「誤解を招いたとしたらお詫びする」「真摯に受け止める」政治家の乱用で、もはや信用できない? 言語哲学者の提言とは《インタビュー》

社会

公開日:2025/4/22

そもそも「言語哲学」とは何か?

――本書は政治家たちのそうした言葉を「言語哲学」の観点でロジカルに整理していきます。
そもそも「言語哲学」とはどんなものなのでしょう?

藤川:言葉には意味がありますが、そもそも意味ってなんでしょうか? 今、私がこうして話していて、私の言葉の意味を理解していただいていると思いますが、そもそも「意味がわかる」というのはどういうことなのでしょうか? 言葉の意味は「辞書を引いたら書いてある」と思われるかもしれませんが、そこにあるのはまた言葉ですよね。辞書で言葉と言葉の関係はわかるかもしれませんが、実は言葉の海を泳ぐだけで、その外側に辿り着くことはできません。

 たとえば「りんご」という言葉の意味を聞かれて辞書通りの回答はできても、りんごとみかんを前にしてどちらがりんごかわからなかったら、その人は本当に「りんご」の意味がわかっているとはいえないかもしれないわけです。このように「意味」には言葉そのものを超え出たような側面があるのですが、それは一体なんなのか――「言語哲学」は、そんなふうに言葉に関する根本的で哲学的な問題を考えていく分野です。AIの言語能力が進化し続ける現代で重要性を増していると考えられていますが、特に最近はトランプ氏の台頭の危機感から実社会の言葉の問題に関心を広げつつあります。

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――なるほど。本書で「ロジカルに言葉のそもそもを考えていく」という言語哲学の考え方の一端を知って興味深かったです。時代に即して変わった部分もあるんですね。

藤川:たとえばSNSやZoomのようなメディアの登場で、言葉やコミュニケーションの枠組みも変化しています。1対1の対面の会話とは違い、SNSでは予期せぬ仕方で誤解されて広まったりしますよね。あるいは政治家がマスメディアなどのチェック機能を介さずに直接有権者に訴えることが可能になり、不確かでバイアスのかかった情報が拡散されていったりします。「哲学」というものは、普段生活している中では深く考えることのないような「当たり前のこと」に問いを見出して真剣にじっくり考えていくわけですが、こうした社会変化に対処するためにも、今までの当たり前の基礎に一度立ち戻って、その仕組みを考え直すという作業が有用だと思っています。

――本では藤川先生の手ほどきで思考を整理していけますが、自分でやろうとするとなかなか胆力がいります。読者にはどんな点を一番大事にしてほしいと思われますか?

藤川:会話は共同作業であり、コミュニケーションは「お互いが協力しあって作り上げていくもの」という観点を大事にしてほしいですね。たとえば「効率よく情報を共有する」というのはコミュニケーションの共通目標のひとつですが、共同作業ならば協力して「意味の遊び」をどのように調整していくのかが重要でしょう。

 たとえば先日、ストリートピアノの使い方をめぐって騒動がありましたが、あれは「ストリートピアノ」という言葉が何を意味するのかのすれ違いが一因になっていると思います。運営側の認識とそれを批判する人の認識、どちらか一方が絶対的に正しいわけではありません。コミュニケーションは共同作業ですから、どちらか一方の認識を押し付けるのではなく、意味のすり合わせを行うことが必要でしょう。

 あるいは兵庫県知事とマスコミの間のやり取りでは「責任を取る」という言葉の「責任」に対する認識に違いが見られます。「責任」と一言でいっても、兵庫県知事という選挙で選ばれた人としての「責任」もあれば、自分がかつて行ったことに対する「責任」もある。それを「責任」の一言であえて一くくりにして論点をすり替える、というのが知事のやっていることで、協力して意味を共有する、というのとはかけ離れた態度です。

 重要なのは、こうした協調的なあり方を蔑ろにしている状況に批判的になることでしょう。少なくとも政治家と市民との対話は協調的であるべき場面であり、政治家と市民の間での情報共有は真っ当な民主主義的な政治の必要条件です。もし非協調的でいることに理由があるなら、その理由がどれだけまともなものなのか、注意深く見る必要があります。

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