老害と言っても背景はさまざま……作品を通して感じた老害という言葉への想い【著者インタビュー】
公開日:2025/7/23

周囲の視線を気にせず怒鳴り散らす、こちらの話を聞かずに古い価値観を押し付ける……。いわゆる“老害”に自分の親がなってしまったら? 自分を育ててくれた大切な両親だったはずなのに、二人の行動を恥ずかしく感じてしまう。しかしこれまでの恩があるから見捨てることもできない。そんな葛藤を感じ、さらには里帰り出産に帰省した娘と両親の板挟みに苦しむ栄子(54歳)の姿を描いたのが『わたしの親が老害なんて』(西野みや子/KADOKAWA)。彼女の気持ちには年老いた親を持つ方なら多かれ少なかれ共感する部分があるのではないでしょうか。セミフィクションである本作を著者である西野みや子さんはどう描いていったのか? 自身の経験を含めお話を伺いました。
――西野さん自身は本作を経て老害に対するイメージが変わりましたか?
西野みや子(以下、西野):私はもともと老害という言葉に少し抵抗があったんです。その言葉を使った時点で相手を理解するのをやめてしまって、個別の問題まで掘り下げられない気がして。だから「私の思う老害はこうなんだよ」というところをすり合わせていけたらいいなと思いながら描き始めました。私の周りにもいわゆる“老害”なのかもしれないという人はたくさんいるような気がするのですが、この作品のお父さんもお母さんも方向性の違う困らせ方をしてくるように、一言に“老害”といっても多種多様な人がいるということを改めて考えるようになりました。
――なるほど。それがわかって接し方も変わった部分はありますか?
西野:これは私がそうなのかもしれないですけど、全体像が見えると心に余裕が持てるというか。「なんでこんなこと言ってくるんだろう」とモヤモヤしていたのが、「この世代の人の中ではそれでうまくいってたのかな」など背景を考えられる余地が出てきましたね。受け入れられるかどうかはまた別の問題ですが(笑)。
――今後セミフィクションで描きたいテーマはありますか?
西野:私は田舎で生まれ母子家庭で育ちましたが、金銭的理由や交通の便が悪いことが原因で、進路の選択肢がほとんどありませんでした。そういう生まれた時からスタートラインが決まっている状況や頑張って生きていても評価されないやるせなさを漫画で描けたらいいなと思っています。
取材・文=原智香