好きな人は神様のために体を売る。男子高校生たちの歪な純愛を描く『またね、神様』【書評】

BL

公開日:2025/4/4

またね、神様ヴヤマ/白泉社

 人を救うのは、なんと難しいのだろうか──。ヴヤマ氏による『またね、神様』(白泉社)が発売された。関西弁で語らうかわいらしい男子高校生たちの恋模様を入り口に、人生について深く考えさせる作品だ。電子版ですでに話題をさらっており、待望の紙版で上下巻同時リリースされた。

 高校2年生の青島両(あおしま・りょう) は、別クラス の矢巾幸太郎(やはば・こうたろう) の美しさに気づき、距離を縮める。

 しかし、幸太郎は家庭に複雑な事情を抱えていた。彼は母親が信仰する宗教の儀式と称して、男性信者たちに体を捧げていた。「宗教二世」「親による性行為の強要 」など、センセーショナルな描写が続く。大人の介入が必要な状況だが、幸太郎は母親に深い愛を抱いており、引き離されることを激しく拒否している。おぞましい状況ながら、儀式に及ぶ幸太郎の表情は加虐心を煽り、純情だった両が狂ってしまうのもうなずける。

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 解決が難しい社会問題をテーマとしており、読んでいて胸が締め付けられる場面も多い。 両は幸太郎を救うため、彼の家で行なわれていた行為を警察へ通報した上で、強引なやり方で二人暮らしを始める。 両の行動を若さゆえの視野狭窄と切り捨てたくなるかもしれない。しかし「大好きな人を、害のある場所から命を懸けてでも連れ出したい」と願った、両の純愛と正義感は共感を誘うだろう。一方で、たとえ害があっても、母と暮らしてきた家を大切な居場所と信じて生きていた幸太郎にとっては、おそらく人生を否定されたような苦痛が伴ったのではないか。

 また、人を救うことは「支配」と結びつきやすい。救った者を正しい方に導きたいと願うあまり、手を差し伸べた自分に対して従順であってほしい、と望んでしまうのが人間の業だ。両と幸太郎のようにお互いを好きであれば独占欲も加わり、純愛はどす黒い情欲へと曇っていく。それでも、両はふたりの幸せな時間を作るために奔走しており、それを受けとる幸太郎の笑顔は、もっと見ていたくなる愛らしさだ。未熟な両なりに、幸太郎にとっての楽園を作ろうとしていたが、幸太郎の意志とはすれ違っていたのが切ない。

 両は幸太郎を独占したい気持ちを深め、二人暮らしを続けるための嘘をついていた。しかし、その嘘に気づいた幸太郎は、両の前から姿を消す。自身に執着して歪んでしまった両を救うための選択だった。愛情があるからこその拒絶と別離に胸が締め付けられる。

 喪失感を抱えながら大人になった両に、幸太郎と再び会う日が訪れる。彼らはお互いだけでなく、誰かを救うことを強く望んでいた。 人が神様になりかわって人を救うことはできない。だが、人は痛みを味わった分だけ、誰かの痛みにも寄り添える。ヤングケアラーの少女に出会った両が、彼女に渡せた優しさは、幸太郎と過ごした日々によって得られたものだ。

 真逆に感じられるかもしれないが、「赦す」ことも「救う」ことにつながる。罪を犯した者、そして自分自身の過ちを赦すことは苦しく難しい。それでも、幸太郎と両はその道をめざしていく。彼らの真の救済を見届けてほしい。世界は残酷かもしれないが、誰かを心から思い、あがく者たちこそ救われる…。読み応えは重いが、そんな希望も胸にともるだろう。

 なお本日、白泉社のBLレーベル「花丸」からは『陰キャな僕が双子に愛される理由』(三ツ矢凡人)『イケボ配信者は俺狙い!?』(あぺこ)の単行本も発売されている。本作とのあまりの温度差にクラクラしつつ、BLというジャンルの懐の深さを感じるラインアップだ。

文=和智永妙

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