驚くべきことは、その島だけの現象だったはずなのに、知らぬ間に日本中に生息するニホンザルが全頭芋を海水で洗ってから食べるようになったという報告が相次ぐ。そこは多少劇的に作ってる部分もあるのかもしれないけど、そんな話を科学者の口から聞くとね、やっぱり現実世界だけの理屈では説明できない、もうひとつの何か仕組まれた世界があるような気がするのは、ほとんどの人の気持ちの中に潜んでるんじゃないかって思えてくるんですよね。あの本の影響で、科学的なものの考え方の先にも神秘的なことに行き着くことを学んだかなと思いますね」

――その本の出会いが、今の嬉野さんを作ったんですね。

「若かったあの頃にね、科学的な考え方に刺激されたことは明らかですね。ある時期から自分ってものは生まれたときからきっと変わらないんだな~って思っているけど、まだ気づいてない自分の力ってあるからね。だから若い世代が憧れや理想の人に自分を近づけようと努力するのは大事。ただ、今の僕くらいの歳になったらまた多少取り組み方を変えなきゃならないって思うんです。つまり、具体的に自分には何ができて何ができないのか、本当は何をしたくて、何をしたくないのか。そういうね、かなり自分自身を冷徹に見てみる。その結果、どんどん自分がちっちゃな男に思えてくるんだけど、そんな自分をさらにしげしげと見つめてみるというか。そういう取り組み方をした方がいい。だってぼくの場合、残ってる時間もそんなにないしね、人生は1回だと思うと、いつまでもアバウトに理想の自分像を自分に当てはめよう、求めよう、ごまかそうとするのは、ただただ時間のロスに思えてくるからね。だから40過ぎてもまだ理想の自分になってないなら(笑)、もう、自分ってものはこっから先変わらない。そう決めて。それこそ決して動かせないゲームのルールのように自分は変わらないものと決めてしまった方がいい。その次に考えたほうがいいのは『この世界は自分ひとりじゃないんだよな~』ってことね。『なんでいつもこんなにバカみたいにたくさんの他人が周りにいるんだろう』って。ひょっとするとそれは、他人の中に自分を助けてくれる存在がいるってことじゃないのか、そうか、どんな時代でも人はやっぱり人の中で生きるんだ。そういうふうに思い込んでみる(笑)。例えば双六ね、あれだって、サイコロを振って出た目の数に従って駒を進めるのが絶対のルールでしょ。行きたいマスに無理矢理いっても、双六は面白くない。動かせないルールがあるから双六は面白くなるんですよね。だから、ある時期が来たら自分をスキルアップすることばかりに囚われるのはやめて、自分の成長は自分では動かせないんだと思い込んで、今ある自分の才覚と人脈を駆使して、この先どう進めるかを考え始めた方がワクワクするはずなんですよ」

――まさに『どうでしょう』の人気企画「サイコロの旅」そのものですね。

「そうそう。なんで思い通りの目が出ないと帰れないんだよって、ぶつぶつ文句を言いながらもサイコロを振ることに真剣にならざるをえないわけです(笑)。
ぼくは文章を書いてみたら本一冊書けるくらいの力があったんだけど、若気の至りで映像の世界に入っちゃって、ずっと、ここは違ったかな~って違和感を持ち続けてきて、さすがにこれはボタンを掛け違えたかな~ってことに途中で気づきましたけど(笑)、もう今さらね~って年でもあるし、この世界だから出会えた人たちがたくさんいるわけだしと思うとね、この頃は、このボタンは掛け違えたんじゃないの、これはファッションなのって、もう言い切ってやろうと思うことにしたんです(笑)。そんな風に割り切れるまで、実にたくさん時間はかかったけど、出会いのおかげで割り切れるようになった。割り切れれば、その瞬間から人生はそのままで何倍もおもしろくなるんですね」


取材・文=松本まりあ