『最高の生き方』ムーギー・キム対談【第3回 島薗進】 宗教は人を幸せにするか――人類の叡智のストックに学び、選択せよ

暮らし

公開日:2019/4/9

 2019年3月末に新著『「あれ、私なんのために働いてるんだっけ?」 と思ったら読む 最高の生き方』を上梓した、ムーギー・キム氏。本書の中では、いわゆるエリート職に就きながらも働きがいや生きがいについて悩むビジネスパーソンの悩みに応えるべく、霊長類学・宗教学・哲学・心理学・脳科学の第一人者とともに、「価値を実感する生き方」を多元的に論じている。自らも多様なグローバル企業で活躍し、国際的ベストセラーとなった『最強の働き方』『一流の育て方』の著者としても知られるムーギー氏が、3部作完結編『最高の生き方』の真髄を本連載でお届けする。第3回は本書の第3章に登場する、東大名誉教授で宗教学者の島薗進氏に、宗教はどのように作られ、どのように付き合うべきなのかをうかがった。

宗教は「人間の叡智のストック」である

ムーギー・キム氏(以下、ムーギー) 宗教とは何か? と考えたとき、精神分析や心理学や哲学にも共通するテーマは、「どうやって生きれば人は幸せになれるのか?」ということですよね。アプローチの仕方が違うだけではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

島薗進氏(以下、島薗) 心を扱っているという意味では似てますね。かつて宗教の領域だったことを、精神科医や心理学者がやるようになった面はあります。大きな違いは、宗教は伝統を引き継いでいるので、過去の遺物や人間の叡智のストックがあるわけです。過ぎ去ったものも後継者によって蘇ることがある。つまり、時間を超えて、人間の儚さを超えていく。そこが宗教の強みですね。

advertisement

ムーギー 素朴な疑問なのですが、キリスト教、イスラム教、仏教の三大宗教が、世界中でこれだけのマーケットシェアを持ち続けているのはなぜだと思われますか?

島薗 人間は暴力的な存在なので、暴力を超えていくために、ある種の幻想を共有することで安定した秩序を保つためのもの、というのがひとつの共通点です。つまり、愛とか慈悲とか空(くう)とか、そういう理念を掲げて、唯一の神や絶対の融和を求める。そういう風に人が団結できる宗教を世界宗教とも言います。

ムーギー 私も今まで多くの国の人たちと接してきたので、いろいろな宗教について話を聞いてきました。でも、本質的な部分は大して変わらない、と思うことが多いんですね。

島薗 それは多くの宗教が救いの宗教だからでしょう。人間には、死に向き合わなければいけない絶対的な限界があります。自分の力だけでは立ち迎えないものがある。そのことを強調して、こういう信仰や修行をすれば救われるとか、死んで天国へ行って悩みのない境地に達するとか、永遠のものとつながれる感覚を与えてくれる。いわば救済宗教ですね。

プライベート化する宗教

ムーギー 確かに、死に対する恐怖を和らげてくれるところは共通しています。もうひとつの要素として、生きる苦しみや悩みに対する、答えのない問いに対する回答みたいなものを与えてくれるところもあります。

島薗 人間は、悩みや苦しみや悲しみによって、生きる望みを失くしたり、生きる意味がわからなくなることがありますからね。

ムーギー ただ近代における宗教は、分化してプライベート化すると、先生は何かの対談でおっしゃっていましたね。科学技術や情報伝達が発達して、宗教の役割がどんどん減る一方で、逆に大きくなり過ぎて宗教国家になったりする状況が、反動的に起こっていると。

島薗 特に消費文化が盛んな地域では、特定の宗教を信仰したまま一生を終える人は減っていると思います。でも宗教を求める気持ちはある。なぜなら、自分の根っこが怪しいと感じている人が増えているから。それは空虚感といってもいいかもしれない。だから、自分の根っこを求める気持ち、もっと強く言うと「求道心」は高まっているように思います。限界を感じるような問題にぶつかると、人はやはり宗教を求めますから。

ムーギー 根無し草にならないための、拠り所ですね。そのためには神とか教えとか、絶対的に信じられるものが必要ですよね。

島薗 こうすれば治るとか助かるとか断言する宗教は、眉唾だと思ったほうがいいです。教祖的な人が偉そうなことを言って、信者が燃え上がるものは危ないので。

ムーギー 最近は、たとえばキリスト教だったらこの部分、イスラム教だったらこの部分という風に、いくつかの教義の中から自分にフィットする部分をカスタマイズする“マイ宗教”のような動きも出てきています。“宗教エディター”みたいな人が、その人の要望に対応できる宗教を作っていけるといいですよね。

島薗 それは個人でやるとうまくいかないので、あるまとまりを作るグループや優れた編集をする人が次々に出てきています。私も、グリーフケア研究所でそのような講義をしていて、毎年60人の社会人が一年間のコースを受けにきています。彼らは、深い悲しみや喪失の中にいる人を救うグリーフケアを学ぶことで、自分の人生を支えてくれるものが得られると思っている。講義では死生観もひとつの大きなテーマで、大事な人が亡くなった後の孤独をどう受け止めていくか? 自分は何のために生きているか?という問いに直面するわけです。その答えを得るためには、宗教のことを知らなくちゃいけない。

ムーギー それは特定の宗教である必要はなく、その人のトピックに関係あるいくつかの宗教を、グリーフケアの観点から串刺しにして編集するっていうことですね。

島薗 まあ、そういうことですね。