美輪明宏×瀬戸内寂聴が厳しい時代に釘をさす!「だんだんと日本は前の戦時中に似てきている」

社会

公開日:2016/7/14

 93 歳の今もなお、現役の作家であり僧侶でもある瀬戸内寂聴さんと、独自の美意識と歌声で多くの人を魅了する美輪明宏さん。2015年に長崎県美術館で行われた2人の対談を書籍化したものが、『これからを生きるあなたに伝えたいこと』(マガジンハウス)である。本書は出会い、才能・不思議な力、心・女性の美しさなど、さまざまなテーマについて2人が語った対談の言葉をそのまま記載したものである。

 例えば、出会い。瀬戸内さんは「この世で出会う人とは、出会う意味があるから出会うんだと思います。出会う人との縁は大切にしなければいけないですね」と話す。2人の出会いも今回の対談も、一見すると偶然のようだ が、これもまた必然であるのかもしれない。

 本書によると、2人の出会いは美輪さんが“丸山明宏”の名前で活動していた頃にさかのぼる。雑誌の取材で、美輪さんの自宅を訪ねた瀬戸内さん。初めて会ったというのに、美輪さんはずっと昔からの友達のように瀬戸内さんに対して話をした。しかもその頃から、美輪さんは「今年の終わりに、すごい男の人が現れて、その人のおかげで、来年の正月から私はとても有名になるんです」と、初対面の瀬戸内さんにご自身の未来を話したという。その予言どおり、劇作家の寺山修司さんが美輪さんのために書いた芝居(1967年の「青森県のせむし男」や「毛皮のマリー」)が大当たりしたのは言うまでもない。

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 また瀬戸内さんが70歳で書き始めた『源氏物語』。本書では、瀬戸内さんの前世や不思議な力が、『源氏物語』の執筆に深く関わっていたことも紹介されている。

 瀬戸内さんが僧尼の道を歩みだし、しばらく経った時のこと。美輪さんの家で2人の対談を収録し終えた時、美輪さんの脳裏にはハンサムな中年男性の生首が、瀬戸内さんの前に浮かんで見えた。この男性こそが、長慶天皇という南北朝時代の第98代天皇。足利幕府に追われ岩手県にある天台寺で殺され 、その存在がなかったことにされていた天皇である。

 瀬戸内さんはちょうどこの頃、天台寺から住職になってほしいと懇願されていたタイミングであった。はじめは断っていた瀬戸内さんだが、ついには住職を承諾。気づけば毎月のように、京都から岩手に通っていた時期と重なっていた。

 ここから、瀬戸内さんの前世と『源氏物語』が一気に結びつく。実は長慶天皇は、源氏物語の語句を説明した『仙源抄』を執筆した天皇である。美輪さんによると、その長慶天皇の女の家来であり天皇の横で墨をすっていたのが、前世の瀬戸内さんだった。こうした一連の流れを美輪さんは「何百年経っても、霊は前世のことをちゃんと記憶していて」と話す。

 もちろん美輪さんは霊能者ではないが、瀬戸内さんのような特定の人に限って「お役目の時にフッと降りてくるという感じなんですね」と話すように、なぜか霊視ができるという。美輪さんがもつ 不思議な力は、瀬戸内さんの思いがけない前世までもしっかり見えてしまうのだから驚きだ。

 そんな2人が断固として反対しているのが、戦争である。ドローンが空を舞い、無人機のミサイルで戦争する現代。瀬戸内さんは、こう社会の空気を読み解く。

今ね、だんだんと日本は前の戦時中に似てきているんですよ。(中略)このまんまいったらね、『あの作家には書かすな』とかね、この作家には『こういうものを書け』とかね、そういう世の中になると思いますよ」

 そして「戦争はすべて集団殺し」であるからこそ、「殺すなかれ、殺させるなかれ」と仏教の根本的な思想の大切さとともに、戦争への思いを本書では伝えている。

 美輪さんは、「感性も知性も育まれていない日本人では知力の戦いにおいても、たちまち敗戦してしまいます」と現代社会を嘆き悲しむが、その一方で「一番の責任者は、選挙民」と言い放つ。そして「個人的な欲は、全部捨ててください」としている。

 このほかにも、さまざまな試練や困難にあった時 、美輪さんは「何事も逃げずに受け入れ、感謝して乗り越えることが大切」と日々の読経からの学びを伝え、瀬戸内さんはすべてに感謝する心を持つことの大切さを説いている。

 厳しくも愛情あふれた2人の言葉は、先行き不安な現代社会を生きるためのメッセージでもあり、今を生きる私たちにとってはある意味人生論であるようにも思えてくる。まずは一人ひとりが、この時代に放たれた2人の言葉の意味を、じっくりとかみしめたい。

文=富田チヤコ