山田詠美「女流作家として戦ってきた人たちのことを、忘れてほしくない」。3人の女性作家の人生を描いた、Audibleオーディオファースト小説『三頭の蝶の道』【インタビュー】
公開日:2025/4/11
●差別主義であることと、差別を描くことはまるで違う

――本作では、三人を通じて「女流作家」と呼ばれた時代についても描いていらっしゃいます。〈むかしむかし、女流作家という名の妖怪たちが棲息していました〉という第二章の冒頭には、ぞくっとするものがありましたが、一方的に差別されていたわけではない、女流作家たちの矜持みたいなものも感じられました。
山田:女流作家という呼び名には吐き気がする、と若い女性の作家が発言しているのを読んだとき、なんだかいやな気持ちになったんですよね。もちろん、その呼び名を使わなくなったことは、時の流れにそっているんだけれど、あなたが今、ただの作家として立っているその足元には、女流作家として戦ってきた人たちの累々たる死体があるんですよ、その人たちが土壌を固めてくれたから今の場所があるんですよ、ということを言いたかった。
――〈女流っていう差別言葉を、そのうち、敬称に変えて見せてよ〉と、河合理智子が言う場面がありました。〈差別語を逆手に取って、自分たちの存在を主張するのは、言葉による決起〉という言葉も。
山田:アメリカの黒人がみずから蔑称を用いて結束したように、差別を逆手にとって負けるもんかと奮起する。そういう時代があったことを、忘れてほしくないんです。差別主義であることと、差別を描くことはまるで違うし、その呼称を受け入れざるを得なかった人たちがどのように戦ってきたかは、今の時代を生きる人たちにもちゃんと知っておいてほしい。女流作家という言葉を使わなくなったからといって、その時代をなかったことにはできませんからね。女流という言葉をむしろ特権にしてしまおうと生まれたのが女流文学者会で、『女流文学者会・記録』という本も刊行されているので、ぜひ読んで、学んでいただきたいとも思います。
――逆に、男性作家だからといって、女流作家を下に見ていたわけではない、それもまたひとくくりにできるものではないんだということも、本作では川津直太郎という作家を通じて描かれていました。
山田:女流作家という言葉がひとり歩きしているせいで、よほど差別的に扱われていたんだろうと思われがちだけど、私が知っている先輩男性作家のほとんどは、そんなふうではなかった。もちろん、女のくせにと言いたがる人もいたけれど、それは作家に限った話ではないでしょう。優れた女性の作家にはちゃんと賛辞を贈り、応援しよう、支えになろうとしてくれた人もたくさんいましたし、むしろ一般社会に比べて、男女がスタート地点で区別をつけられることがない、フェアな業界だと思っています。