モグライダー芝大輔 エッセイ連載「煙太郎」/第1回「M-1のこと」
公開日:2025/1/21
今やテレビで見ない日はないといっても過言ではない、バラエティで大活躍中のモグライダー・芝大輔。そんな彼が初のエッセイ連載をスタート!漫才で見せる類稀なる話術をいかんなく発揮するエッセイです。

島田紳助と松本人志が並んで座っていた。怖い顔で若手の漫才に点数をつけ、一番を決めるのだという。2001年のクリスマス。ど田舎の高校3年生だった僕にもこれが異常事態な事はわかった。漫才は、それまで正月の演芸番組で観るか深夜の若手のネタ番組くらいで、ゴールデンタイムの生放送全国ネットで無名の若手漫才師がネタを披露するなんて事がまずありえなかった。何より、観る方も緊張するネタ番組が誕生した瞬間だった。賞金1000万。お笑い番組には似つかわしくない暗いセット。殺伐とした雰囲気と初回にして生放送ならではの手探り感。全国の一般審査員の点数も加算されるシステムで生じる違和感。進行がDJ赤坂という謎。余談だが、初回の最後はDJ赤坂の「メリークリスマス!」で番組を締めたと記憶している。
なによりこの緊張感の最大の原因は審査員席に紳助さんと松ちゃんがいること。この2人が若手のネタを観て笑うものなのか? それも「あの頃の2人」なわけで。それなりにお笑い好きだった当時の僕にも2人が笑うイメージが湧かなかったのだから、出場者の緊張感は想像を絶する。リスクの方が大きいかもしれない。事実、M-1グランプリで順位が振るわず、イメージ的に損するコンビもいる。普段のライブでどんなにウケる人気コンビでもM-1ではウケない。同業者のそれもカリスマ達が観て点数をつけるからだ。カリスマが笑わなければ客も笑わない。そのかわりカリスマが笑った時の値打ちは半端じゃない。2010年までのM-1は特にその色が濃かった。10年やってダメなやつは辞めなきゃいけない。辞めるきっかけを与えるための大会だ。紳助さんの残酷とも本当の優しさともとれる言葉で始まったM-1グランプリ。
その頃、僕の実家はテレ朝系のチャンネルがなくM-1を観ることが出来なかった。だが、たまたま街のアパートに住んでた婆ちゃんの家に下宿してたから運良く観る事が出来た。それでも、婆ちゃんが「早く風呂に入れ」とせかすので、中盤何組かネタを観られなかった。風呂から出て2つ下の弟に「誰が面白かった?」と聞いた。「麒麟て人らが面白かった」と弟が言った。松ちゃんも笑ってたっぽいと。全く無名の若手漫才師が一気に全国に認知されていく様を観た。興奮した。でも、その時点では、後に自分が漫才師になりこの大会に長らく寄り添うことも、ラストイヤーに三回戦であっさり落ちる事も、麒麟の人に朝世話になってる事も思いもしなかった。
その後、M-1は幾度となくピークを迎えたと思う。模索しつつ尚シンプルに、若手お笑い賞レースの頂点にして国民的番組になった。一度終わり、5年後に出場資格を結成15年までに引き上げて復活する。年々大きくなり参加者は増え続け、若手が世に出る最大のきっかけになった。紳助さんの当初の目的とはむしろ逆に、M-1があるから辞めずにいられるという芸人が増えている。
