清野とおるが描く「妻・壇蜜」は「一人赤羽」。2人の結婚秘話や壇蜜宅の奇妙な超常現象など、清野が見ている“壇蜜”とは【書評】

マンガ

PR 公開日:2025/7/23

「壇蜜」
「壇蜜」清野とおる / 講談社

 夫婦の姿を描いたコミックエッセイは数あれど、本作にあるのは、決して甘く綴られた私的な記録でも、心温まるドキュメントでもない。「東京都北区赤羽」シリーズでお馴染みの漫画家・清野とおる氏が、自身の妻である“壇蜜”を本気で“潜入取材”する。そんな不思議な立て付けから始まるのが、この『「壇蜜」』(講談社)という作品である。

 グラビア、バラエティ、俳優、文筆業……。その全てで、妖しくも知的な輝きを放つ稀代の表現者・壇蜜氏。そんな彼女を、常識を軽やかに裏切る観察眼と感性を持つ漫画家・清野とおる氏が、冷静かつ淡々と見つめ、漫画に描く。いや、もうその時点で作品としての引力は尋常じゃない。もっとわかりやすく言えば、超面白い人が、超面白い人を描く作品だ。そんな作品が面白くないわけがない! だが、本作がその想像を遥かに超えて超超・面白い理由は、夫婦のほっこりエピソードを並べたり、感動を誘う「いい話」に仕立てたりするのではなく、やはり“潜入取材”として壇蜜を描くという一貫した距離感と視点にある。

 その潜入取材によって明かされるのは、たとえば、世間をざわつかせた結婚の舞台裏。三軒茶屋の西友の前で清野氏が壇蜜氏にプロポーズしたと伝えられている、あの象徴的な出来事にも、実は報道されていない驚きの真相が隠されていたりする。

 さらに、週末婚というスタイルで壇蜜宅へ通う清野氏が目撃する、数々の奇妙な超常現象。取材対象として壇蜜を追うその記録のなかには、彼女の私生活が垣間見えるだけでなく、まるで現実と異界の境をすり抜けるような淡いズレと、どこか凛とした独自のリズムが立ち込めている。

 作中で清野氏は、彼女のことを「一人赤羽」と表現する。変わっているとか、クセが強いといった言葉で単純に括るのでも、決して揶揄するのでも、美化するのでもない。ただじっと、静かに、そのままを受け止め、描き出す。

 それはまるで、街を歩いていてふと目に留まった……言うなれば、自分にしか見えない風景をそっとスケッチするような行為。肩ひじ張らず、けれど確かな距離と敬意をもって向き合うその姿勢が、誠実な眼差しとしてこの作品全体に静かに息づいている。そうして読み進めるうちに、少しずつ立ち上がってくるのは、“タレント・壇蜜”でも、“妻・清野支靜加”でもない、私たち外野の人間が決して立ち入ることのできない、ひとりの人間としての彼女の輪郭である。

 待望の単行本『「壇蜜」』第1巻には、本編に加え、初公開となる夫婦対談、さらに三木大雲和尚による特別コラムも収録されており、その読み応えは十分。そして読み終えたとき、ふと脳裏によみがえったのが、かつて壇蜜氏がPodcast「壇蜜のビューティー・アドバイス ポッドキャストVol.11」で語っていた言葉だった。

「結婚相手は“こういう人が好き”より、“こういう人が嫌”を重要視すべき。好きは変わるけど、嫌いは変わらない」。そして、彼女が挙げた“これだけは嫌”の条件は「自分をバカにする人」であった。そのうえで、清野氏についてこう評していた。「清野さんは私のことを絶対にバカにしない」と。

 人は決して、完全にわかり合うことはできない。だからこそ、たとえ尊敬とまではいかなくても、互いを侮らず、きちんと向き合い続けるという選択を重ねていくこと。そうした営みこそが、関係を育んでいくのだと、この作品は静かに教えてくれるような気がする。……などと、大真面目に語ってしまったが、実際に描かれているのは、ツッコミ不在のまま展開される、あまりにも亜空間なエピソードの数々。それでもなお、奇妙さと誠実さが同居するこの一冊には、不思議とそんな哲学がにじんでいる。

 そして『「壇蜜」』は、まさにその営みの記録である。個として強烈な個性を放つ二人が混ざり合うことでしか立ち現れない、不思議な共鳴。それはまるで、さらなる異界への扉をそっと開くような、ささやかな奇跡のようにも思える。そんな“潜入記録”を読み終えたとき、きっと誰もが思わず願ってしまうだろう。いつか、壇蜜氏サイドから清野とおる氏への潜入取材記録も読んでみたい、と。

文=ちゃんめい

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