累計700万部突破の名作『ピアノの森』から生まれた新たな物語。天才がピアノを捨ててまで挑む夢、そして立ち塞がる現実『もうひとつのピアノの森 整う音』【書評】

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PR 公開日:2025/6/28

もうひとつのピアノの森 整う音
もうひとつのピアノの森 整う音一色まこと/講談社

 森に捨てられたピアノと運命的な出会いを果たし、世界の舞台へと羽ばたいたピアニスト・一ノ瀬海(イチノセ・カイ)の物語を描き、アニメ化もされた大ヒット作『ピアノの森』(一色まこと/講談社)。本作『もうひとつのピアノの森 整う音』は、あの感動的なフィナーレから3年後を描く新たな物語だ。『ピアノの森』がピアニストのストーリーであったのに対し、本作はピアノの音を整える「調律師」が題材となる。主人公となるのは、『ピアノの森』クライマックスのショパン国際ピアノ・コンクールでファイナルまで進出したコンテスタントのひとり、向井智(むかい・さとる)である。

天才が平凡な人々と生きていく苦悩

 ショパン・コンクールという夢舞台で、向井は一ノ瀬の圧倒的な演奏に衝撃を受けた。そして彼は、ピアニストになるのではなく、尊敬する父の背中を追って調律師の道を歩む決意を固める。それは幼い頃からの、彼の夢であった。一人前の調律師になり、今や世界的なスターとなった一ノ瀬と再会する、との新しい目標を胸に。

『もうひとつのピアノの森 整う音』

 コミックス第1巻で描かれるのは、向井が調律師としての第一歩を踏み出す姿だ。ショパン・コンクール後、彼は音楽大学の調律科に入り直し、楽器店「松花楽器(しょうかがっき)」に就職する。しかし、彼が選んだ世界は決して甘いものではなかった。経験を積むためにあえて多忙な会社に就職したものの、そこで彼を待ち受けていたのは、自身の理想とは大きく異なる現実だった。限られた時間の中で、周囲に合わせて「適当に」とか「ほどほどに」と効率を重視した作業が求められる現場は、“会話をするように”1台ずつのピアノの声に耳を傾けたい彼の思いとはかけ離れていたのである。

『もうひとつのピアノの森 整う音』

 また、社内での人間関係も向井にとって大きな試練となる。彼の輝かしい経歴は、周囲の社員から羨望の眼差しを向けられる一方で、嫉妬の対象ともなる。向井の存在は、組織の中では時に摩擦を生み、孤立を深めてしまう。稀有な才能を持った人間が平凡な社会を生き抜く大変さがクローズアップされることになる。

『もうひとつのピアノの森 整う音』

 調律が必要なのはピアノだけではない。向井自身の人生も、調律を必要としている。理想と現実のギャップ、そして人間関係の複雑さという壁にぶつかりながらも、彼は調律師としてピアノの音を整えていく。その過程で、彼は不器用ながらも周囲との摩擦やズレを“調整”していこうと努力する。そこには、技術者であると同時に、人間として成長しようとする彼の姿が見て取れるだろう。

『もうひとつのピアノの森 整う音』

 ショパン・コンクールのファイナリストという、もともとは「特別な存在」だった向井が、私たちと同じように人間関係や仕事の現実に悩み、それでも夢に向かって進もうとする姿は、きっと誰の心にも響くはずだ。『ピアノの森』のファンはもちろんのこと、前作を知らなくとも、またピアノの知識がなくとも、誰にとっても共感と勇気を与えてくれる物語である。さまざまな“音”が整っていく様に、ぜひ耳を澄ませてほしい。

文=加山竜司

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