「八咫烏シリーズ」著者の新作はアール・ヌーヴォー風ファンタジー。“美しさ”をテーマにした、阿部智里の作家性がてんこ盛りの1冊【インタビュー】

文芸・カルチャー

公開日:2025/6/28

※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2025年7月号からの転載です。

アール・ヌーヴォー風ファンタジーは作家の好きなもの、てんこ盛り

 3月刊の単行本『亡霊の烏』のオビに掲げられていた一文は、「八咫烏シリーズ、完結前夜の最新刊」。いよいよ次巻で、松本清張賞受賞作『烏に単は似合わない』から始まる和風ファンタジー・シリーズが完結する。その衝撃から、約2カ月。阿部智里が世に問うた『皇后の碧』は、全く新しいファンタジー作品だった。

「八咫烏シリーズ以外の長編を書いたのは、『発現』(2019年)が初めてでした。あの時はとにかく新しいことに挑戦してみようという思いで、現実世界を舞台に、歴史を題材とする作品にしてみたんです。今回は、それとは逆の発想ですね。自分の得意分野であるファンタジーで、好きなモチーフを思いっきり詰め込んだものを書いてしまえ、と」

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 本作には、明確な出発点が存在したそうだ。

「最初に、終章のラストシーンが見えたんです。シチュエーションやキャラクターまでは見えていなかったんですが、最後の瞬間の“絵”と一緒に、そこでの感動みたいなものまでありありと浮かんできました。最後の“絵”を書くために、そこに至る全工程を作り上げていったんです」

後宮もので4人のお姫様 そういう話が好きなんです

 序章で描かれるのは、土の精霊の子供・ナオミの故郷に火竜が現れる場面だ。母は家もろとも炎に包まれ、父は行方不明となってしまう。焦土で立ち尽くす彼女に声をかけたのは、美しき風の精霊、孔雀王ノアだ。それから5年後、16歳のナオミはノアが暮らす鳥籠の宮で、女官見習いとして働いていた。その日、宮殿で「風送り」という儀式が行われた。ノアの妻アビゲイルは自らの意思で、死ぬことを決めたのだ。その理由は、腕に小さな黒子ができ、美しさが損なわれたと感じたことだった─。

「冒頭に『風送り』のシーンを入れることで、世界観の説明が増えて読者を振り落としかねない怖さもあったんですが、“美しくあれ”というこの世界の理を印象付けられるし、この世界において死は元素に還ることなんだということを映像として見せることができる。振り返ってみると、大事な選択だったと思っています」

 ノアの新たな妻を決める権利を持つのは、風の精霊たちを統べる蜻蛉帝シリウスだ。選定の儀式のために鳥籠の宮へやってきたシリウスは、あろうことかナオミに目をつけた。「私の寵姫の座を狙ってみないか?」。あまりにも立場が異なるその高貴なる存在は、なぜ自分を気にかけてくれるのか─。ナオミは好奇心の赴くまま、シリウスが根城とする巣の宮へと旅立つことを決める。そこにいたのは、3人の姫だった。

「ノアの元妻でもある風の精霊の皇后イリス、火の精霊のフレイヤ、水の精霊のティア、それからナオミ。後宮もので4人のお姫様の話というのは、八咫烏シリーズの第1巻『烏に単は似合わない』と構図が一緒です。私、そういう話が好きなんですよ。かぶるから止めるんじゃなくて、好きなものはいくらでも書いてもいいじゃん、と(笑)。ただ、この世界のお姫さまたちはそれぞれ属性の違う精霊なので、ビジュアル的な面白さを際立たせることができましたし、美しさとは何かというテーマを掘り下げていくこともできたんです」

 ナオミは巣の宮で宦官長のジョウと出会い、自分にはできないと思っていた「まじない」の使い方を学ぶ。生き方や考え方をもジョウから学ぶ、この師弟関係も抜群に魅力的だ。

「ぶっちゃけ八咫烏シリーズって、主人公は全く成長しないんです。でも、こちらは王道っぽく読める。私にしては珍しい、成長ものなんです」

 ただ、大きな共通点もある。異世界自体に「謎」が仕掛けられていることだ。そして、戦争と平和についての物語でもある。

「数年前にこのお話を書き始めた時は、テーマが時代遅れだと言われるかもしれないなと思っていました。でも、書いているうちに世界情勢がどんどん変わって、より現代的な、時代にそぐう物語になってしまった。決して喜ばしいと言えることではないんですが、この作品を今世に出す意義は強まったのかもしれません」

ビジュアルイメージはアール・ヌーヴォー

 水槽に入って登場する(!)水の精など各キャラクターは見た目からして個性抜群で、宮殿は通路の装飾にまで趣向が凝らされている。シリウスの胸元を飾る、最愛の妻の瞳を模したという緑の宝石が連なる首飾り「皇后の碧」の輝きたるや……。全ては存在しないはずのものなのに、文章を読めば脳裏にありありと浮かんでくる、圧巻の表現力だ。

「これは私の感覚なんですが、たぶん、作者に見えてないものって読者には見えないんです」

 実は、当初はルックが全く異なるファンタジーを構想していたという。

「中華風のファンタジーにしようと思っていたんです。ただ、中華ファンタジーの名作って既にたくさんありますし、これは私にしか書けないものだと胸を張れる世界観にはならないだろうな、と。新しいファンタジーを作るにはどうしたらいいかと悩んだすえに辿り着いたのが、アール・ヌーヴォーでした」

 アール・ヌーヴォーは、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパで起きた芸術運動だ。画家のミュシャは日本でもよく知られているが、建築、工芸、グラフィックデザインなど幅広いジャンルで流行した。

「例えば昆虫などの自然のモチーフは、アール・ヌーヴォーが好んで扱ったものです。宝石もそうですね。大衆ウケを狙いすぎだと批判を受けることもあるんですが、とにかく美しさを追求した時代の芸術なので、だからこの作品の中にも美しさをテーマの一つとして入れたんです」

 ビジュアルイメージから、テーマも生まれたのだ。

「全く新しい概念でファンタジーを作ったら、誰もついていけないものになってしまうと思うんです。ある程度みんながイメージできるモチーフを、自分なりにアレンジしたやり方がいい。アール・ヌーヴォーって、日本人にとってもなんとなく共有されているものだと思うんですよね。さらに言うとアール・ヌーヴォーってジャポニズムの影響があると言われているので、日本人の私が手をつけたとしてもそんなに違和感はない。それもあって、作中では精霊という言い方をしていますけれども、キャラクターたちの佇まいは妖怪に近い。中国の五行思想も入れ込んでいるし、書かれている世界観自体は完全な西洋風ではないんです。一言でいえば……私の好きなもの、てんこ盛りです(笑)」

 もしかしたら本邦初のアール・ヌーヴォー風ファンタジーにして、阿部智里の作家性がてんこ盛り。ファンタジーというジャンルに馴染みがないという人にもおすすめしたい。

「いろいろな人間、いろいろな生き物が同じ世界で生きていくためには、システムが必要だと私は思っています。これを愛の話として読まれる方もいらっしゃるかもしれませんが、私自身は、システムの話だと思って書いたんです。そのテーマを書くには、私にとってファンタジーというジャンルがうってつけだった。お試しで阿部智里の本を1冊読んでもらうならこれ、となるような単発作品のつもりで書いたので、気軽に手に取っていただきたいですね。物語としてはこの1冊できっちり完結していますので。ただ、私の悪い癖で、この登場人物の背景には何があるのか、この世界はどういう成り立ちなんだろうという想像が広がって、その気になったら続きを書けるような設定を作り込んでしまったんですよ」

 シリーズ化、熱望。作家に「その気」になってもらうためにも、本書がたくさんの人の手に渡ってほしい。

取材・文=吉田大助、写真=高橋しのの

あべ・ちさと●1991年、群馬県生まれ。早稲田大学文化構想学部在学中の2012年、『烏に単は似合わない』で松本清張賞を史上最年少で受賞。17年、早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。デビュー作から続く「八咫烏」シリーズは第2部へと突入し、外伝も含めて『亡霊の烏』で13冊を数える。24年、同シリーズで第9回吉川英治文庫賞を受賞。その他の作品に『発現』がある。

皇后の碧
阿部智里 新潮社 1980円(税込)

火竜によって故郷と家族を焼かれた少女ナオミは、風の精霊を統べる皇帝シリウスから、夜伽の相手に指名される。ところが、閨では指一本触れられないばかりか、会話を面白がったシリウスから意外な話を持ちかけられる。「そなた、どうせなら本気で私の寵姫の座を狙ってみないか?」。彼の胸には、皇后の瞳の色に似ている緑の宝石を選び抜いた首飾り「皇后の碧」が常に輝いていた─。後宮が抱える秘密とは何か、「皇后の碧」が真に意味するものとは? 八咫烏シリーズの作者が贈る、新たなる本格ファンタジーにして本格ミステリー。

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