明治の終わり、沖縄出身の「幻の女流作家」が、本名を捨てなければならなかった理由とは?

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/13

『ツタよ、ツタ』(大島真寿美/実業之日本社)

 本作は1932年『婦人公論』に「滅びゆく琉球女の手記」を書いた、久志芙沙子(くしふさこ)氏という実在の人物をモチーフにしたフィクションである。

 この小説の主人公は明治の終わりに沖縄に生まれた「ツタ」。ツタは「作家として立つ」ために、「千紗子」という自ら考えたペンネームで暮らし始める。そして、「ツタ」の名を捨て、一生涯「千紗子」であり続けた。女学校からの無二の親友・キヨ子に笑われても、「書くこと」をやめてしまっても。

 どうしてなのか。本著『ツタよ、ツタ』(大島真寿美/実業之日本社)を読んでいる間、私はずっとこのことが気になっていた。そして、読み終わって、ツタが名前とともに捨てざるをえなかったものが二つあることに気付いた。逆に、その二つを諦めるために、ツタという名前を捨てたともいえるのではないだろうか。

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 そのひとつが故郷、沖縄である。沖縄出身ということで、「あからさまではなくともうっすらと見下すような目」で見られることに、深く傷ついていたツタは、沖縄を題材にした小説を婦人雑誌に投稿し、その作品でデビューするという好機に恵まれた。だが、直後、最も身近な沖縄の人たちからの猛攻にあい、ツタは隠れるように、沖縄から距離を置く。

 もうひとつが年齢だ。「女が年上というだけで白い目で見られた時代だ。7つも年上だなんて恥ずかしくって言えやしない」とツタがいうように、ツタが恋した相手は年下だった。女性のほうが引け目を感じる恋。シンデレラストーリーという言葉では片付けられない哀しさが、そこにはある。淡々と綴られるツタの感情が、痛いほど伝わってきて、自然と涙がこぼれる。結局、「千紗子」は「ツタ」より7歳年下として、生きることにしたのだ。

「ツタはあの日、ツタという名を捨てた」
それは、本人の意思というより、時代と社会がそうさせたのかもしれない。

 著者の大島真寿美氏自身が『月刊ジェイ・ノベル』(実業之日本社)2016年11月号のインタビュー記事のなかで、「芙沙子さんの人生はわかっていないことも多くて、隙間はフィクションで埋めています」と語っている。さらに、彼女の人生を書くのが目的ではなく、「虚構と現実が影響を与え合って生まれる、その間(あわい)を書きたいと思っていたところに、芙沙子さんの話がピタッとはまった」とも述べている。

 本作は沖縄出身の女性が今以上に生きにくかった時代に生まれ、名前を変えなければならなかった悲しい女の物語なのかもしれない。

 だが、見方を変えれば、時代にも社会にも押しつぶされずに、「ツタ」と「千紗子」という二つの人生を生き抜くことで、たおやかに自らの生きる姿勢を貫いた、幸せに満ちた女の生き方でもある。

 ヒラリー・クリントンでさえ、ガラスの天井を破ることができなかった現代においても、一人の女性として、しなやかに力強く生きるために参考にしたい1冊である。

文=松本敦子