写真家・幡野広志「AIが発達すると、より写真は自由になる」写真を楽しみ、人生をおもしろくする。写真との付き合い方を聞く
公開日:2025/6/10

写真家の幡野広志さんが新刊『ポケットにカメラをいれて』(ポプラ社)を上梓した。2023年11月に発売されベストセラーとなった『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』に続く、2作目の写真についての本だ。印象的なカメラのイラストが目を引くポップな色合いの装丁の中には、幡野さんの短い100の文章と写真が収められている。
この本は、過去の幡野さんの写真についての言葉を集め、加筆修正して再編集した一冊。前作同様、写真についての本だけれど、生き方についての本でもあった。
本の制作話や、AIが浸透する中で感じるこれからの写真表現などについて、幡野さんに話を伺った。
自分の過去の言葉に向き合う
── 今回の新刊『ポケットにカメラをいれて』は、前作の『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』に引き続き、2作目の写真についての本ですね。
幡野広志さん(以下、幡野) そうですね。編集者の方に、これまで僕がいろんな場所で話したり書いたりしてきた写真についての言葉を一冊にまとめたいとご提案いただきまして。写真についてこれ以上書き下ろすのは難しいと思っていたから、そういう形ならいいですよと。150くらいの言葉をピックアップしてもらって僕のほうで100個に絞り、加筆修正をしてまとめました。
── 「過去の言葉をまとめたい」と提案があった時はどう思われましたか?
幡野 加筆修正だったらできるかなと最初は思ったんですけど、実際にやってみるとすごく大変でしたね。もうやりたくないです(笑)。
── 具体的にはどういうところが大変だったのでしょうか。
幡野 過去に書いた文章を読むことがまず苦痛でしたね。下手くそだし、さらにそれを直さないといけないわけじゃないですか。結局ほぼ全部直してるから時間もすごくかかったし、こういうのはもうやらないほうがいいです。中学校の卒業アルバムの自分の写真を見続けるような、自分の録音した歌声をずっと聴くような、そういう作業だったんで、普段書いた文章を読み返すことのない自分にはだいぶ辛かったですね。
── ただ、「いい写真を撮るためにはおもしろい人になることが大事」など、以前から考えられていることが一貫されているんだなと読んでいて感じました。
幡野 それが救いでしたね。昔と今でてんで違うことを書いていたら目も当てられないですから、そこはちょっと自分で自分を褒めましたね。
写真に対しての考えは15年くらい前から変わっていないと思います。やっぱりおもしろい人はとにかくいい写真を撮って、おもしろくない人はとにかくダメな写真を撮るというのが、不都合なまでの真実ですよね。みんな写真のスキルを頑張って勉強したがるんだけど、そんなことしないでおもしろい人になることのほうが大事です。おもしろい人には人が集まり、チャンスも寄ってくるし可能性が広がっていく。よく「チャンスがない」と言う人がいるんだけど、まず自分がおもしろい人になれているかどうかを疑った方がいいですよね。そのためには、映画をたくさん見る、漫画を読む。そうすると会話がおもしろくなりますから。
考え方が変わってないのがいいか悪いかは別として、ある程度昔から自分の中で答えに行き着いているんだなというのは発見でしたし肯定的に捉えました。
「写真の本」<「生活を楽しむための本」

── 前作からの違いとしては、より幡野さんのエッセイといいますか、どのページから読んでも楽しめる生活についての本になっているなと感じました。
幡野 そうですね。この本には写真の撮り方とかはほとんど書いていないんです。繰り返しますが、写真をよくしようと思ったら生活をよくしたほうがいいから。この本は生活を楽しむ本だと思います。それが結局写真につながってる程度の話で。漫画読んだり小説読んだり音楽聞いたり、うまい食べ物を食うほうが写真に役立つっていう本ですね。
だから、全然カメラや写真に関心がない人にも読んでもらいたいです。もちろん写真の本として書いたけど、関心がなくても読めるようにはしたつもりなので、そういう方に読んでもらえれば。
── 「ポケットにカメラをいれて」というタイトルも、どこかエッセイの表題のようですね。
幡野 最初、まったく別のタイトルを提案されていたんですけど、それは僕が「絶対に嫌だ」と言いました。装丁に関しては、デザインやイラストはわからないのでお任せでした。その辺りは著者は口を出さないほうがいいと僕は思っているので、伝えたのはタイトルについてだけですね。
(編集者) このタイトルにしてよかったと思っています(笑)。
「いいね」を気にしないことと、創作を舐めることは違う
── 幡野さんは「他人のいいね」や「バズバエエモ」を気にしてはいけないと以前からおっしゃっていますが、文学フリマなどで創作が開けてきた現代において、誰かに届かないと作り続けられないというジレンマもあると思っています。「いいねを気にせず自分のために作る」という部分と「誰かに届くものを作る」という部分のバランスで悩まれている方も多そうですが、どう思いますか?
幡野 文学フリマね、東京で5月に開催していたのに僕も行きましたよ。2回目かな。まじまじといろんな人のブースを立ち読みして感じたのは、すごくきつい言葉で言うと、作ることや売ることについて、深く考えていない人が一定数いるなということです。作ることや売ることについて、舐めてかかってはいけないと。
みんな小学校で習ってるんだから、書くことは誰にでもできるじゃないですか。写真を撮ることも誰にでもできる。でも読まれる・買われることはまた別ですよね。そのためにはまず手に取ってもらえないといけないんだから、表紙のデザインやタイトルは当たり前に大事だし、そこが魅力的じゃなかったら手にも取られないのに、こだわれていない人も多かったように思いました。いいねを気にしないことと、創作や商売を適当にやることはまったく違います。
── 「作ることを舐めない」。その言葉はとても刺さります。
幡野 今は創作において、完全なるレッドオーシャンじゃないですか。10年前はそんなに書いている人も多くなかったですよね。でも、レッドオーシャンだけど宝くじみたいに抽選で当たるわけじゃないから、上位の人が常に売れてしまうわけです。ということは、表現で誰かに認められようと思うと、上位に食い込む努力をする必要があります。そこでやっぱりどういうことをしたらいいのかは考え尽くしたほうがいいですね。レッドオーシャンの振る舞い方と、ブルーオーシャンの振る舞い方は全然違うと思いますよ。
── 自分のための表現と、売って商売として届けていくことには明確な境目がありますね。
幡野 そうですね。売ったりすることを考えなければ、写真はちょっとの勇気があれば誰にでもできる、人生を豊かにする行為だからやったほうがいいと思います。
それでも勇気は必要ですよ。だって、たとえば自分がカフェやレストランに行って斜め後ろからカシャカシャ写真撮っている人がいたら「ちょっと嫌だな」って思いますよね。その嫌だなと思われる、人に迷惑をかけてしまうという恥ずかしさは、一般的な感覚を持ってる人からすると普通のことですよ。それをちょっと乗り越える勇気は必要。でも勇気も行きすぎるとまったく周囲のことを気にせずに撮りまくる人になっちゃうから、下限と上限に触れないところが大事です。写真を撮れたら人生は楽しくなる。それは間違いないと思います。