親が介護で疲弊していく姿を前に子どもが思うこと。介護者自身も大切にしないと家族も苦しむことになる【著者インタビュー】
公開日:2025/7/21

※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。
小さい頃から自分を罵倒し暴力を振るってきた父が、がんで余命1年と宣告された。一人娘・ヒトミはなるべく父と関わらずにいられるように介護サービスを検討、実行に移す。しかし父は他者の介入を拒絶。頼れる親族もいないヒトミに全ての負担がのしかかる。相変わらず心無い言葉を浴びせる父。育児と仕事にも影響が出るほどの物理的負担。やがてヒトミには“介護うつ”の症状が出始めて……。
毒親、介護、ふたつの要素が絡み合う『余命300日の毒親』(枇杷かな子:著、太田差惠子:監修・解説/KADOKAWA)。自身も親の介護中に描いたという著者の枇杷かな子さん。ご自身も“介護うつ”になったという枇杷さんの介護の経験、多忙な中でも本作を通して伝えたかったことを聞きました。
――本書の主人公・ヒトミには小学生の娘がいます。子どもがいる設定にしたのはなぜですか?
枇杷かな子さん(以下、枇杷):介護は周りの家族も苦しむことになるというのを描きたかったからです。子どもからしたら、大好きな親が疲弊していくのを見るってやっぱり辛いじゃないですか。それで子ども自身も自分が大変だったこと、辛いことなどの悩みを言わないようにしようと考えたり。なので介護をする人には、自分の大事な家族のためにも自分自身を大切にしてほしいという思いもこめています。
――例えば低年齢の子どもの育児と介護が重なるダブルケア問題などもよく言われると思うのですが、本作の子どもはもっと年齢が上ですよね。その年齢にしたのはなにか理由がありますか?
枇杷:「子どもがどの年代でも大変だよね」というのを伝えたかったからです。赤ちゃんの育児と介護が重なるって、誰から見ても大変そうですよね。でも思春期とか反抗期になると物理的な手はかからなくなるけど、心を作る大事な時期なので、さっき話したように辛さを打ち明けてくれないとか、別の大変さがあるんですよね。でも自分自身ですら「もう子どもも大きいんだから、自分はまだ恵まれているほうだ」と思ってしまう。そうじゃないんだよ、と伝えたくて小学生の子どもがいる設定にしました。
――介護者の娘の視点について、どのように考えましたか? 枇杷さんは体験してこなかったことだと思うのですが。
枇杷:私自身、息子と娘がいるのですが、介護がピークの時は親の問題で頭が一杯で暗い顔でいることが多かったらしく、子供たちには結構心配をかけてしまって。その時に何かが起きたわけではないのですが、私自身が向き合う余裕がなかったなと後悔しているんです。それによく掲示板やSNSで介護の話をしているのを見ると「子どもがちょっと不安定になってしまった」というような書き込みを見ることもありました。
文・取材=原智香