“プロレス界の帝王”がリングを降りた日から8年――試合で重傷、リハビリの日々を過ごす髙山善廣を〈物語〉に刻む『NO FEAR』誕生秘話《著者インタビュー》

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公開日:2025/7/4

 それは、あまりにも突然で、受け入れがたいニュースだった。2017年5月4日。“プロレス界の帝王”髙山善廣が、試合中に頸髄を完全損傷。首から下が動かなくなり、「回復の見込みはない」と発表された。

 あれから8年――髙山善廣というプロレスラーの全貌を描いた『髙山善廣評伝 NO FEAR』(鈴木健.txt/ワニブックス)が刊行された。支援活動「TAKAYAMANIA」の一環として制作され、売上の一部は医療費に充てられるという。

 本書の裏側には、マスコミという立場を超えて髙山に寄り添い続けた一人の男の思いがあった。著者の鈴木健.txt氏に、その制作秘話を聞いた。

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「三大メジャーを制した男」の真の価値

――髙山選手は三大メジャー団体(新日本・全日本・ノア)のベルトを総なめするなど、本当に偉大な選手だと思います。鈴木さんから見て、髙山選手のすごさはどんなところにありますか?

鈴木健.txtさん(以下、鈴木):トリプルクラウンを達成したというのは、記録としての価値はもちろんあるんですけど、「行く先々で髙山善廣というプロレスラーが求められていた」というところに本当の価値があると思います。ジャイアント馬場さんもアントニオ猪木さんも、日本のプロレス文化を築いたお二人ですけども、馬場さんは全日本プロレス、猪木さんは新日本プロレスという、自分の団体の中での活動でした。髙山善廣という選手は、そういうものをちょっと飛び越えちゃった選手なんですよね。

――IWGPも獲って、GHCも獲って、三冠も獲るというのは、いまから考えると信じられません。なぜ髙山選手は、多団体から求められたのでしょうか?

鈴木:大きい選手というのは、“大味なプロレス”というんですかね。シンプルなことをやるだけでも人の目を惹きつけますが、髙山善廣は196cmという長身ながらも、UWFで身に着けた基礎があって、技術もあって、キックもちゃんと練習していて、スタミナもあって、プロレス頭もある。いろいろな武器を持っていたんですよね。あとはファンに支持されていたというのも大きい。「ファンに支持されている=団体が信頼できる人間」ですから。

――2002年、PRIDEにおけるドン・フライとの死闘は、プロレスファンのみならず、いまも多くの人に支持されています。

鈴木:総合格闘技の戦績は0勝4敗だったんです。要は1回も勝利を挙げられていないのに、「なんだ、勝てなかったじゃん」と言う人はほぼほぼいなかった。それはなんでかと言うと、髙山善廣というプロレスラーが確立されていたからです。無理して総合格闘技という未知のリングに上がる必要はなにひとつなかったにもかかわらず、リスクを負ってでも出場した。やっぱりそれはファンの心に響きますよね。その中で、ドン・フライとああいう試合をやったわけじゃないですか。

――ノーガードで顔が変形するほどの凄惨な試合でした。当時のファンはどう受け取ったのでしょうか?

鈴木:その日に出場した選手たちが食い入るように見ていました。同じ競技者が見て、衝撃を受ける試合だったと。いかにもプロレスラーらしい闘い方だったじゃないですか。総合格闘技というのは、まず前提としてディフェンスがある。一発でも相手の技を食らわないようにするところから格闘技が始まります。けど、あのふたりはディフェンスを無視して殴り合った。あの形自体が、MMA(総合格闘技)の概念の中にあり得ないんですよね。

――鈴木みのる選手もあの試合に影響を受けたそうですね。

鈴木:みのるさんの運命も変わりましたよね。引退を考えていた時期で、後進の指導に専念しようと思っていた中、あの試合を見て「俺は一体なにをやってるんだ」と奮い立ち、プロレスに回帰した。その時点でふたりの物語は始まっていたんです。鈴木、髙山の関係は、ふたりが組んでから始まったと捉えられることが多いと思うんですけど、実はもう根源のところから始まっていた。この本でもそこはきちんと描かなければと思ったところです。

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