グルメ漫画の主人公なのに「食を愉しむ心はゼロ」。『左ききのエレン』外伝で描くのは、柳一がなぜそのご飯を選ぶのか?【書評】
PR 公開日:2025/8/3

今や一大ジャンルとなったグルメマンガ。私たちは主人公を通して、未知の味覚に出会い、食べることの喜びや意味を再発見する。自分のなかの“食”の彩りを広げてくれるところがグルメマンガの大きな魅力だ。だが、そんな従来のグルメマンガの概念を覆す作品が現れた。その作品は、主人公が「美味しい!」と笑みを浮かべることは一切なく、むしろ「食を愉しむ心はゼロ」という潔さを打ち出してくる異色っぷり。それが『柳さん ごはんですよ -左ききのエレン外伝-』(かっぴー/集英社)である。
タイトルを見てピンときた方もいるだろう。本作はあの『左ききのエレン』のスピンオフ。広告代理店「目黒広告社」でクリエイティブ・ディレクターを務める柳一(やなぎはじめ)にスポットを当てた物語だ。彼はデザイナーとしては超一流だが、その分極端なまでに仕事一徹な性格で、部下を不眠不休で働かせることも辞さないなど、過激な発言と行動で“鬼上司”として恐れられている。

そんな柳さんが食事をどのように捉え、どのような物を食しているのか? それが描かれるのが本作『柳さん ごはんですよ -左ききのエレン外伝-』なのである。もしかしたら美食を味わい、うっとりとした表情で笑みを浮かべる……私たちがまだ知らない柳さんが見られるのでは? と。本編では絶対に想像できない姿を期待しつつ、正直ちょっと見たくないような、見てはいけないような気もしていた。だが、冒頭で語られる彼の思想に思わず膝をついてしまった。

――そう、彼にとって食事とは“体と脳を動かすためのガソリン供給”。そこに愉しみなどという感情は介在しないのだ。そんな超ストイックな食思想を持つ柳さんが仕事の合間に立ち寄るのは、コンビニやチェーン店など、私たちにとっても身近なお店だ。しかし注目すべきは、柳さんが「どう味わうのか?」といった“味”ではない。「なぜそれを食べる(選ぶ)のか?」という“食の理由”を問い続ける展開だ。
本作を読み進めていくたびに、『左ききのエレン』での柳さんのこんなセリフを思い出す。
ロゴデザインなんてもんはほんの数文字… 形だけなら10秒で終わる作業や だがこの世界には有象無象のロゴデザインが溢れ返っとる 数千万のロゴデザインとの差別化――――。なぜこの形なのか?なぜこの色なのか?0.01ミリに思想を込める作業…
(『左ききのエレン』14巻 P172より)
本作ではその“0.01ミリの思想”が、コンビニのおにぎりやサンドイッチ、果てはみんな大好きミスタードーナツ、天下一品、コメダ珈琲にまで及ぶ。

例えば、部下がコンビニで買ってきたランチを選ぶ時でさえ、おにぎりは具によって「遊んどるモノと遊んどらんモノが存在する」と言い、人知れず頭をフル回転させる柳さん。片手で食べられるからその分仕事ができるという理由で選んだサンドイッチと対峙しては「片手でできる仕事…無くないか」と、ふと立ち止まったり。またある時は、チートデイでミスタードーナツを訪れ、3種類のドーナッツをありえないほどの熱量と真剣さで厳選する。

つまり、本作は“食の快楽”ではなく、“柳という思考そのもの”を味わう作品なのである。ただ、面白いのが、彼のストイックさが限界突破した結果、時には空回りし、結果としてどこかチャーミングに映っているところだ。特に、天下一品のあのコッテリをなんと形容すべきかと悶々としたり、コメダ珈琲の逆サイズ詐欺に終始たじろいだり……。『左ききのエレン』では絶対にお目にかかれない、柳さんのギャグ顔や一人ツッコミのシーンは必見だ。
――仕事に全振りした孤高の天才が、日常の“食”にどう向き合うのか。その姿を通じて、柳一という男の愛らしい人間味や哲学を浮き彫りにしていく一作。『左ききのエレン』ファンにとっては、意外な柳さんの一面だけではなく、心がじんわり温まるような“とっておきのスパイス”がラストに忍ばせてあるのでぜひ手に取ってみてほしい。
そして、未読の方はまずこの外伝『柳さん ごはんですよ -左ききのエレン外伝-』から入るのも一つの手。そこから本編へと進めば、柳一という男の奥行きがいっそう際立つ……というか、あまりの味わいの変化にきっと驚くはずだ。思考そのものを味わうような、異色のグルメ体験を堪能してみてはいかがだろうか。
文=ちゃんめい