東大卒コンビ・無尽蔵のコラム連載「尽き無い思考」/第12回(やまぎわ)「キャラ化する/される芸人たち」

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公開日:2025/7/24

東大卒コンビ・無尽蔵のコラム連載
東大卒コンビ・無尽蔵のコラム連載 撮影=booro

サンミュージックプロダクションに所属する若手の漫才コンビ・無尽蔵は、ボケの野尻とツッコミのやまぎわがどちらも東大卒という秀才芸人。さまざまな物事の起源や“もしも”の世界を、東大生らしいアカデミックな視点によって誰もが笑えるネタへと昇華させる漫才で、「M-1グランプリ2024」では準々決勝に進出・「UNDER5 AWARD 2025」では決勝に進出し、次世代ブレイク芸人の1組として注目されている。新宿や高円寺の小劇場を主戦場とする令和の若手芸人は、何を思うのか?“売れる”ことを夢見てがむしゃらに笑いを追求する日々を、この連載「尽き無い思考」で2人が週替わりに綴っていく。第12回はやまぎわ回。

第12回(やまぎわ)「キャラ化する/される芸人たち」

「ダブルインパクト」が決着しましたね!新興賞レースの誕生を目の当たりにでき、それもまた非常に考察のしがいのあるものでしたが、ダブルインパクトの考察は相方のTwitter(現X)に任せたいと思います。

さて、タイトルをご覧になって、あら懐かしいと思われた方もいるのではないでしょうか。

ご認識の通り、表題はセンター試験2016年の国語で採用された「キャラ化する/される子どもたち(土井、2009)」から拝借いたしました。

この書は、価値観が多様となり絶対的な正解が無くなってしまった現代において、子どもたちが「それぞれの対人場面に適合した外キャラを意図的に演じ、複雑になった関係を乗り切っていこう(p.23)」とするようになったと論じます。

例えば「いじられキャラ」「ツッコミキャラ」に代表されるように、敢えて単純化された人格であるキャラを演じることで、そのコミュニケーションを円滑に進めようとしているというのです。なんとなく心当たりがある人も多いのではないでしょうか。

【写真】芸人のキャラ化について考察する無尽蔵
【写真】芸人のキャラ化について考察する無尽蔵 撮影=booro


僕が原典を参照してまでキャラの話を持ち出したのは、近年の芸人は特に「キャラ化する」ことを求められる傾向が強まっているのではないか、という話をしたいからです。

始めに注釈しておきますが、ここでのキャラは「キャラ芸人」といわれるような極端なものではなく、もう少し広い意味のキャラです。宇宙海賊ゴー☆ジャスさんをここで論じようとするには、ゴー☆ジャスさんの存在はあまりにも巨大で荒唐無稽と言わざるを得ません。「宇宙海賊キャラ」って何ですか、そんなの日々のコミュニケーションに存在していませんよ…。

僕はTwitterで明日のお笑いの予定を調べたりするので、おすすめにはお笑いの話題もよく流れてきます。ただそこで目にするのは、お笑いのネタの話よりもむしろ、テレビの切り抜き画像やラジオでのやり取りの引用が多いような気がします。

例えば相方のクズっぷりを許す優しい芸人、破天荒な相方に振り回される芸人、といった「普段の関係性」にフィーチャーされた「供給」が、タイムラインを耕しています。

これは漫画やアニメの二次創作に似ているのではないでしょうか。ネタを一次創作として、それを面白いと思った人たちが、ラジオやテレビでのやりとりなど、より「素」「プライベート」に近い部分を尊び、しがんでいる。そしてそのプライベートに、ネタの中に垣間見れるような「キャラ」が見えることを楽しんでいるように見えます。

 撮影=booro


観客はネタを楽しむと同時にお笑い芸人同士のコミュニケーションの観測者として、傷つかない立場でコミュニケーションの楽しさを享受しようとしているのではないでしょうか。それこそ同人誌を読むようにです。

また、ママタルト檜原さんの「エアコンのフィルター」のように、ネタそのものを楽しむこと以上に、ネタの一部分をミーム的に切り出しコミュニケーションのいちツールとして使うことの方が、大きな話題を呼んでいるように思います。

伝統芸能と同じく「演者」と「観客」の間に明確な線引きがあり、さらに「演目中のキャラクター」と「演者」の間にも明確な線引きがあった時代から、鑑賞の対象は舞台をおりた芸人個人そのものに移行し始めたと言えるでしょう。観客の楽しみ方がより近眼になったと言いますか。

これは観客の皆様の楽しみ方に物申したい訳ではありません。それは個々人の楽しみ方の問題であり、我々がコントロールすべきものではないからです。むしろ問題となるのは、我々芸人のスタンスでしょう。

 撮影=booro


一つの答えとして、その潮流に乗り切るということもあります。

令和ロマンさんは、「M-1グランプリ2023」優勝時から「賞レースジャンキー」というキャラを取り続けていました。賞レースを考察した書籍も出版され、「M-1グランプリ2024」に出場中も自身を「老害」とポジショントークを重ねていました。その結果、「M-1グランプリ2024」決勝のトップバッターにおいて「終わらせましょう」と発言し、大ウケを取ったのです。

漫才という演芸の柔軟性にも起因しますが、あの瞬間のM-1は漫才の作品性だけではなく、本人のキャラやバックグラウンドによって笑いをとることを許容していました。

さらに、芸人の日常を切り取ったYouTubeなどが爆発的な人気を見せているのも、演芸そのものが重要というよりは、魅力的なキャラクターが認知されさえすれば、あとは適切な舞台装置を用意した数だけコンテンツを無限に生成できるようになった証左と言えるかもしれません。

それこそTwitterで「〇〇とご飯行きました!」と呟くだけでも、それはキャラ同士の掛け合いとしてコンテンツとなり得るようになったということです。

キャラは自分の一側面の誇張です。観客の目線がプライベートな方向に向かえば向かうほど、「キャラをさらに供給してほしい」という観客と「ありのままの自分を認めてほしい」という芸人の共依存関係が進むでしょう。

 撮影=booro


ただし、人間の特性は「キャラ」で片付けられるほど単純なものなのでしょうか。

多面性のあるアイデンティティの揺らぎの中では、我々の中には様々な人格が存在していると言えます。さらに僕ら芸人自身も、キャラを使い分けている張本人です。

僕が本当ずっとキモくて面白い人間だったら良かったのですが、残念ながら会社での僕はそんなにキモくも面白くもないはずです。

僕がTwitterをほとんど動かしていないのは、常に芸人やまぎわというキャラではいられないからです。内向的な僕は普段の僕も「キャラ」の一部として受け入れてほしいという欲望はそこまで強くありません。会社では会社の人と、友達の前では友達と、楽しく平和な関係を築けていれば、そこに第三者の評価は必要ないと思います。

面白いネタを披露する芸人として認められたいという気持ちと、プライベートにこそ向けられる観客の目線の期待の中で、きっと僕はジレンマに苦しむでしょう。

「ダブルインパクト」で優勝されたニッポンの社長さん。ネタが面白いことはもちろんのこと、優勝決定直後ケツさんが抱き合いの輪に入れてもらえず「入れろや!」と笑いを取っていた瞬間は、まさしくキャラで笑いを取っていた瞬間でした。今の世で人気芸人になるにはそういった「キャラ」の部分から目を背けられないのかもしれません。

僕がTwitterを動かせていないことも、僕の「キャラ」となっていけば良いのですが…。

■無尽蔵
サンミュージックプロダクション所属の若手お笑いコンビ。「東京大学落語研究会」で出会った野尻とやまぎわが学生時代に結成し、2020年に開催された学生お笑いの大会「ガチプロ」で優勝したことを契機としてプロの芸人となった。「M-1グランプリ2024」では準々決勝に進出、「UNDER5 AWARD 2025」では決勝に進出。
無尽蔵 野尻 Xアカウント:https://x.com/nojiri_sao
無尽蔵 野尻 note:https://note.com/chin_chin
無尽蔵 やまぎわ Xアカウント:https://x.com/tsukkomi_megane

<第13回に続く>

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