「勉強だけでなく食料支援も」自身の壮絶な貧困体験から設立した「無料塾」。その主宰に聞く、塾の存在意義とこれから【インタビュー】

社会

公開日:2024/4/19

小宮位之さん

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 ふと「無料塾」という単語が目にとまった。貧困家庭で育つ中学生に向けて、英語と数学を週1日ずつ指導。1人の講師がふたりの生徒に少数で無償指導する八王子つばめ塾を主宰するのは、認定NPO法人八王子つばめ塾の理事長・小宮位之さんだ。

小宮位之さん
無料塾での小宮位之さんの指導風景(写真提供:小宮位之さん)

 幼少期から大学時代には自身も貧困家庭で暮らし、受験では経済的な理由からの苦労を味わった。著書『「無料塾」という生き方 教えているのは、希望。』(ソシム)でも当時の思い出を、赤裸々に明かしている。かつての自分と重なる環境の生徒たちが路頭に迷わないためにも。そう願う小宮さんの心中は、熱い。

子ども食堂と比較して無料塾の数はごくわずか

――2012年9月に八王子つばめ塾をスタートして12年目。全国には小宮さんのノウハウを継ぐ弟子の方々がいらっしゃるそうですね。

小宮位之さん(以下、小宮):自分で無料塾を設立する前に、一度でも八王子つばめ塾の見学に来れば「弟子」と認めています。現状では全国で40団体ほど、設立後のアドバイスも含めると50団体ほどです。ただ、なかには活動を辞めてしまった無料塾も10団体ほどあります。

――当事者として、日本全国にある無料塾の変遷に何を思いますか?

小宮:僕が設立した当時は今ほど広まっておらず、ネットで調べた限りでは、近隣の国分寺無料塾さんしかありませんでした。ただ、行政からの委託事業として、水面下で活動している団体はあったと思います。僕らは完全に民間で、自主的に「民間有志型」と呼んでいるんです。ひとつ大きな転機だったのは、2013年6月に国会で成立した「子どもの貧困対策の推進に関する法律」(2014年1月施行)でした。

――法律の成立によって、何が起きたのでしょう?

小宮:条文に「教育の機会均等」が盛り込まれたのもあり、当時、無料塾のブームが起きたんです。とにかく「子どもの貧困対策が急務だ」となり、全国的に弟子も増えました。ただ、一生懸命に活動を続けようとする団体は増えたものの、ノウハウを「伝授します」といった団体はそれほどなかった。八王子つばめ塾の見学に来た弟子に聞くと「ノウハウを伝授するので『一緒にやりませんか?』とする団体が、八王子つばめ塾しかなかった」とも、よく聞きます。

小宮位之さん
民間有志型の無料塾は「東京や神奈川、埼玉」に集中していると解説

――小宮さんの弟子である、東海つばめ学習会のホームページでは、「全国の無料塾は1万教室ながら、民間有志型は100団体」と記載されていました。2022年1月時点でのコメントでしたが、現時点では増えたのでしょうか?

小宮:僕の試算では、民間有志型の無料塾は200団体ほどに増えたかと思います。Xで「無料塾」と検索すると、多くの団体が出てくるんです。ただ、子ども食堂が全国で9000カ所以上と言われていますから、その数と比較するとだいぶ少ないです。

少年野球のコーチに全力だった父の背中を追いかけて

――著書では貧困家庭で育った当時の経験をつぶさに明かしています。お父様とお母様、小宮さんの3人で1缶のミートソースを2回に分けて食べ、実家の貯金が800円しかない時代もあったなど、驚きでした。

小宮:加えて、大学卒業後に夢だった世界史の非常勤講師となり、映像制作の仕事に転職してから完全ボランティアの無料塾を設立し、並行して複数のアルバイトを掛け持ちするなど、僕自身の稼ぎでも苦労しました(笑)。だからといって「無料塾を辞めよう」と思ったことは、一瞬たりともありませんでした。

――その熱い原動力が気になります。

小宮:時折「よく続けられますよね」と言われますが、貧困家庭で育った影響はやはり強いんです。僕が辞めてしまったら「勉強したいし、高校へ進学したい。でも家にお金がない」と、過去の自分と似た子たちが、路頭に迷ってしまうかもしれない。僕は、貧困世帯が多かった八王子の都営団地で大学まで過ごして、有料塾へ通わずに高校へ進学できましたが、運もよかったと思うんです。すべての子たちがその通りにできるかといったらそうではなく、常に「今が踏ん張りどき」と思いながら、目標とした「30年」に向けて無料塾を運営しています。

――目標を「30年」とした理由は?

小宮:父を超えるためです。小中学校にほとんど行ってなかったのでろくに字も書けず、大人になってから仕事に就いても、職場に不満があれば「やってられるか!」とすぐ辞めてしまうような人でしたが、少年野球のコーチには全力で取り組んでいたんです。暑くても寒くても、グラウンドでは僕の数倍に及ぶ愛情と熱意を子どもたちにぶつけていましたし、コーチを25年間も続けていた父を超えるには「年数しかない」と考えたのが「30年」の理由でした。

小宮位之さん
来年、再来年。さらにその先で出会う「生徒の未来のため」と意気込む

――お父様の背中を追いかけて、と。共に暮らしていた当時の体験は、現在八王子つばめ塾で手がける生徒向けにお米などを提供する「食料支援事業」、塾までの交通費や参考書代などを支援する「返済不要の奨学金制度」に生きている印象を受けます。

小宮:書籍を読んでいただいた通り、ミートソースすら満足に食べられない家庭でしたから(笑)。なかには「塾代は厳しいかもしれないけど、ご飯ぐらい食べられるでしょ?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、それすらもままならない貧困家庭は実際にあるんです。その思いからはじめた食料支援では、寄付によるお米やパスタを支給し、奨学金制度では、中学生には塾への交通費や参考書代、高校生には月額3000円をお小遣い程度に支給しています。「お金か、お金と同等のものを」をモットーに、中学か高校の卒業までの在籍を条件に、卒業生の支援も行なっています。

生徒1人の設立当時と比べれば、辞めない限り発展する

――設立当時、すでに奥様とはご結婚されて、お子さんもいらっしゃった。ただ、映像制作会社のお仕事で正社員だった小宮さんが、かつて世界史の非常勤として働いていた当時のように「教育の世界に戻るなら賛成」と背中を押してくださったそうですね。

小宮:ありがたいし、心強かったです。ただ当初は、無料塾が珍しかったですし、僕が何をしているのかと疑問もあったと思います。はっきりと理解してくれた瞬間はあって、設立から2~3カ月ほどでした。当時、元教師であるボランティア講師の方が、教材のテキストをたくさん詰め込んだリュックを背負って、埼玉県和光市から八王子つばめ塾へはるばる来てくださったことがあったんです。その後ろ姿を見て、妻は「無料塾ってすごいんだ」と悟ってくれたと、のちに聞きました。

――そんな立ち上げ当時には1人だった生徒も、半年で6人ほどになり、現在はさらに増えているそうですね。

小宮:一番多い時期は、生徒数が80人ほどでした。現在は少数での指導を徹底するため、当時と比べれば少数で25名ほどに制限しています。12年目の現在、3分の1は卒業生の弟や妹です。親御さんから「次の子もお願いします」と言われるまでは、設立から2年ほどかかりました。無料塾ですし、環境が悪ければ「あそこに行くなら、お金を出しても有料塾に行った方がいい」と言われてしまいそうですが、一定の評価を得られているのかと思いますし、続けてきた甲斐がありました。卒業生の親御さんからのクチコミで新規に受け入れる生徒もいますし、インターネットで「塾」「無料」と検索して相談にいらっしゃる親御さんもいます。

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一時的な「オンライン講師」など、協力する卒業生もいるという

――著書では、行政は公立の小中学校における「教師の職場環境」の改善に本腰を入れるべきで、無料塾は民間有志型に委ねるのが理想とした役割分担を述べられていました。現状、八王子つばめ塾は支援者の寄付などでまかなわれていますが、行政の手を借りない方針は変わらないのでしょうか?

小宮:変わりません。じつは過去に、行政から委託事業を相談されたことが一度だけあったんです。ただ、手渡された仕様書を見て「これは受けないほうがいい」と結論付けました。委託事業を受ける場合、委託費を受け取るかわりに、行政の考えた仕組みに従わなければいけないデメリットもあるんです。

――デメリットとは?

小宮:例えば、行政と契約した曜日に開けなければならず、講師1人あたりの生徒の数も決まってしまう。すると、運営元に講師を雇う責任が伴ってきますし、ボランティアの講師にも負担がかかってしまうんです。八王子つばめ塾では、講師の急な予定によっては「ゴメン。この日は授業できなくなってしまって……」と生徒にお願いするときもありますが、それもまた民間有志型の無料塾のメリットだと考えています。僕らが目指しているのは「有料塾と比較して80%のパフォーマンス」です。委託事業では「無料塾を開くのが目的」となってしまい、自由に運営できなくなると、顧客が誰かが分からなくなるおそれもあります。その思いから「僕らには合わない」と判断しました。

――最後に、目標とする設立から「30年」に向けての展望をお願いいたします。

小宮:辞めずに続けていく、の一心です。八王子つばめ塾は当初、講師は僕だけで生徒「1人」からスタートしたので、数年経っても、当時より生徒が多ければ発展と捉えているんです。そして、卒業生には「リーダーになってもらいたい」と伝えていて、大それたことではなく、隣にいる人を励ませるようなリーダーになってもらいたいと思っています。無償で一生懸命教えてくれる先生と出会い、都立高校に合格できたんだから「君にもできる」と。ただ勉強を教えるだけではなく、貧困家庭で暮らす子たちにも寄り添える無料塾を「僕ならば担える」と考えていますし、これからも生徒とたくさんの支援者の橋渡し役であり続けたいと思っています。

取材・文・写真=カネコシュウヘイ

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