芳根京子と本田響矢が新婚夫婦に。ドラマ『波うららかに、めおと日和』衝撃の「写真」との結婚式はこうして生まれた【原作者・西香はちインタビュー 前編】

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更新日:2025/4/25

資料集めに取材で自衛隊へ。執筆は正直、大変!

――「海軍の話を描こう」「新婚の話を描こう」というところからスタートして、昭和11年の春を作品の舞台に選ばれたのは何か理由が?

西香:私、鳥取在住なんですけどね、作品にも出てくる美保関(みほのせき)って、となりの島根県なんです。なのでこっちだとニュースで、美保関事件(※2)をちょいちょいやるんですよ。それ出したくて。それで瀧昌のお父さんが美保関事件で亡くなったっていうことにしたんです。瀧昌の年齢を考えると、昭和10年か11年……できれば戦争にはかからない方がいいかなと思って、昭和12年は外して。で、まあ直前ぐらいがいいかなと思って昭和11年にしました。

福島:戦中ではないけど、その香りがするぐらいの時代にしたことで緊張感が生まれるといいますか。結果的に「なんでもない日常が尊いものなんだ」っていうのが際立つ時代設定になったと思います。これが戦中だと、こんなほのぼのした作品にはできなかったし、戦後だとまた違うお話になったと思います。結果的に絶妙な時代設定にしてくださったなと思っています。

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――2人の感情と昭和初期の暮らしを大切にしつつ、「海軍を描きたい」という気持ちがベースにはあるわけですよね。

西香:そうですね。

――昭和初期の暮らしも海軍のことも、取材や資料集めが大変なイメージがあります。

西香 そうですね。正直めっちゃ大変です。連載を始める前は、昭和初期にどんな生活してたかなんて全然知らなかったんで。当時の建物も写真は残っていてもモノクロなので、どうなってるのかよくわかんないし……。東京には当時の建物がまだ残ってるので、とりあえず写真撮りに行ったりとかしてますね。

――連載をこなしつつ、取材をするのはかなり大変なのでは。

西香:連載開始前にがっつり資料を集めて、ある程度ネタをストックしてはいました。その中から描きたいものを決めていくという感じですね。

西香はち先生の資料棚の一部

――とはいえ、ストックはだんだんと減っていくわけですよね。

西香:いつ取材に行こう、ネタ探しに行こうとかは、あまりちゃんとは決めてないです。ただ「この日に行こう」って決めたら、原稿を早く片付けて時間をたくさん作って。最近は国会図書館で丸一日資料を漁るとかしてます。そうやってネタを注ぎ足してます。

――単行本巻末のあとがきマンガを読むと、いろいろなところへ取材に行かれていますよね。

西香 自衛隊のみなさんにはお世話になってます。

――特に印象に残っている場所はありますか。

西香:印象に残っているのは、やっぱ岩国(※3)かな。岩国の資料館で当時の軍服を特別に触らせてもらったのが大きかったですね。軍服ってショーケースに入れられて展示されているものがほとんどなので、直接触ったことはなかったんです。なので現物を触りつつ、襟の構造はこうなっているとか教えてもらったのは良かったですね。

――やはり見るのと触るのでは大違いですか。

西香:違いましたね。例えば軍服に内ポケットがあるとかも、見ているだけじゃ知ることができなかったので。あとは現物を見たときに、ちょっと補修のあとがあって。聞いたら、剣帯(編集部註:剣をぶら下げるベルト)が当たってすれたところを直したあとだって教えてもらって。「これは絶対使える!」と思ってずっと温めてたんです。42話でようやく使えました。

※2:昭和2年8月24日深夜に島根県松江市の美保関沖で発生した旧日本海軍の艦艇の多重衝突事故。殉職者は119人にのぼる。瀧昌の父もこの事故で帰らぬ人となっている。
※3:海上自衛隊岩国航空基地。事前申込をすることで、一般人でも見学可能。

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