つつじヶ丘・神代、豊洲四丁目、千歳船橋・希望ヶ丘…『団地のふたり』作者が、実在する団地と飲食店を描く新作団地小説【藤野千夜 インタビュー】
公開日:2025/6/26
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2025年7月号からの転載です。

いろいろあっても今が楽しければ大丈夫 16歳と70歳の団地食べ歩きストーリー
16歳の花と70歳の祖母・ゆり。ふたりの楽しみは、月に一度、団地をめぐっておいしいものを食べること──。
ドラマ化されたベストセラー『団地のふたり』や『じい散歩』で知られる藤野千夜さんが、このたび上梓したのは『団地メシ!』。「最近ヒットしたものを組み合わせて、“団地と散歩のマリアージュ”なんて言ってます」と冗談めかして笑う。
「『団地のふたり』を書いた時、いろいろな団地を見てまわり、おいしい飲食店にも出合いました。ドラマ化が決まった頃、親しい編集者から小説を依頼され、こういうお店を訪ねる話なら書けるかも、とお話ししたことから連載が始まりました」
幼い頃は、横浜の団地で暮らしていた藤野さん。実は今も、ある団地にお住まいだそう。
「あちこち見て回るうちに団地住まいの記憶を思い出し、また住んでみることにしました。部屋があまり広くないので、本当に好きな本とマンガだけを持ってきて、大きな棚に飾ったらもううれしくて。古い本を眺めていると、その本を読んだ当時からもう一度やり直している気持ちになるんです。よく『団地から出なくても暮らせる』と言いますが、敷地内にスーパーや飲食店もあって便利ですし、散歩して部屋に帰って寝て……の毎日。郷愁があってのんびりしていて、私にはとても合っているなと思います」
つつじヶ丘・神代団地のカフェ「手紙舎」、豊洲四丁目団地の寿司店「すきやばし次郎」、千歳船橋・希望ヶ丘団地のタイ料理店「BANGKOK KITCHENDELI」など、作中に登場するのはどれも実在する団地や飲食店。藤野さんが足を運び、舌で確かめたお店ばかりだ。
「取材とはいえ、どのお店もこっそり食べて勝手に書いています(笑)。その分、『ここはおいしいからぜひ訪れてほしいな』とおすすめしたいお店を取り上げました。すきやばし次郎のような高級店も、ランチなら2000円もせずに食べられるんですよね。ネタにもこだわっていますし、穴子なんてすごく手間がかかっていてとろけるよう。たまたま立ち寄った鶴川団地のお蕎麦屋さんの天丼も、タレが絶妙な甘さでおいしかった。味を確かめるために、もう一度訪れてから書きました」
訪れる団地の多くは、ゆりが暮らす世田谷区経堂周辺。限られた範囲にもかかわらず、たくさんの団地があることにも驚かされる。
「気づいていないだけで、案外たくさんあるんですよね。マンションだと思ってなにげなく通り過ぎていた建物が、実は団地だったということも。車で移動中、団地行きのバスを見つけて『え、どこにあるの?』と後をつけたこともありましたし、豊洲界隈では“CODAN”と書かれたおしゃれなタワーマンションのような団地も見つけました(笑)」
迷えるふたりが団地を散歩 そこで見つけた小さな喜び
団地めぐりをする花とゆりは、どこか社会になじみきれない。そんなふたりがのんびりしたペースで歩き、時には花のいとこやゆりの友達を交え、食べ歩きを楽しむ姿にこちらの心もほっと安らぐ。
「花もゆりも、今のままでいいのかなと思っている人、そう思いながら力をためている時期の人です。そんなふたりがふと違う場所に目を向けると、そこにはそこの楽しさがある。団地で暮らす私の楽しさが、この小説に表れているのかもしれません」
高校2年生の花は、学校をずっと休んでいる。両親には「もう行かない」と宣言したものの、この先なにをするかは決めていない。
「私も学校には通っていましたが、教室にいるのはあまり好きではなく、漫研の部室でマンガを読んでいました。花も絵を描くのは好きですが、教室が苦手。花くらいの年頃は、ちょっとしたことで嫌な考えが頭の中で大きくなりますよね。それに耐えられなければ、無理に耐えなくてもいいかなと思うんです」
70歳のゆりは、2年ほど前に夫を亡くしてひとり暮らし。どこかで働こうかと思うが、賛成したのは花だけ。親族からは、呆れたように止められてしまう。
「ずっと専業主婦でしたが、旦那さんが亡くなって寂しい、どうしようかなと不安を抱える時期なのかな。昔と違って今の70歳は若いですし、しっかり働いている人もいます。いろいろなことを考える、惑いの年頃なのかもしれません」
これからなにをしたいか決まらない花に「いつだって、わたしは花の味方だよ」と寄り添うゆり、働きたいと言うゆりを「おばあちゃんが、なんでもいいから、好きなことしたらいいかな~って思って」と尊重する花。お互いをそっと気づかう、ふたりの関係が心地よい。
「執筆中は意識していませんでしたが、花とゆりはいわゆる大人世代から生き方を決めつけられる年代かもしれないですね。子どもは『大人になるまでこれをしてはダメ』と言われ、高齢になると『もういい年なんだからやめなさい』と言われる。当人からすれば、そんな常識的なことを言われても面倒なだけですよね」
カフェに入ったものの、注文はスマホから。「年寄りを切り捨てるんだわ」と口をとがらせるゆりに、「いいじゃん、わたしがいるから」と花は返す。そのやりとりを見ていると、年を取ることへの不安も軽くなる。
「まあ、ダメなら店員さんを呼べば注文を聞いてくれますしね。確かに、年を取るとできなくなることが増えますし、体の不調が出るかもしれません。でも、それはその時に考えればいいのかなと思うんです」
大変なこともあるけれど大丈夫な時間を描きたい
この小説に限らず、『団地のふたり』や『じい散歩』など藤野さんの作品にはどこか楽観的なムードが漂っている。そこには、藤野さん自身の考え方が反映されているようだ。
「兄に知的障害があるので、できないことがあるのは当たり前だと思っていて。守らなきゃという気持ちはどこかにあるけれど、その思いだけで生きているわけでもありません。自分にできることはやってもらい、できないようならこっちがやる。そういう考え方が体にしみついているんでしょうね。周りの人たちも、なにかあった時には深刻になるより笑い話にするタイプが多いんです」
今はなにをすればいいかわからなくても、いつか好きなことが見つかればいい。新しいことを始めて失敗しても、またやり直せばいい。『団地メシ!』からも、ゆったりとした前向きさが感じられる。
「もちろん『もうダメだ』と思う瞬間もあるし、夜中にワッとなることもあるでしょう。でも、それが少しの時間で終わって残りはのんびりしているなら、大丈夫な時間のほうを書きたくて。それに、自分の大変さばかり言い立てることは、他の人を軽んじることになりかねません。みんなそれぞれ大変だけれど、平和ではない状況でも平和に暮らすことはできます。花とゆりも、ふたりで団地をめぐる時間が楽しいならそれでいい。そもそも団地の未来だって、明るいばかりではありませんよね。それでも、楽しく暮らそうといろいろ作り替えているわけですから」
確かに、建物の老朽化が進み、建て替え問題に直面する団地も少なくない。古き良き団地の風情が残るうちに、この本を片手に団地グルメを楽しむのもいいかもしれない。
「かつての団地は、当時珍しかった水洗トイレやステンレスの流し台が完備された憧れの対象でした。だから花とゆりでは、団地に抱く印象も違うんです。地域や世代によって団地のイメージは違いますが、ふたりのような団地の楽しみ方もあると思っていただけたらうれしいです」
取材・文=野本由起、写真=干川 修
ふじの・ちや●1962年、福岡県生まれ。95年「午後の時間割」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。98年『おしゃべり怪談』で野間文芸新人賞、200
0年『夏の約束』で芥川賞、25年『じい散歩』で宮崎本大賞を受賞。著書に『ルート225』『時穴みみか』『団地のふたり』『すしそばてんぷら』など。