制服のルーツは軍服!? 学生、警察官、神職、巫女など180点の制服のイラストから150年という時代の変遷を読む

社会

公開日:2016/5/26


『日本の制服150年 イラストで見る制服のデザイン』(渡辺直樹/青幻舎)

 私が最初に就職したのは某編集プロダクションで、服装は自由だった。だから制服を着ていた時期となると、およそ学生時代まで遡ることになる。その時は一貫して「学ラン」と呼ばれる詰襟の学生服が指定されていた。今でも大切に保管してあるのだが、袖を通せば学生時分と変わらないのは体型だけでなく中身もだと思えてきて、軽くウツになる。

 そういう学生服といった制服のルーツはどこなのだろうか。『日本の制服150年 イラストで見る制服のデザイン』(渡辺直樹/青幻舎)によれば、それは明治時代であるという。いわゆる明治維新の時代であり、日本は西欧諸国に追いつけ追い越せで近代化を推し進めていった。そして西洋のさまざまな制度を取り入れる過程において、当然洋服もその一部として導入されていったというわけだ。

 では学生服のルーツはといえば、それは軍服である。本書はイラスト図解付きで制服を詳しく紹介しているのだが、なるほど軍人の制服は濃紺か黒の詰襟が基本で、これが学ランのルーツというのは頷ける。そもそも詰襟というのは「まだ鉄砲の性能が悪い時代に、接近して戦う際に首を守る」ためのものだったそうだ。また女子学生の定番スタイルである「セーラー服」も軍服をルーツに持つ。セーラーとは船乗りの意味で、軍人では水兵を指す。イギリスの軍制を取り入れた日本が水兵の制服をそのまま導入し、現在は女子学生に受け継がれたのだ。女子服の定番スタイルが、元々女性のために作られたものではないというのも歴史の妙である。

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 実は軍服の詰襟スタイルは、他の職業でも多く見られる。例えば戦前までの警察官は、詰襟にサーベルを所持するスタイルだった。また郵便や国鉄(現在のJRの前身)などの制服も詰襟が選ばれている。筆者・渡辺直樹氏の見立てによれば、当時は背広以外では軍服ぐらいしか見本となる制服がなかったのだろうということだ。

 そして明治の時代から150年。制服のカタチも変化していった。今では学ランやセーラー服よりも、デザイナーズブランドのスタイリッシュな制服が好まれる流れ。国鉄や郵便は民営化され、その制服もより軽快なものへと様変わりした。本書では時代と共に変わる制服がイラストで掲載されているので、視覚的にその変遷を掴むことができる。堅苦しさのあった昭和の制服から、現代社会の制服はより一般社会に馴染んだものに変化してきたと容易に理解可能だ。

 それでも変わらないものもある。いわゆる「神職」の制服だ。「立烏帽子」(たてえぼし)や「狩衣」(かりぎぬ)など古文の教科書で登場するような装束が、現代でも受け継がれている。また僧侶の制服である「法衣」(ほうえ)や「袈裟」(けさ)もやはり不変の存在。西洋文化によって日本はその姿を一変させたが、その根っこの部分というか古きよき伝統が、いまだ失われずにいるということも忘れないでおきたい。

 本書は70職種181体のイラストを図解付きで掲載しており、制服に関する資料としてはまさに一級品。さらに時代の変遷を知ることができるという点では、ある意味「歴史書」の側面も持ちあわせている。上梓するのに3年近くの歳月が費やされているのも納得できるし、これだけの大著を物した渡辺氏には敬意を表したい。ただそれでも、未掲載の職種はまだまだ存在する。これは欲張りすぎかもしれないが、今後の増補版もぜひ検討していただきたい。そしていずれはバイブル的な「イラストで見る制服大図鑑」を完成させてほしいものだ。

文=木谷誠